記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

「弱さ」と「悪さ」などを巡る、幾つかのタブーの考察


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5




注意

 これらの物語の重要な展開、特に暗い部分も説明します。ご注意ください。

小説

『偽りの私達』
『袋小路くんは今日もクローズドサークルにいる』
『未来』(重松清)
『セッちゃん』(重松清)

テレビドラマ

『スクール‼︎』
『TOKYO MER』
『流星ワゴン』
『ノーサイド・ゲーム』
『相棒』

漫画

『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『美味しんぼ』
『NARUTO』
『イジメの時間』(くにろう)
『ワールドトリガー』
『ライフメーカー』(宇津江広祐)

テレビアニメ

『宇宙戦艦ヤマト2199』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

はじめに

 今回は、いじめなどの、これまで扱わなかったタブーとも言える話題に触れます。

『偽りの私達』を扱いにくい理由

 日部星花さんの小説を幾つか扱って来ましたが、『偽りの私達』はかなり扱いの難しく感じるものでした。
 「いじめ」の登場する作品であるためです。
 私はこれまで、政治、経済、宗教、科学などを取り扱うことは多かったのですが、タブーのようにして、この話題を取り上げにくかった原因は、主に2つあります。

いじめを扱う物語の「逆転」と現実

 まず、私は多くの話題を、物語を通じて扱うのがこのnoteの方針なのですが、いじめの登場する物語は、大抵何らかの逆転、「どんでん返し」があり、いじめを単独で議論しにくくなるところがあります。
 たとえば、漫画『イジメの時間』では、被害者と加害者が元々逆だった要素があり、途中から誰をかばうべきか、誰を糾弾すべきかが曖昧になっています。
 また、ドラマ『スクール‼︎』では、小学生のいじめ加害者が親に虐待されていたとして、他の社会問題も登場して、いじめだけの問題では済まなくなっています。劇中の教師が「そういうことはよくある」と主張していますが、現実でそれを考えても、加害者の擁護になりかねないかもしれません。
 『ノーサイド・ゲーム』ドラマ版でも、いじめの被害者がラグビーでやり返そうとしたのを、父親がラグビーの「ノーサイド」の精神で「諭す」場面がありましたが、母親の言う通り「それどころじゃない」問題であり、また、父親が仕事で忙しい間にいつの間にか和解していたらしいのが、「いじめ」の問題を単独で扱う難しさを示しています。
 重松清さんの小説でも、いじめの話題は多いのですが、それを単独で扱うには難しいところがあります。
 たとえば『ビタミンF』所収の『セッちゃん』では、被害者が嘘をついていました。
 『カカシの夏休み』所収の『未来』では、いじめで自殺した被害者がある「嘘」をついており、劇中のメディアも何と反応して良いか分からなくなっています。
 重松さんの原作の『流星ワゴン』のドラマ版では、被害者が受験をしているからと、他の生徒を見下す発言をしていたのがきっかけで、加害者に「最初は自分が悪かった」と認めています。加害者は謝罪せず、被害者が逃げたままで終わりました。
 おそらく多くの物語は展開を盛り上げるために、「いじめ」を単独で扱うのが難しく、他の議論、被害者と加害者の逆転や、被害者の嘘、加害者の事情などで複雑にせざるを得ないのでしょう。

 『偽りの私達』にも、詳しくここでは挙げませんが、そういった逆転があり、さらにファンタジックな要素もあるので、「いじめ」だけの問題では済みません。

「いじめ」は大人から見れば「弱者の悪事」である

 もう1つの原因は、小学校から高校までの未成年のいじめが、言わば「相対的には弱者の悪事」であることです。
 『流星ワゴン』ドラマ版では、いじめをしていた小学生が、その最中に被害者の父親に問い詰められて、「大人が子供にこんなことして良いんですか」と苦し紛れに言い訳していました。
 いじめをするのが、その同級生などの間では強者だとしても、それを議論する大人の多くからみれば、学生である限り子供、相対的には弱者です。「いじめをするなという大人こそ、弱い者をいじめているのではないのか」という論理が、糾弾を阻みやすくしてしまうかもしれません。
 また、この統計によると、現代日本では、いじめの認知件数は、高校生はあまり増えておらず、中学生と、さらに小学生が増えているようです。それをニュースなどではあまり扱っている様子がなく、原因は、「弱者の悪事」になりやすく、さらにニュースを見て論じる大人が、加害者より強い立場であるためかもしれません。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_ijime_boushi_kaigi/dai1/siryou2-1.pdf

