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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

これまでの記事で書き落としたことのまとめ,2023年8月19日


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

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注意


 これらの物語や漫画の重要な展開を明かします。ご注意ください。

特撮テレビドラマ

『ウルトラマン』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』

漫画

『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『逆資本論』
『NARUTO』
『LIAR GAME』

テレビアニメ

『新世紀エヴァンゲリオン』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

特撮映画

『シン・ウルトラマン』
『ウルトラ銀河伝説』
『ベリアル銀河帝国』

テレビドラマ

『SPEC』
『相棒』
『半沢直樹』
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』
『舞いあがれ!』

小説

『偽りの私達』

実写映画

『SPEC 天』

はじめに

 今回は、様々な物語の共通点などから、考察する余地を見出しました。

需要と供給の経済と生物学や生態学

2023年8月19日閲覧

 以前、「経済と環境は両立するのか」という問題について、生物学と経済学は限られた資源を効率的に使う意味で似ているところがあるという、『すごい進化』という書籍の記述を取り上げました。
 そこで取り上げられた書籍として、『地理生態学』(R・H・マッカーサー)と、『行動生態学』(ニコラス・B・デイビス)があります。
 前者では、大陸から離れた島に生物が移入するのと、そこで絶滅する割合と生物種数の関係を表す「移入曲線」と「絶滅曲線」が、経済学における、商品の数と価格により決まる需要曲線と供給曲線に似ているとあります。
 後者では、ミツバチが花の蜜を運ぶときに、あまり大量に長く運ぶと疲労して効率が悪くなるため、最適な運ぶ量をグラフの微分によって計測されるなどの、経済学のグラフに似た資源の扱いがあります。

需要と供給の経済と政治

 私は経済学の需要と供給の関係から、現代日本の不景気などの問題を扱う『キミのお金はどこに消えるのか』などの反緊縮や積極財政に注目しています。また、供給曲線が、いわゆる古典派経済学とケインズ経済学では異なることがあるので、それと生物学にも何か関連していないか、生物学には市場と国家の違いに当たるものはあるか、なども気にしています。
 また、需要と供給の変動による、物価が市場任せでは不安定になるため、国家による「売りオペ」、「買いオペ」などが必要だと、『エドノミクス』で飯田泰之さんは主張しており、これは米で経済を支えていた時代の中国の古典『管子』国蓄第七十三篇にも「ちょうてき法」としてあるそうです(漢字が難しいので、ひらがなでご了承ください)。
 「ちょうてきれんさん」とも言うそうです。
 飯田泰之さんが監修した『キミのお金はどこに消えるのか』の続編『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』では、『史記』を用いて似た「国の売り買いによる物価の安定」が扱われています。
 また、しばしば生物学で扱われるものとして、捕食者と被食者の数が増減を周期的に繰り返す「ロトカ・ヴォルテラの方程式」があり、これとケインズ経済学の「景気循環」や需要と供給のバランスにも何か共通点はないか、とも考えました。

