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昭和の日です🇯🇵😃

今日は #昭和の日 ですね🎌

昭和天皇のお誕生日です💕

昭和という時代は長い長い日本の歴史上、最も過酷な運命を背負わされた時期だったと思います。

しかしこうしてしっかりと日本が残っているのも、昭和天皇が国民の心の拠り所として在り続けてくださったからでしょう。

昭和天皇とマッカーサー元帥の逸話はあまりにも有名なので、僕が好きなエピソードをば…

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まだ戦争前の昭和6年、昭和天皇は熊本での軍事演習のため軍艦「榛名」に搭乗され九州へ向かわれました。

演習後に天皇旗はためくお召艦「榛名」は鹿児島にお立ち寄りになりました。鹿児島湾につく頃にはすっかり日も沈み艦の皆さんは夕食を終え休憩中でした。

そんなとき外から大きな声が聞こえたので、お付きの方が何事かと艦の窓から外を見てみると、日の丸をひるがえした小舟が「榛名」の横を並走していました。

闇夜の海上でほとんど見えませんでしたが、それはお出迎えの舟でした。

ハンカチを振って挨拶をしたお付きの方はふと(もしかして鹿児島湾内に他にもいるかも…)と思い立ち、甲板に駆け上がりました。

夜でほとんど見えないけれども、望遠鏡の位置まで来たときに「あっ」と思わず声が出ました。

暗闇の中に誰か一人立っているのです。
それは、挙手のご会釈姿をビシッとくずさない昭和天皇でした。

お付きの方は天皇が向かっている先を目を凝らして見てみましたが、他に船のようなものは見当たりません。

しかしよくよく目を凝らしてみてみると、はるか遠く薩摩半島にお出迎えの篝火の明かりが10キロにも渡って灯っていました。
それは薩摩半島の住民が総出で天皇をお迎えする歓迎の篝火なのでした。

誰ひとり気づかなかったその篝火を、天皇はおそらく望遠鏡でよくよくご覧になり探し当てて、お一人で静かに薩摩半島に向けて答礼をなさっているのです。

(なんと尊い姿であろうか)

お互いはっきりと姿は見えていないけど、心と心がつながっている。

そこで「榛名」の位置だけでも対岸の人々に教えてあげたいと、お付きの方が艦長に事情を話し、すぐに「榛名」から探照灯が打ち上げられ、対岸の人々に天皇の位置をお知らせになったということです。

その間も、ずっと答礼の姿勢を崩さず、国民の気持ちにお答えなさる昭和天皇でありました。

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皆さま、どのようにお感じになるでしょうか。

僕は日本に生まれてよかったな〜と素直に思います😊

弥栄〜🇯🇵

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