2023年8月4日閲覧

「いじめ」を物語で扱う難しさ
  

 よって、私はいじめを扱う物語は、何らかの逆転や、議論を複雑化させる別の社会問題などでこじらせてしまう、大人に比べれば相対的には弱者の悪事である複雑さから、現実のいじめの議論などには用いない予定です。
 『偽りの私達』も、今後、いじめを扱う作品ではなく、「悪事」を扱う作品として検証する予定です。
 ちなみに、『ライフメーカー』という漫画にも、最近私は注目していますが、まず生物学や神話の扱いを重視しています。
 しかし、そこで扱われている「いじめ」の問題も、途中から加害者も被害者も別の事情が生じており、単独で扱うのが難しいので、「上下関係」として、「自分より下だと思っている人間が幸せになるのが許せない」心理、『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』で紹介された「地位財」の例として扱います。

「難しい話」の定義

 「いじめ」とは別の方向で「難しい話」として、「権力者に逆らう話」とみられるのが幾つかの物語にあります。
 『相棒』シーズン11最終回で、外国のスパイが、日本人と恋愛関係になり情報を盗んで逃げたものの、それに罪悪感があったらしく、奇妙な手紙を残していました。
 その日本人は、警察の警告も聞き入れずにに恋愛相手を盲信して、殺されかけました。
 「突然国に帰ることになった。理由は分からない。僕の国では、難しいことを考えてはいけないのだ。けれど君の国ではそれが出来るし、分からないことがあれば調べられる。それを無駄にした君のことを、僕はずっと嫌いだ」というものでした。
 この「難しいこと」というのは、おそらく「権力者に物申すこと、逆らうこと」という意味でしょう。文字通り彼が「難しいこと」を考えられないのなら、そもそもスパイなど出来ませんから。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』では、宇宙人のガミラス人の若い独裁者のデスラーの政治について、軍や政府の幹部が疑問を抱くときがあり、それについて「難しいことを言うな」と言った場面があります。これも、文字通り「難しいこと」を考えないのなら高い地位には就けず、難易度の高い仕事は出来ないはずであり、「権力者に逆らう」という意味でしょう。
 また、『TOKYO MER』ドラマ版では、目の前の人命を救いたい医師が、患者である外国人労働者を警察から守ろうとするときに、捜査より治すことを優先するために「難しい話は良いですから」と言ったことがあります。医師や警察官が「難しい話」を文字通り出来ないはずはなく、これも「権力や政治の議論」という意味でしょう。
 「いじめ」とは別の意味で、むしろ社会的強者の問題のある行為に言及するのが、「政治や権力」の「難しい話」だと言えます。

『美味しんぼ』で「弱いこと」と「悪いこと」は区別されているか

 ちなみに、『美味しんぼ』原作でいじめを扱ったときに、主人公の山岡士郎は、「被害者に問題があるなんて言わせないぞ!少なくとも日本でいじめられる弱い人間のどこに問題があるって言うんだ?それは弱いことが悪いって言っているようなものじゃないか!」と追及しています。
 しかし私は、『美味しんぼ』などの多くの物語へのある疑問を踏まえて、「それは山岡のことだろう」と言いたくなりました。山岡も、しばしば弱い人間を悪く言う喧嘩腰なところがあるためです。
 正確には、料理や食材、自然環境などの知識や技能の低い人間を、山岡はしばしば「言い過ぎ」と言われるほど批判しているためです。
 『美味しんぼ』では、ヒロインの栗田や一部の職人など、真面目だったり優しかったりする人間でも料理について知識や技能が足りないことがあり、それでも「不器用」というような扱いで、悪人とはみなされません。
 しかし、しばしば態度の悪い人間が「間違った」料理や食材の知識を山岡に指摘されて黙らされること、謝罪することもあります。それは、彼らが社会的、たとえば政治や経済の立場で「強者」だったとしても、知識や技能で部分的に「弱い」ところがあり、それを「悪い」かのように糾弾する山岡も、「弱くて悪い人間はいる」と言っているはずだと私はみなしています。
 つまるところ、「弱いが悪くない人間」も「弱くて悪い人間」もいるというのが私の現時点での答えです。
 漫画『FAIRY TAIL』で、主人公のナツの所属するギルドのマスターが「弱さの全てが悪ではない」と言ったのに私も同意します。