政治思想や倫理にかかわる「デフレ」

 経済学について、政治も含めて私が参考にしている萱野稔人さんは、「自由」、「平等」などを重視するとされるリベラリズムについて、「人間は自由より生き残りを優先して来た」と否定的です。
 また、「リベラリズムの求めるパイの分配は、それが潤沢なときにしか成り立たない」と主張しています。
 しかし私は、この政治思想は「保守」と「リベラル」というより、現代日本に限った長期デフレが原因ではないかと、『逆資本論』を踏まえて推測しました。
 『逆資本論』によると、マルクスの「搾取」などの経済理論は、マルクスの時代の直ぐ前までイギリスは歴史上デフレで、産業革命からインフレになっていたことから、「インフレすれば全体のお金が増えるので、経営者と労働者の両方が得をするプラスサムになり得るが、デフレではお金の奪い合いでゼロサムになる」と主張しています。現代日本で、経済成長を実感していない人間がマルクスを信じてしまうのはそのためだとあります。
 『逆資本論』では、通貨発行により、「現代日本は円を増やせるのに、政府の借金を恐れて増やしていないから景気が悪いままである」と主張しています。
 つまり、水や栄養素や燃料などの実物はともかく、実体のない円という通貨を増やさないためデフレになり、それで「限られたパイを分け合うのには限界がある」と、リベラリズムも否定されてしまうのかもしれません。
 また、2011年の宇野常寛さんの書籍『ゼロ年代の想像力』では、何が正しいことか分からなくなった1990年代を経て、2000年代は「何が正しいか分からないことは織り込み済みで、正しさを暫定的に勝った者が決める」時代になったとされます。
 『仮面ライダー龍騎』のように、「戦わなければ、生き残れない」という主張を宇野さんは繰り返し述べています。
 しかしこれも、ちょうど1990年代から始まった長期デフレによる、「少ない通貨の奪い合い」が招いたとすれば、納得出来るところがあります。
 また、『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』では、1990年代に日本人は、冷戦終結とバブル崩壊、つまり共産主義と資本主義の両方の失敗を見たたため、政治や宗教を信じられず、「自分の力で生きて行く」という精神が増えたとされます。
 『ゼロ年代の想像力』で紹介された『LIAR GAME』で、違法ギャンブルを止めようと参加する主人公達が警察に頼らないのも、「国や政治が当てにならない世の中」だとみなしているのかもしれません。
 その意味で、萱野さんも宇野常寛さんも、デフレによって世の中全体が「お金の奪い合い」などで冷たくなったことを体現した主張になっているのかもしれません。
 『相棒』で、2008年頃から14年間外国に行って帰って来た亀山薫は、「今この国はおかしくなっていて、みんな自分のことだけ考えて傷付け合っている」と言っていますし。

現代日本の「自己責任」論の曖昧さや防波堤

 ただ、補足をしますと、現代日本の「自分の力で生きる」というのは、かなり定義が曖昧です。コンビニなども増えて、別に自給自足をする人が増えているとも思えませんし、警察に頼らずに自衛する人が増えているかも曖昧です。むしろいじめや虐待の認知件数が増えたことは、通報して警察などに頼る人が増えている証明かもしれません。
 私は社会現象を「法律の国家」、「貨幣の職場」、「遺伝子の家庭」、「文化の友人や宗教」の4つに区切っていますが、1990年代以降の日本は、1の政治、2の経済、4の宗教を信じられないものの、家庭の繋がりだけは防波堤のように残っていると考えます。

2023年8月19日閲覧

 たとえば『相棒』の「自己責任」論者の中には、子供に財産を残さない父親もいますが、労働者や外国人を切り捨てる政治家や裕福な人間が家族にだけは優しい、あるいはその犯罪に甘いところもあります。
 また、『半沢直樹』では、職場を裏切り刑事告訴されてもおかしくない不正をした人間が甘い処分で済み、それでも家族に負担をかけたときに、その悪い点を認めた妻に「家族になら迷惑をかけても良いのではないか」と言われています。しかしそれは、職場の負担の受け皿に家庭だけを選ぶ論理になりかねません。
 また、飯田泰之さんは『脱貧困の経済学』で、「本当に自己責任なら、相続税100パーセントにしたらどうなのか。日本は自己責任と言いつつ、家族にだけは財産を残して助けろという主張がある」と主張しています。また、「貧乏な家の子供を自分の子供と遊ばせたくない」という裕福の親の相談がある雑誌にあると飯田さんは憤っていますが、ちょうど『相棒』で「自己責任」論が話題になった回にもそのような親がいました。
 『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』は家庭内で経済や政治を語る漫画なので、この辺りが分かりにくいのですが、現代日本は「国や職場には頼るな、家族に頼れ、家族にだけは優しくしろ」という主張が増えているようです。
 先述した『LIAR GAME』原作で違法ギャンブルに立ち向かう詐欺師も、元々母親が詐欺の被害に遭ったこと、仲間の女性に母親に似たものを感じているらしい感情がみられます。その意味で、一見人間不信で冷たいこの詐欺師も、「家族とそれに近い人間だけは大事にする」という倫理の防波堤があるのかもしれません。

