見出し画像

あだ名が生まれる瞬間



小学生のとき、友達と色んなあだ名で呼び合っていた。

毛むくじゃらだから「もじゃ」
「うざ」という先生もいた。(理由はご想像にお任せします)
コッペパンみたいだから「こっぺ」
いつも短パンばかり履いてるから「たんぱん」
「OL」「豆」「ぺーちゃん」 などなど

ほぼ捻りのない、子どもの純粋な視点(ということにしておきます)が生み出したあだ名は時に辛辣なものもあった。変なあだ名であればあるほど未だに覚えている。あだ名をつけられていた人の顔も、鮮明に思い出すことができる。あだ名で呼ばれることは、親しみやすさや人気の高さを表しているようで特別な感じがしていた。(まあ、その逆も然り)
私も今までいくつもあだ名をつけられてきた。
それが最近この歳になって、新たなあだ名をつけられているのではないか、と思う出来事があった。

保育園に子どもたちを迎えに行くと、担任の先生から1日の様子を教えてもらえる。
息子の担任は、シンガーソングライターのあいみょんに似ている。とても可愛らしい。
そのあいみょん先生から「今日制作のときに、シャワーキャップを使ったんですが、シャワーキャップを◯◯くんに見せた途端『あ!これ、ママが毎日かぶってる!』って教えてくれたんですよー」と言われた。

「ママが毎日かぶってる」が脳内でリフレインし、その後のあいみょん先生の言葉が全く入ってこなくなった。


弁明させていただくと、毎日ではない。毎日だろうがたまにだろうが、恥ずかしさは変わらないのだが。
毎日ではない!


お風呂上がりに私がフェイスマスクをしていたら、その姿を見た息子がお腹を抱えて笑いだした。ツボに入った息子は、ひーひー声を出して笑っている。いい気になった私は、どこかで貰ったシャワーキャップをかぶり、あらぬ姿で登場した。すると、もっとウケた。更に調子に乗った私は、その姿でアホの坂田の踊りを踊った。これもまたウケた。娘も一緒になって、ひーひー言っている。とても幸せなひと時だった。

この一度こっきりの出来事が、のちのち尾を引くとも思わずに。
どんなときも調子に乗ってはいけなかった。迂闊だった。
ああ。

私がどんなに弁明しても、息子の発言によって「◯◯くんのお母さんは毎日シャワーキャップをかぶっている」と、あいみょん先生の中に植え付けられてしまっただろう。(別にシャワーキャップは悪くない。言葉の威力の問題)

それからというもの、私が子どもたちを迎えに行き、あいみょん先生と目が合うと「あ、キャップが来た」と思われているんじゃないかと想像し、なんとも言えない表情になっている自分がいる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?