 少々脱線しますが、山岡と対立する父親の海原雄山も、初期は少し料理や食材に間違いがあるだけで暴力や暴言がみられ、それも今の基準では「弱い人間」を「悪い」と言ういじめやパワハラに当たるのではないか、という印象もあります。特に刑事ドラマや医療ドラマと異なり、『美味しんぼ』の料理の間違いは、衛生や毒の関係でもない限り、それで誰かが致命的に傷付くとはあまり言えないので、どうも雄山の方が「弱い者いじめ」をしているように受け取れてしまいます。
 山岡も、僅かな料理や食材の間違いを、「弱さ」と「悪さ」を混乱させるように糾弾する意味で、五十歩百歩だと考えています。それが主人公として傲慢に見えにくいのは、山岡が病弱ではないにせよ、喧嘩には弱いために過ぎないところがあります。
 ちょうど『偽りの私達』には、「弱い」ことと「悪い」ことをある人物に関して区別するとも言える説明がありました。ただし、「弱いことと悪いことが一致するはずがない」とは書いていません。

 『袋小路くんは今日もクローズドサークルにいる』では、「人の柔らかいところを見抜けず土足で踏み躙ってしまう」という説明があり、これらも踏まえて、日部さんの作品には私の言いたかった心理がしばしば書き込まれていると考えています。

弱いことと悪いことの区別

 ちなみに、『NARUTO 疾風伝』では、「強くなりたい」という少年アニメらしい願望や方針が、「弱いこと」と「悪いこと」の区別を難しくするとも言える描写があります。
 劇中劇『ナルト豪傑物語』では、もとの物語と比べて、ナルトの両親が死なずに、木ノ葉隠れの忍者の代表の四代目火影の一家として尊敬されている、サスケのうちは一族が木ノ葉隠れの里と戦い滅ばずに済んでいるなどの差異があります(そもそも、その争いを詳しく知らない五代目火影の綱手の夢の中の劇中劇なのですが)。
 兄のイタチが一族を滅ぼすという不幸が回避されたサスケは、もとの物語ではそれまでどちらかと言えば「素直」だったのに対して、『豪傑物語』では、もとからひねくれ者のように描かれています。兄や、火影の息子のナルトへの嫉妬心ばかりで行動する身勝手なところがみられます。それでも個人としての強さはかなりのものです。
 しかしサスケは、里で、それこそ強いけれども嫌われ者の要素もある警務部隊のうちは一族に、「犯罪者を見せしめに痛めつけろ」と命じて、それで治安を維持したりうちはから里への威嚇にしたりうちは自身の「ガス抜き」にしたりと、横暴な行いを繰り返し、最終的に火影と対立して解任されました。
 それを父親であり警務部隊隊長のフガクにイタチと比べるような発言をされ逆上して、サスケは原作のような里抜けをして、犯罪者の大蛇丸に強くしてもらおうとしました。
 しかし、それこそ強くなっても、警務部隊としての「悪いこと」の償いにはなりません。サスケがすべきだったのは、兄やナルトより強くなることではなく、「いくら犯罪者が相手でもして良いことと悪いことがあった」、「里に迷惑をかけてしまった」などのように謝ること、頭を下げることだったはずです。
 つまり、サスケは「弱いこと」と「悪いこと」の区別が出来ていなかったのです。