いじめと差別を物語で扱うときの注意点

2023年8月19日閲覧

 私は日部星花さんの『偽りの私達』や重松清さんの小説を踏まえて、学校などのいじめを扱う物語は、展開を複雑にする逆転やどんでん返しがあり、「加害者と被害者が逆だった」などの状況で倫理を複雑にしてしまうため、現実のいじめの議論の参考には出来ないと判断しました。
 これに似た題材として、「差別」もあります。
 差別されるのはたいてい弱い立場の、数の少ない人間ですが、物語では「部分的に強い少数派、マイノリティ」がいるため、その主張をしにくいと考えたのです。
 たとえば『潜水艦カッペリーニ号の冒険』では、日本に来た、その時点で「敵国」となったイタリア兵が日本人に受け入れられるかの問題を描きます。
 イタリア兵の1人のあだ名と自分の苗字が同じだからなどで絡んでいた日本兵が、かばう日本人上官の「やっちまえ!」という命令でイタリア兵に殴られたとき、体格差があっても「やるな」とやり返して、最終的には和解出来たようです。
 けれども、それは日本人とイタリア人の成人男性同士だから出来た「拳での分かり合い」です。イタリア人の方が体格で上でも、劇中で格闘技によって日本人が勝ったところもあり、決して圧倒的にイタリア人の方が有利でもありませんでした。
 それが空想の物語のマイノリティの場合、たとえばウルトラシリーズの宇宙人や『NARUTO』の「尾獣」というエネルギー体を宿した人間の人柱力(じんちゅうりき)、『SPEC』でスペックという超能力を持つ人間では、数が少なく社会的に差別されるとしても、彼ら1人だけで街に甚大な被害を出したり滅ぼしたり出来る力を持つことがあり、多数派でも民間人の警戒や恐怖はやむを得ないのではないか、と思わせるところがあります。
 ウルトラシリーズで地球の通常の人間より弱い宇宙人は、『ウルトラマン』のダダ、『ULTRASEVEN X』のチャムダ星人ぐらいのものですし、どちらも部分的に人間を超える超能力や強さを持っています。
 空想の物語で彼らが暴力を振るったときに周りの安全を確保出来るか、超能力などの武器を体から切り離せるか、それを周りに証明出来るかが難しいので、その状態で受け入れを拒むのが果たして「差別」なのかという問題があります。
 このように、「差別」を扱う物語ではたいていは「いじめ」とは別の逆転やどんでん返しのために、「数の少ない」、現実なら社会的弱者になるはずのマイノリティが部分的にとてつもなく強いところを持つ、あるいはそう思われることがあり、警戒するのもやむを得ないとみなされて、現実の「差別」の問題の参考になりにくいと言えます。
 現実の「差別」の問題については、黒人や白人に日本人との体格などの差異があっても、ウルトラシリーズの宇宙人や『SPEC』の超能力者のような、「見えない武器」、「切り離せない武器」を隠し持っているわけではないという常識が必要でしょう。
 また、空想の物語と比べて、そもそも外国人などの犯罪が現代日本で多いのか、という疑問は、幾つかの統計で調べるべきでしょう。

 参考までに、私が調べたこれを添付します。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/67/nfm/n67_2_4_8_2_1.html

2023年8月19日閲覧

『舞いあがれ!』と『新世紀エヴァンゲリオン』

https://x.com/hg1543io5/status/1577592593189175297?s=46&t=6tio6xUHWU4XCR56E_Ep7w

2023年8月19日閲覧

 以前、連想テレビ小説『舞いあがれ!』と、『シン・ウルトラマン』と『ウルトラマンR/B』の共通点をふせったーで考察しました。「人間は自分か自分達のことしか考えられないのか」というものでした。
 それから、平成以降のウルトラシリーズや『シン・ウルトラマン』にかかわると私が考えている『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズと、『舞いあがれ!』に共通点がないかと探したところ、予想外に多く見つかったので、ここで取り上げます。

