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検非違使別件 四 ⑦

 石見丸の遺骸は獄舎裏の物置小屋に運び入れてある。雨じみの浮いた板戸を開き、稲若と共にそこへ足を踏み入れた。
 土間に板戸が敷かれてあり、石見丸が横たわっている。腹から背に貫通していた杭は抜かれ、むしろがかけられてあった。
 一目見るなり、稲若が再び泣き出した。しゃくりあげるような泣き方ではなかった。唇を引き結んで嗚咽をこらえて拳で何度も目元をぬぐうのだった。
 合掌すると、仁木緒は覚えている経文を口の中で唱えた。隣で稲若も合掌している。
「生前は罪人として罰せられたとしても、こうしてお前が死を悼んでくれるのだから、この男の魂は安らかに成仏できるよ」
 こんな言葉が慰めになるのかどうか、怪しみながら仁木緒は稲若に言った。
「後日、我らで遺骸を葬送地の鳥辺野へ運ぶことになるが、お前も同道するか?」
 鳥辺野の入り口である六道の辻で非人たちに遺骸を引き渡すのである。非人たちは死者を風葬にするか、あるいは木の枝に吊り下げて鳥に食べさせ、魂を天に送った。
 稲若は身をすくめた。あわてて仁木緒は首を振った。
「いや、葬送地の鳥辺野は子どもの足では負担かもしれないな。しばらく石見丸のそばにいてやるだけで、充分だろう」
 安堵したように稲若はうなずいた。仁木緒が小屋を出るとき、丁寧に頭を下げた。
「石見丸に、経をありがとうございます。おいら、うれしかった。人らしく扱ってもらって」
 
 それから大急ぎで尉・藤原有綱のもとへと足を向ける。
 途中、石川彦虫がいるかと左右の曹司をのぞいたが、姿を見かけることはなかった。紀成房と石川彦虫、そして自分の連名で解文をしたためたことを耳に入れておきたかったのだが。
 藤原有綱の曹司の蔀戸しとみどが見える場所まで来たとき、そこから本人が紀成房を従えて現れた。紀成房は獄舎から真っすぐ尉のもとへ先回りしていたらしい。
 廊下に片膝をついて控える仁木緒の烏帽子に、藤原有綱がやや早口に言った。
「おお、佐伯仁木緒。紀成房から聞いたぞ。たったいま左獄で殺人があったそうじゃな。それから、儀式で荒彦と能原門継が入れ替わっていたことで、解文を差しだすとのことも」
「はい。獄舎での殺人で被害者は石見丸。犯人は能原門継でございます」
「うむ、そのことだが……。佐の藤原隆方さまだけでなく、別当の源経成さまのご了解もいただきたい。ついて参れ」
「これから、すぐ……でございますか」
 さすがに唖然とした。
 ことが事だけに、更に上役へ届けられるだろうと予想していた。だがまさか、即座におのれが別当の曹司(執務室)まで呼ばれるとは考えていなかった。
 紀成房も緊張に青ざめている。仁木緒はふところから細長く折りたたんだ文書を取り出して、藤原有綱に差し出した。解文を捧げたことで、逆に落ち着きを取り戻した。
「かしこまりました。順として、こちらの解文は先に尉さまへお渡しいたします」
「うむ、しかと受け取った。ゆこう」
「はい」
 廊下を通り、渡殿を抜け、曹司前の広縁まで進んだ。広縁で控えているよう命じられ、紀成房と仁木緒は肩を並べた。頭を低くする。
 そっとうかがうと、そこには別当の源経成だけでなく、佐の藤原隆方、志・秋篠綾夫、府生の文屋兼臣ふんやのかねおみといった面々がいる。
 藤原有綱がまず、看督長二人を連れて来たことを告げた。仁木緒は更に平伏する。隣の紀成房も広縁で姿勢を低くした。直答を許され、先に口を切ったのは仁木緒だった。
「検非違使庁・看督長、佐伯仁木緒がこのたびの儀式について、重大な過失を犯したことを謹んでお詫び申し上げます。荒彦なる罪人が脱獄。未決囚の罪状を読み上げ、判決を言い渡し、足枷をつけるに及びまして、その身代わりとして能原門継を儀式に……」
「まあ、待て」
 意外にも別当の源経成がさえぎった。仁木緒はハッと顔をあげ、あわてて面を伏せる。すかさず藤原有綱が「解文がここにありまする」と佐の藤原隆方へそれを差し出した。
 和紙が広げられる気配がし、その間にも秋篠綾夫と文屋兼臣らが蔀を開いて風を通している。
(儀式での失態は検非違使の威信にかかわること。外に我々の話し合いを漏らさぬために、蔀を閉めるなら理解できるが、なぜわざわざ開いているのだろうか……)
 仁木緒は不審に思ったものの、それ以上考える余裕はなかった。
 おのれがしたためた解文がいま、尉と佐の手を経て別当にまで届けられているのだ。その一文一文が胸によみがえってきた。

