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真崎守プロジェクト

60年代後半から70年代を全力疾走したマンガ家の記録。
真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に…
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真崎守プロジェクトが本格開始。単行本未収録作品や未発表文章等を会員限定で公開していきます。

【告知】 伝説の漫画家・真崎守の作品や文章等の資料を整理しアーカイブすることを目的に発足しました「真崎守プロジェクト」では、活動の輪を広げるために、賛助会員を募集することにいたしました。 入会を希望される方は、下記note「真崎守プロジェクト」の会員登録をお願いいします(会費1,000円/月) 今後、同noteにおいて、単行本未収録作品や未発表文章等、様々な情報を発信していきますので、ご参加の程、よろしくお願いいたします。

座談会「まんがいのちかしょっぱいか」 真崎守とその他一同

座談会「まんがいのちかしょっぱいか」 真崎守とその他一同 ◇まんがコミュニケーション/子ども調査研究所 ◇1971年5月1日発行 ◇定価100円 ◇写経=加藤清司   自分の描いたものが映画になるとしたら、最初から映画にしちゃったでしょうね。絵がいらなくて文字だけでやっちゃえそうだとしたら、 やっぱり文字でやっちゃうと思うね。だから、マンガでないとできない部分というのは解らないから、それを愉しみに探してゆく……… ■<子守唄>から<挽歌>へ 橘川 僕たちが<はみ出し野郎

わたしの手塚治虫体験(二)

真崎守著「わたしの手塚治虫体験(一)」 これは、手塚治虫が亡くなった1989年の翌1990年にJICC出版局から出版された本で、真崎守による「手塚まんが考察」と「真崎守の生い立ち」の、いわば二本立ての内容になっていて、真崎守のルーツを知る上でも極めて貴重な資料となっている。 当時、(一)となっていたから当然続きが出るものと思われていたが、諸般の事情により(二)以降が出版されないまま立ち消えになっていた。しかし実は、草稿自体は(四)まで存在している。 今回、その続きの(二)の一

狼・地獄へいそぐ(地獄狼シリーズ第一話)

真崎守が、商業誌デビュー直後の1967年10月から1972年3月まで足かけ4年半、実に700頁を超える枚数に上る「地獄狼シリーズ」 虫プロを退社し専業漫画家になる前の「地獄狼無頼伝」だけで400頁を超えており、 真崎守が自らの作風を形成していく過程での、まさに最重要作品と言える。 今回、そのシリーズ第一話「狼・地獄へいそぐ」16頁の画像データを公開します。 ただしこの作品、原稿が現存しないため、掲載誌(サンデーP.M1967年11月2日号)からのスキャンによりデータを起こし

地獄で愛した(連作/燃えつきた奴ら/幕末刺客行/新選組篇/第一話)

真崎守は、漫画家専業になる前の虫プロ社員時代から商業誌に作品を発表していたが、その中の一シリーズに「連作/燃えつきた奴ら/幕末刺客行/新選組篇」がある。 これは、コミックVAN1968年4月3日号~12月26日号まで14回掲載され、総ページ数が約340枚に上る大作で、「地獄狼無頼伝」と並ぶ、虫プロ時代の重要作品と言える。 雑誌掲載は14回だが、6作目の「地獄囃子」のみ6回連載の長編で全9話(ちなみにその「地獄囃子」は、ブロンズ社真崎守選集刊行時に大幅に修正改稿され「狂乱囃子

血の伝説(知られざるジロ作品)

真崎守の代表作は?と問われておそらく最初に名前が出てくるであろう「ジロがゆく」 少年期の鬱屈や葛藤を瑞々しい感性で描いた不朽の名作であり、「ジロがゆく」本編以降のシリーズ作品も単行本化されているが、実はまだ「一度も単行本化されていない」知られざるジロ作品がある。 それが「血の伝説」 「ジロがゆく」が月刊少年マガジンに連載されていたのと同時進行で、中二時代(旺文社)1970年9月号~1971年3月号に7回連載された(計133頁) 主人公ジロとクラスメイトのサヨとツルンパ(

