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海外ロックフェス参戦記9

2013年病気の宣告を受け手術を控えた“私”は、急遽渡英を決意。
ヘヴィメタルファンの聖地ドニントンでのダウンロードフェスティバルで、アイアンメイデンを見る夢、その前年亡くなった音楽の恩人、
ジョン ロードゆかりの場所を巡る夢をかなえようとする。

聖母教会


土曜の朝は人通りはおろか、行き交う車もない。

しばらく行くとNHSの病院が見えてきた。
子供時代、急病やわんぱくの結果のケガやらでお世話になったに違いない。
さらに行くと、広いフィールドが青々とした大きな公園もある。
サッカー好きの御大のことだ、ここで幾度も球を蹴っただろう。
私はこの場所でかつて確かに生きた、御大の姿を感じながら足を進めた。

女性が一人、先を歩いている。
先行きが適う方向か確かめたくて、声をかけた。

「すみません。少しよろしいでしょうか。聖母教会は、この道で間違いありませんか」
「もちろん合っていますよ。私もこれから行くところなの。ご一緒しましょう」
「ありがとうございます。助かりました。心強いです」
「遠くからいらしたの?」
“Have you come far?”
エリザベス女王が社交の場で、賓客との会話のきっかけにする定番のフレーズだ。私も丁寧な言葉遣いを選ぶ。

「日本から来ております。ご一緒頂いて、本当にありがとうございます。
私はレスター出身のミュージシャン、Jon Lordさんの大ファンなのです。
残念ながら昨年、ご本人は亡くなられましたが、ゆかりの地を巡って偲んでいるところです。今程、生家を拝見してきました。そしておそらく子供の頃、こちらの教会に通われていたのではないかと思って」
「まぁ、日本から。本当に大ファンなのね。
 私、その方と同じ通りに住んでいますけど、孫がこの間生まれて、この教会で洗礼を受けたのよ。だから、その方もきっと通っていらしたはずよ」
生家から最も近い英国国教会の教区教会こそが、母教会のはず、推測は当たっていたようだ。

話しながら進むと、視界が開け小さなロータリーに出た。目の前には教会の墓地が広がり、尖塔が見える。女性は屋根の付いた教会の正門の木戸を開け、私を案内する。尖塔の時計台を見上げながら糸杉が並ぶ砂利道を通り、厳かな気持ちで十字を切り聖堂に入った。繊細なステンドグラスの色合い、木製の濃い茶色の天井、白漆喰の優雅なアーチ、背の順に弧を描くパイプオルガンの鈍い輝き、こじんまりとして温かみがある。

9母教会パイプオルガンP1000029


聖堂脇のスペース(側廊)では、複数の女性信者が大きな焼き菓子を切り分けたり、お茶の準備をしている。土曜の午前中はティーサロンだそうだ。女性は婦人会のリーダーに私を紹介し、手仕事のボランティアをすると言って別の棟へ去っていった。
「お話は伺いました。日本から私たちの教会にいらしたんですね。ようこそいらっしゃいました。お茶を召し上がりますか、コーヒーにされますか?」
もちろん、お茶をお願いする。ケーキが一切れ一緒にサーブされた。甘みは控えめだがナッツが入って香ばしく、おいしい。

「その方がこちらの教会に通われていたのは、間違いないでしょう」
「世界的なロックミュージシャンで、オルガンの名手なのです。初めてオルガンという楽器を目にして、音を聴いたのはこちらの地元教会だろうと考え、訪れたいと思っていました」

リッチー ブラックモアの、あのギターといかに互角に渡り合うか。その難題を解く相棒だったのが、ハモンドオルガンとレスリースピーカーである。
60-70年代のロックで耳にする、サイケなコンボオルガンとは明らかに違う深い響き、どんなギターの横暴も受けて立ち、びくともせず、品格があり、彼でなくては出せない音色。
ハモンドオルガンはまさに御大の分身であった。