「パイロットになるだけが人生ではない」

 
 まず、『舞いあがれ!』の主人公の舞と『エヴァ』の主人公の碇シンジは、それぞれ飛行機と兵器のエヴァンゲリオンの「パイロット」になろうとする、あるいはなるものの、努力してもそれに成功しない人間がいることが示されています。
 しかし『エヴァ』テレビアニメ版最終回でシンジは、「エヴァに乗らない選択もある」と話しており、『舞いあがれ!』でも教官が「パイロットになれなくても、その人間の人生が終わったわけではない」と主張しています。

「好きだった」
 

 また、同じ目標を持っていた仲間と恋愛関係になり、それが「好きだった」という言葉で破局して、別の相手を見つけるのが、舞とシンジに共通しています。
 シンジの場合は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のアスカと別れ、マリのもとに向かったようにです。

親の率いる組織に入る

 さらに、主人公が片方の親の死を原因として、もう1人の親の率いる組織に入り部下となるのも、シンジと舞に共通しています。
 シンジは母親のユイの死によりパイロットとなり、父親のゲンドウの率いる組織に入っていますし、舞は父親の死により、母親の継いだ会社に入っています。
 どちらも、普段親に家族として接することがあるものの、重大な判断のときは部下として敬語を使うときがあります。
 また、それでアスカなど、家族でない同僚に「特別扱いされている」と言われるのも似ています。

上司の助け

 また、「パイロット」として危険なときに、上司が危険な場に来て助けに来てくれるときがあるのは、舞に対する大河内、シンジに対するミサトなどに共通しています。

身内の悪事

 そして、シンジは父親のゲンドウ、舞は兄の悠人の犯罪や悪事に、身内として甘い対応だけで済ませず、周りからの批判も否定せず、身内に話をして解決しようとしています。
 その悪事をした家族は一見冷たいものの、立場の危うくなる前からゲンドウはシンジの実績を誉めたことがあり、悠人も母親の会社が利益を出したときは認めていました。

 何故このように共通するか分かりませんが、一応挙げてみました。

『ベリアル銀河帝国』と『鋼の錬金術師』原作

『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』では、ある点から、『鋼の錬金術師』原作と似ていると考えたことがありました。
 それをきっかけに繋げてみて、予想外に多く共通点が見つかり、ここで書いてみたくなりました。

 まず『ベリアル銀河帝国』は、その前の『ウルトラ銀河伝説』で倒されたかに見えた闇のウルトラマンであるベリアルが別の宇宙に飛ばされ、そこで帝国を築き、やがて元の宇宙の故郷の光の国すら攻撃するほどの規模になっていました。
 そこにウルトラマンゼロが、ベリアルの帝国のある宇宙に行き、仲間を得て挑んで行きます。
 『鋼の錬金術師』原作は、軍事国家のアメストリスを影で支配する人造人間のホムンクルス達が、首領の「お父様」を強くする計画のために、様々な人間の命を犠牲にしています。

「強敵の人材不足」

 しかし、この「強敵」の意外な共通点として、「国などを支配するには人材不足」であることがあります。
 何故か『ベリアル銀河帝国』の帝国は、ロボット兵士は多いものの、生身の部下はダークゴーネとアイアロンしかいないようなのです。現地で他の生身の宇宙人を雇うなどをしていないようです。
 また、『鋼錬』原作で、国の実状を知る人間のうち、ホムンクルスに協力するのはキンブリーと軍上層部ぐらいで、ほとんどは、「お父様」の「七つの大罪」から生まれた7人のホムンクルスだけです。その上1人のグリードには離反され、1人のスロウスは穴を掘るだけでほとんど展開にかかわりません。
 特に、拠点の1つの研究所に、特殊な状態の人間を番人にしたものの、勝ったエドワードの態度によって裏切ったために情報を明かそうとした番人を、ぎりぎりでホムンクルスのラストとエンヴィーが「危ない、危ない」と口封じで殺していますが、本当に危ないところでした。番人が裏切ったときに直ぐ処分出来るほど幹部の移動や準備が出来るなら、そもそも番人が必要なのか、とも言えます。
 この人材不足は、「生身の部下や人間を信じない」ことが弱さとも言えるのが、分かりにくくなっています。

