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端境期の編集事情(1)

 「編集長ことはじめ」の皆様、はじめまして。橘川幸夫(きつかわゆきお)と申します。鈴木くんに誘われて参加しました。僕は、すでに相当な年齢で、新しいことを追求するには体力が不足しているのですが、なんとか編集の現場にしがみついています。

 僕は大学生の時に、仲間たちと雑誌を創刊し、20代はそのミニコミのような雑誌を編集していた。今ではメジャーな「ロッキングオン」。編集長ではないが、僕の自宅が編集部だったので、編集室長として、実務全般を、手探りでやっていた。28歳の時に、現在の宝島社に企画提案して採用されたのが、「ポンプ」という全面投稿雑誌。そして、宝島のグループ会社に就職したので、はじめて入った会社の新入社員だが、肩書はいきなり編集長(笑)。ちなみに、その時に、僕は、「ロッキングオン」をやりながら、サラリーマン編集長になり、写植屋を経営していた。忙しい時代だった。

 当時は、素人で出版社に入り、先輩編集者に指導されて編集者になり、経験を積んでから編集長になるのが普通だったが、ちょっとそういうルートとは違う道を辿った。なので、それまでの業界が伝統的に伝えた基本的な編集技術が欠けているかもしれない。ただ、その後、パソコン通信から始まってWebメディアなどが全盛になり、メディアが多様化して、編集者の裾野が広がったと思う。ネット以前は、編集をする媒体の数も限られていたし、編集を仕事でする人も少なかった。出版業界と広告業界(PR誌)ぐらいしかなくて、その中での伝統的な技術と態度の継承があったのだ。だいたい、社会に出て、文章で何かを表現する人間なんて圧倒的に少なかった。それがソーシャルメディアの普及で、表現者も広がったし、それにともない、新しいスキルを必要とするネット編集者も必要になってきたのだろう。

 旧来型の出版文化の中で育った編集者の多くは、ネットが出てきた時に、生理的な反感をもっていて、本格的にネットには入らなかった。一部のマニアやコンピュータ出版業界を除いて、出版業界ではメールの普及もだいぶ遅かった。むしろDTPなどデジタル技術の普及が進んだ印刷業界の方が先行していたかもしれない。

 ちなみに、僕は1990年頃に、大阪にいた村上知彦(まんが評論家で学生時代からの友人)と、集英社の「すばる」という文芸雑誌で、メールを使った対談を1年連載したことがある。「メタチャット」というパソコン通信をやりながら開発したコンセプトで、メールのやりとりで原稿をまとめたのだが、編集者も、パソコン通信の仲間だったが、「メール使って書いたというと、まだ会社の中で理解できないし反発する人もいるので、そのことは隠しておこう」となった(笑)。

 てなことで、古い編集の業界と、ネットメディアの編集の世界と、両方を知っているので、その辺の端境期の目撃者として、少し語らせていただきたいと思います。

 ちなみに鈴木悠平くんは、3年ぐらい前に彼がNYに居た時、僕が主宰している「リアルテキスト塾」という私塾に、スカイプの聴講生として参加してくれたのが縁で、実際に会ったのは昨日がはじめて。そこで誘われたので来ました。はい、よろしくお願いします。

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