消えたトビラ絵キバの紋章篇

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真崎守作品とその時代・最中義裕講義

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「真崎守先生の実像に関する証言集め」宮西計三編

橘川幸夫責任編集「イコール」の次号では、1970年代のマンガシーンを疾走した真崎守のアシスタントだった宮西計三さんの貴重でリアルな証言を掲載します。70年代初期の、生々しい時代の匂いを感じてください。 ▼リード わたしが見、聞き、そして感じた、「真崎・守」体験。 それは、わたしの聖域、聖櫃とも、パンドラの匣ともいえるものです。 そのことをご承知おき頂き、さぁまいりましょうか…… 宮西計三 質問1 真崎さんの弟子になるきっかけの作品は何でしたか。どのような感想を持ちました

資料整理日記⑤

いずれ開催される真崎守原画展に向けて、カラー原画の確認作業を実施した。   カラー原画の多くは雑誌表紙で、清彗社発行の「だっくす」「ぱふ」とその後釜雑誌「ふゅーじょんぷろだくと」「Comic Box」(1978年~1982年)と、野草社発行の「80年代」(1980年~1988年)が中心となる。これに単行本やまんが作品雑誌掲載時のカラー扉絵等を加えると結構な枚数になり「これは(原画展が開催されれば)なかなかの規模になるかも」と心躍るものがある。   そして、今回驚いたことが2点

資料整理日記④

真崎守著「わたしの手塚治虫体験」という書籍がある(写真①) これは、手塚治虫死去の翌年1990年に出版され、(一)と銘打たれていたが(売れ行きが芳しくなかったせいか)続刊が出なかった本である。 虫プロ社員として手塚治虫を間近に見、それ以前から手塚漫画のヘビーな読み手であった真崎守が、手塚作品に対する考察と自身の人生を語った貴重な内容で、この「第一巻」では真崎守の幼少期から中学卒業までが書かれている。   真崎守は「ことば」を駆使する漫画家であり、自分のことも度々語っているもの

〈もり・まさき〉のデビュー作に魅せられて

 こちらの記事にコメントを書いたら、橘川さんから何か書かないかとリクエストがあったので、1回だけ書かせていただくことにした。14歳の読者だった時代からの思い出話なので、〈もり・まさき〉時代については敬称略としたが、その点、ご容赦いただきたい) 〈もり・まさき〉との遭遇 私が〈もり・まさき〉という名前に出会ったのは、確か昭和39(1964)年、東京オリンピックのあった年のことだ。場所は私が生まれ育った静岡県富士市市内の家から近い焼きそば店(現在も食堂として存続)。焼きそばやお

資料整理日記③

地獄狼が主役の作品群のうち唯一単行本化されたのが「ながれ者の系譜・地獄狼篇」(写真①、1973年、青林堂) これはヤングコミック1972年1月12日号~3月22日号に掲載された全6話に、旧作を修正した2話が加えられている。 その加えられた2作のうち一つが、漫画パンチ1969年8月13日号に掲載された「愛は死の臭い」という作品で、「THE OUTLAW IN THIS JUNGLE~」と冠された、地獄狼番外編3作の一作目」(写真②)   それで、今回確認された原稿を見ると、写真

峠あかね批評集(1)COM 1967年 2月号

峠あかね批評集(1) 真崎守は、1963年に手塚治虫の虫プロに入社。アニメ番組の制作進行などを担当した。また虫プロで発行していた「COM」の漫画投稿コーナー「ぐら・こん」で、峠あかねの名前で新人マンガ家の作品レビューを行っていた。真崎守プロジェクトでは、峠あかね名義の批評集をまとめていくことにした。 COM 1967年 2月号    映画の世界が、コメカミにシワ寄せて、「もはや言葉を失った…」などと気どって、一九六六年を回顧しながら失望している時だから、創作活動という