主人公への誤解

 また、「主人公が敵の同類とみなされる」ところがあります。
 『ベリアル銀河帝国』の宇宙にはそもそもウルトラマンがおらず、敵のベリアルしか知られておらず、その配下のロボットに似ているため、助けに来たウルトラマンゼロの方が疑われています。
 『鋼錬』原作でも、敵の一味だと主人公のエドとアルフォンスが疑われたことがあります。
 この辺りは、「主人公達が怪しまれても仕方がないのではないか」という、私が重視する論理にも通じるかもしれません。

主人公の危険な力

 次に、「主人公が危険な力を使ったことが、敵を強くしたものの、結果的に勝機になる」ことです。
 『ベリアル銀河帝国』のベリアルの主戦力のダークロプスは、ベリアルにとって宿敵のゼロを複製したロボットであり、ゼロの強さが裏目に出たとも言えます。特にゼロは、ベリアルがかつて光の国を恨んだきっかけの危険な力を同じく手にしようとして、のちに成功しています。
 『鋼錬』原作でも、主人公のエドとアルが母親を生き返らせる危険な錬金術をして重傷を負った上に、その「真理の扉」が「お父様」を強くするために利用されたものの、結果的にエドが「お父様」に勝ちました。
 

敵の手抜き

 さらに、「敵が身内でもある敵を殺さずに手を抜いたことが敗因になる」ところがあります。
 『ベリアル銀河帝国』で一度ベリアルは、人間の姿になったゼロを捕らえて、変身出来なくしたにもかかわらず、自分達の勝利を見せつけるためにあえて生かしたため、やって来たゼロの仲間によって救出されて、敗北に繋がりました。
 『鋼錬』原作でも、「お父様」はそもそもかつてエドの父親のホーエンハイムの分身として生まれたのが、多数の人間の命をだまして奪い、膨大なエネルギーとして手に入れたものの、ホーエンハイムにその半分をわざわざ分けて生かしてしまい、そのホーエンハイム達の行動によって敗北しています。

団結と結末

 また、「強大な敵に、最初は立場の異なる人物がばらばらだったのが手を組んだが、敵のいなくなっても団結は残る」のが似ています。
 『ベリアル銀河帝国』で、ゼロの仲間となるグレンファイヤー達の海賊、ミラーナイトやジャンバードやエメラナ姫、そしてエスメラルダ人のナオやランなどは、元々帝国以前は互いを知っていても協力関係にはなっていなかったようです。それがゼロによって団結して、ベリアルに関係ないときもやがて協力し合うままです。
 『鋼錬』原作でも、軍人の東西南北などで部署の壁などがあり、さらに軍を恨む異民族や、軍から逃げ出した錬金術師のマルコーや外国人のリンなど、ばらばらだった人間達が、ホムンクルスと戦うためにはまとまり、戦いが終わったあとも穏当なままのようです。

 また、『ベリアル銀河帝国』で「別の宇宙のゼロが戦ってくれている」とエメラナ姫は言っていますが、『鋼錬』原作終盤で、外国人のリンやメイが、アメストリスのために戦ったことがエドやリンに指摘されています。

一度失われたと思われた力

 「強敵に立ち向かう力のきっかけが、一度失われたと思われる」のも似ています。
 『ベリアル銀河帝国』では、ベリアルに立ち向かう「バラージの盾」のもとにナオが向かったにもかかわらず、一度は崩壊していますが、周りからの協力によって、それが復活しています。
 『鋼錬』原作では、スカーの兄が錬金術師として重要な研究をしていると思われ、途中でそれが分かり切った内容だと誤認されたものの、それはスカーの兄が知る外国の技術を取り込んだ逆転の錬金術だと判明しました。それは外国人の協力なしには達成出来ませんでした。

勇気による抵抗

 「弱くはないが自信のない人物が、勇気を出し接近して抵抗することで勝てた」というのもあります。
 『ベリアル銀河帝国』で、最初は帝国に抵抗するのに消極的とも言えるナオやジャンバード=ジャンボットが、手を組んだことで、幹部のダークゴーネに勝利しました。特に明確な工夫で強くなったとは言えず、自信がなかっただけとも言えますが、ダークゴーネは本拠地にいたので、突入する勇気が必要でした。
 『鋼錬』原作で、能力は高いものの戦う勇気に欠ける錬金術師のマルコーは、かつてホムンクルスに屈して、人間の魂を奪いエネルギーにする研究をしていましたが、それによりホムンクルスのエネルギー源を破壊する錬金術も得ており、自分達を苦しめたエンヴィーに勝っています。しかしそれは、殺される覚悟で接触する必要もありました。