パイプオルガンの設置や維持には途方もない費用が掛かる、そうはいっても足踏みオルガンでは出せない、神に捧げる音をリーズナブルに得る方法はないか。レスリーの回転式スピーカーが生むドップラー効果、そしてハモンドオルガンは財政に悩む小さな教会の解となった。

御大がオルガンの可能性にいつ着目したのか。ハモンドのルーツと言うべきパイプオルガン、御大の音の原風景は母教会にあるのではないか。
オルガンの音は聞けないまでも、その場所に立ってみたい、その出会いが間違いなく起こった場所を見てみたい。生家に続いてこの教会を訪れた、これが私なりに音楽の恩人を偲ぶ方法だった。

初老の男性がコーヒーを所望に現れた。
婦人会のリーダーは手早く用意し何か話した後、破顔を私に返した。
「あなたは本当にラッキーね!この人はこの教会のオルガニストなの!」

「初めまして、日本からおいでになったそうで、お会いできて光栄です。
 今、話を伺いました。私はその方を存じ上げないが、よろしかったらオルガンをご覧になりませんか」
私たちはクワイヤ(聖歌隊席)手前に移動した。
この教会のパイプオルガンは鍵盤がクワイヤ席手前に、パイプは聖堂の扉口の上にあり、両者が離れて設置されている。
クワイヤの奥にはサンクチュアリ(内陣)が見えた。

「このオルガンは1920年代のものです」
オルガニストの男性は、オルガンのスイッチを入れながら説明する。
「その方は1941年の生まれですから、このオルガンの音色を
 聴いていたのは間違いありませんね」
「あなたはオルガンを弾かれるのですか」
「オルガンではなくピアノを習っていました。もっとも子供の頃ですが。
 4歳から始め、中学に上がるころにやめてしまいました」

「せっかくなので、オルガンを弾いていかれませんか」
想定外の言葉にたじろいだが、婦人会の女性も是非にと後押ししてくれる。

私は一瞬呼吸を整え、オルガンに向かった。

身の程知らずにもバッハの「トッカータとフーガ(BWV565)」のイントロだけを一瞬弾いて、そのあとのパートは必要な足鍵盤が弾けないのを理由に、遠慮した。しかし男性は楽譜を出してきて手鍵盤だけのパートを示してくれ、それに甘えていくつかのフレーズを奏でてみることにした。Jon御大のソロアルバム「Before I forget」の中に、このフーガをモチーフとした「Bach on to this」という大曲がある。
厚かましくも引用されているフレーズを、いくつか奏でさせてもらった。

バッハをこよなく愛する御大の、音の原体験である母教会で、パイプオルガンを奏でる。
奇跡に相違ない!

9 母協会オルガニスト

「このフーガは、足鍵盤のパートのないピアノ用のスコアもあります。
手に入れるのはそれほど難しくありません。ぜひバッハの音楽を楽しんでみてください。
こちらにはいつまで滞在されますか?明日、こちらの教会でオルガンとクワイヤのコンサートがあります。
今日はその練習に来たのですが、明日あなたをご招待したいと思います」

残念ながら明日はロンドンに向けて発たねばならない。
お礼を言って事情を伝え、せっかくなので1曲お願いをしてみた。
男性は厳かなメロディを奏で始めた。イギリスのオルガニスト、Wesleyの作品だそうだ。

後方、扉口の上のパイプから発せられた音は、聖堂いっぱいに響く。
迫力ある足鍵盤の低音、上下二段の手鍵盤から複雑な倍音が生み出され、
溶け合って天井のアーチへと昇っていく。
子供時代からレスターを離れるまで、御大が何度も耳にしたこの響きを、
永遠の記憶にとどめようと、私は全身で受けとめた。

練習の邪魔にならないよう、丁寧にお礼を言って失礼することにした。
婦人会の女性がバス停まで案内してくれる。市の中心部、時計台に行くことを伝えると乗るべきバス番号とおよその時間を教えてくれた。

バスが来た。
私は女性にあいさつし、バスに乗り込んだ。

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