幸せとは何かを考えてみた

文章欲が溢れてたまらないのでだらだらと

結論だけ答えると「自分らしく生きられること。」である。23年余りの人生を振り返りつつその結論に至った経緯を書いたり書かなかったりする。

子供時代

私は貧乏な家庭で育った。お金も心も貧しかった。

水道光熱費が支払えなくてライフラインを絶たれてしまうことはよくあった。お金に関することで両親は喧嘩をよくしていて私はそのことに怯えて暮らしていた。

幸せになるためにはお金が一番大切。私はそう思い込んで育っていた。

私の母は幼い私に「うちはお金がないから国立大学に行きなさい。」とよく聞かせていた。私は高校を卒業した後国立大学受験に失敗したので浪人した。結局2年浪人してもうまくいかなかったので諦めた。

今思えばそもそも私自身に大学に行きたい理由がなかったのではなかと思う。もし行ったとしても1千万程の奨学金負債を返済するために苦しんでいただろうし行かなくて良かったかもしれない。唯一後悔しているとすれば海外に就職しようとすると大卒があるかないかでビザの出やすさが変わることでしょう。

リゾートバイト時代

2年間浪人したのちにリゾートバイトで3か月だけ働いた。

草津の某老舗旅館で仲居として働いていた。3か月が終わりに近づいたある日、仲良くしてくださった板場のおじいさんが食事に誘ってくださった。私はそれを楽しみにしていたが彼の目的は某信仰宗教への勧誘だった。とても悲しかった。彼は好意でなのか、私がカモに見えたのか分からないが騙されたような気分だった。先生と呼ばれる人とその弟子(みたいな人)3人と板場のおじいさんとその家族、合計8人に囲まれて宗教の勧誘を受けた。正直怖かった。断ったら何されるか分からない。出来るだけ波を立てずに断固として断った当時の私の判断は賢明だったと今思う。

そこで先生と呼ばれるおばあさんが私に指を指してこう言った。「君の将来には黒い渦の様なものが見える。このままでは将来絶対不幸になるからウチに入って幸せになろう。」と。否定したい気持ちにもなったが当時の私は将来の保証も無くこの先どうするかも考えていなかったのであながち間違いではなさそうだと思っていた。あともう一押しされていたら入っていたかもしれない。

期間工時代

そしてその後に期間工として1年間働いた。

夏に就職したので初めの一か月は毎日ボロ雑巾の様になっていた。同僚が次々とリタイアしていく中で私だけよく一年も持っていたと思う。理由は検査員をしていたアニメ好きの50代のおじさんと仲良くなれたからだろう。彼との出会いで初めて面と向かってアニメが好きであること語れた。彼は私のことを息子のように慕ってくれ、私も彼のことを本当の自分の様に慕っていた。

期間工時代、急に大量の給料が入ってきたので使い方に迷いに迷った。そしてこのお金を使って好きなものを好きなだけ買えば幸せになれると考えた私は欲しかった最新のゲーム機を買ったり週末は宅配ピザを二枚も食べたりキャバクラに行ったりして豪遊した。

それでも心は満たされなかった。

そこで私は悟った。お金では人間は幸せになれない。物欲を満たしても人間は幸せになれないことを。

そこで私は計画を立てた。「お金は物欲を満たすのではなく体験に使おう。」と。具体的にはワーキングホリデーをしようとした。結局これは病気によって失敗に終わったが目の付け所はよかったと思う。

フィリピンでの語学留学時代

ワーキングホリデーをする前にフィリピンに4か月語学留学に行った。

そこでは沢山のフィリピン人が教師として働いている。給料は日本円換算で約3万らしい。フィリピン人感覚からすると多い方の給料のようだ。フィリピンは月2回給料を払う会社が多いみたいなのでもしかすると月6万貰っているのかもしれない。

私は期間工時代に月25~30万は稼いでいた。当時の私に比べて1/10程の給料しか貰っていないのに彼らは幸せそうだったのが印象的だった。やはり幸せはお金ではないのではないのか。

そこでは4人の相部屋に宿泊していたのだがそこで出来た友達と過ごす日々はとても幸せだった。初めて家族以外のヒトに誕生日を祝福されたのだがその思い出はこれからも私の大切な宝物だ。本当にうれしかった。

今の私の幸福論

病気で日本に帰ってからも自分の幸せについては考えた。いろんな本やネットの情報、友達との会話の中や映画などいろんな場面で幸せとは何かと考えた。今も真の答えは見いだせていないが、今の私が「幸せとは何か?」と問われたら「自分らしく生きられること。」と答える。それが今の私の答えだ。

そしてヒトはヒトとの出会いを通じることで大きく成長できるのではないのか。だらだらと人生を書きながらそう悟った。幼いころは両親と触れ合うことでお金が幸せに直結すると考えていた。その後私は出会ってきたヒトによって考え方、価値観が変化してきた。これからも出会う人によってその価値観は変化していくのだろう。

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