ラスボスの強さ

 元々強いラスボスが、さらに膨大なエネルギーを得て強くなったものの、それが仇になったところがあるのも似ています。
 『ベリアル銀河帝国』のベリアルは元々ゼロに勝てていたにもかかわらず、わざわざ奪った鉱石を利用して巨大化したものの、ゼロの新しい武器で、かえって的を大きくしたとも言えます。
 『鋼錬』原作で強くなった「お父様」は、その膨大なエネルギーを制御出来なくなりました。
 また、『鋼錬』原作番外編でマスタングは、エドと戦ったときに、「的が小さいと当たりにくい」と言っていました。

その他の共通点

 「自分の命の一部をエネルギーにして勝つが、犠牲にはならない」ところも、『ベリアル銀河帝国』のエメラナと『鋼錬』原作のエドに共通しています。

 一見愚かに見える、繰り返す集中攻撃で勝利したのは、『ベリアル銀河帝国』のミラーナイトと『鋼錬』原作のマスタングで似ています。

 そして、『ベリアル銀河帝国』も『鋼錬』原作も、ベリアルとホムンクルスを倒しただけでは終わらない戦いや社会問題に立ち向かう旅で終わります。

 こうしてみますと、『ベリアル銀河帝国』は近い時期に原作の終了した『鋼の錬金術師』によく似ています。

まとめ

 今回はまとまりがありませんが、書けなかったことを書けたと考えています。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)
八木毅ほか(監督),小林雄次ほか(脚本),2007,『ULTRASEVEN X』,TBS系列(放映局)

漫画

井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA

井上純一,2023,『逆資本論』,星海社

岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)

甲斐谷忍(作),2005-2015(発行年),『LIAR GAME』,集英社(出版社)

荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)

テレビアニメ

庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)

アニメ映画

庵野秀明(総監督・脚本), GAINAX(原作),1997年7月19日(公開),『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』,東映(配給)

庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2007,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』,カラーほか(配給)

庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2009,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』,カラーほか(配給)

庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2012,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』,カラーほか(配給)

庵野秀明(総監督・脚本),鶴巻和哉ほか(監督),2021,『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』,カラーほか(配給)

特撮映画

樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
坂本浩一(監督),小林雄次ほか(脚本),2009,『大怪獣バトル THE MOVIE ウルトラ銀河伝説』,ワーナー・ブラザース(配給)
アベユーイチ(監督・脚本),2010,『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』,松竹(配給)

テレビドラマ

植田博樹ほか(プロデュース),西荻弓絵(脚本),2010,『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
ホイチョイ・プロダクション(原作),馬場康夫(監督),澤本嘉光(脚本),2022,『潜水艦カッペリーニ号の冒険』,フジテレビ系列
桑原亮子ほか(作),田中正ほか(演出),2022-2023,『舞いあがれ!』,NHK系列

小説

日部星花,2019,『偽りの私達』,宝島社

実写映画

堤幸彦(監督),西荻弓絵(演出),2012,『SPEC 天』,東宝

参考文献

鈴木紀之,2017,『すごい進化』,中公新書
宇野常寛,2011,『ゼロ年代の想像力』,ハヤカワ書房
飯田泰之/著,雨宮処凛/著,2012,『脱貧困の経済学』,筑摩書房
1992,『新釈漢文体系 52 管子 下』,明治書院
飯田泰之ほか,2014,『エドノミクス 歴史と時代劇で今を知る』,扶桑社
Nicholas.B.Davisほか/著,野間口眞太郎/訳,2015,『デイビス・クレブス・ウェスト行動生態学 原著第4版』,共立出版
R.H.マッカーサー/著,巌俊一ほか/監訳,1982,『地理生態学 種の分布にみられるパターン』,蒼樹書房


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