 一方この『豪傑物語』の直後に描かれた、イタチの過去を描く『イタチ真伝』では、イタチがサスケや里を守るために汚名を受け入れていたこと、さらに「弱いこと」と「悪いこと」を意図的に区別していた可能性があります。
 イタチは忍者の学校のときから、教師を上回るほど優秀とも言える状況だったのですが、それで他の生徒に絡まれて回避していたときに、殴られそうになり、そこへ教師に「全員止まれ!」と言われて自分だけ止まり、相手だけ殴って来て、珍しく攻撃が顔に直撃したのですが、最初から影分身だったので本体は無傷でした。その能力を認められて卒業しました。
 これは、教師の間違った、あるいは周りが守るとは限らない指示にも従い、さらにそれで傷付かないようにする、能力の高さ、「強さ」と、模範的な「良さ」を両立させたと言えます。しかし、このようにするのは難しいことでしょう。
 同じジャンプの漫画『ワールドトリガー』では、異世界から日本の学校に来た少年が、「どこの国でもやり返さなければなめられる」、「向こうがルールを守るとは限らない」と言っています。ルールが自分を守らずに、守らない相手に有利になるかもしれない状況では、イタチのように「ルールを守る良さ」と「それで傷付かない強さ」を両立させるのはかなり難易度が高いと言えます。
 また、里の命令で一族を滅ぼした犯罪者として、別の犯罪組織「暁」に潜入したときも、イタチは、その汚れ仕事を受け入れつつ、仲間に彼なりの気遣いはしています。
 けれども、その犯罪者としての仲間すら裏切る大蛇丸は、自分の延命のためにイタチの体を乗っ取ろうとしていました。
 それを打ち負かしたイタチは「お前には足りないのだ。いや、足り過ぎている。欲望が。お前は人の命を…」と言って、そこに大蛇丸の部下の乱入で途切れました。
 おそらくその続きは「何だと思っている」なのでしょうが、そう言い切れなかったのは、イタチ自身に「俺がそう言って良いのか」という罪悪感があったためかもしれません。
 これに似た台詞として、原作では、イタチが、一族の仇を取ろうとサスケが立ち向かい、自分に取り押さえされたときに、「お前が勝てないのは憎しみが足りないからだ」と煽っていました。これはいずれ自分を殺させるためだったのですが。
 この「一族の仇を殺せないのは憎しみが足りない」というのは、「敵を憎めないお前は弱いし悪い」という意味で、少年漫画らしい「弱さ」と「悪さ」の一致したような発言です。
 しかし大蛇丸に対しては、イタチはおそらく、「お前は欲が足り過ぎている」、つまり「弱くはないけれども悪い人間だ」と言いたかったのでしょう。
 しかし、弱さと悪さを区別する表現は、『FAIRY TAIL』を除けばなかなか格好の付くものがない、あるいは『美味しんぼ』の山岡のように区別したつもりで自分が普段混乱させることを言っているように説得力を持たせにくいとも言えます。『イタチ真伝』では、イタチなりに「弱いこと」と「悪いこと」を区別しようと苦心していたかもしれません。

まとめ

 タブーとしてのいじめの問題や政治などの「難しい話」、「弱さと悪さ」の区別など、今回は私にとって「難しい話」でした。


参考にした物語や漫画



小説

日部星花,2019,『偽りの私達』,宝島社
日部星花,2021,『袋小路くんは今日もクローズドサークルにいる』,宝島社
重松清,2003,『カカシの夏休み』,文春文庫(『未来』)
重松清,2005,『ビタミンF 上』,埼玉福祉会(『セッちゃん』)

テレビドラマ

永井麗子(プロデューサー),奏建日子(脚本),2011,『スクール!!』,フジテレビ系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎ほか(脚本),池井戸潤(原作),2019,『ノーサイド・ゲーム』,TBS系列(放映局)
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
重松清(原作),伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2015,『流星ワゴン』,TBS系列(放映局)
武藤淳ほか(プロデュース),松本彩ほか(演出),黒岩勉(脚本),2021,『TOKYO MER』,TBS系列

漫画

井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
雁屋哲(作),花咲アキラ(画),1985-(発行期間,未完),『美味しんぼ』,小学館(出版社)
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
くにろう,2017-2021,『イジメの時間』,マンガボックス
真島ヒロ,2006-2017,『FAIRY TAIL』,講談社
葦原大介,2013-(未完),『ワールドトリガー』,集英社
宇津江広祐,2021-(未完),『ライフメーカー』,小学館

テレビアニメ

西崎義展(原作),出渕裕(総監督・脚本),2013,『宇宙戦艦ヤマト2199』,TBS系列(放映局)

伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?