 ……左看督長ひだりのかどのおさ、佐伯仁木緒が文書を差し上げて検非違使庁の裁定を申し請います。
 から始まり、舞姫が荒彦を伴って消え、代わって能原門継が現れたため、やむなくこの凶賊を身代わりにしたことが説明されている。
 ……囚人過状に名がある以上、荒彦が罪人であるに違いなく、身代わりの能原門継をそのまま荒彦として処罰すれば、荒彦本人を捜索、追跡してとらえる口実を失い、検非違使庁の権威が失墜するおそれがございます。儀式を尊重するためとはいえ、浅はかにも身代わりをたてたおのれの間違いを正すためにも、能原門継を改めて正式に捕縛者として扱っていただきたくお願い申し上げます。
 囚人の脱獄は看督長としての懈怠として厳しい叱責は覚悟してお受けいたしますが、かくなる上は逃亡した獄囚を捕らえることをもって、叱責を免除していただき、職務を励ませていただきたいと愚考しております……
 そのあとは本日の日付と仁木緒、紀成房と石川彦虫の署名が入っている。

 丁寧な手つきで解文を元のように折りたたみ、源経成が文箱におさめた。
「まず、おぬしが責を負うことはない」
「……え」
「いや、荒彦の脱獄などなかった。だが、もしも囚人の脱獄があったとすれば、それは獄舎の老朽化が原因である。獄舎再建については、以前より看督長たちから複数の解文が届けられていた」
 何を言い出すのだろう。謹厳実直で廟堂をうならせる「荒別当」と異名をとる源経成が。
 もしも囚人の脱獄があったとすれば、の語気をことさら強めたことにも違和感があった。
「ですが、わたしは」
 気づいたら仁木緒は源経成の方へ身を乗り出していた。
「控えよ……まあ聞け」
 思案気に眉をひそめた表情でうなったのは、佐の藤原隆方だった。
「検非違使の獄舎は右京(西)と左京(東)に置かれている。だが、右獄みぎのひとやは板塀が壊れた上に、半年前の火災で倒壊したままだ。そうであったな、文屋」
 うながされ、後を引き取ったのは府生の文屋兼臣だった。ぬるんとした粘りのある重い口振りで、文屋兼臣が同意した。
「はい、やむなく左獄ばかりに囚人を入れなければならぬ始末でございます」
 広縁で控えている仁木緒は、紀成房と顔を見合わせた。この上役たちは何を意図しているのだろう。
「本来なら、おぬしら看督長は獄囚が逃げぬよう監視する役目……看守にすぎぬ。それがいつのまにか罪人出身の放免を率いて犯罪現場に急行し、賊を追捕し、上役の呼びつけに応じて雑務を果たし、儀式の一翼をになうようになった」
 源経成が静かながらも熱を帯びた口ぶりになる。
「もともと獄舎の管理運営は刑部省の下の囚獄司しゅうごくしのつとめ。だが、検非違使が破損した獄舎を修繕するだけでなく、修理用の材木まで調達せねばならぬ羽目になっている」
「はい。つまり、せんじ詰めれば脱獄は獄舎が老朽化し、収容している罪人が多すぎるせいなのです」
 いままで黙っていた秋篠綾夫も迎合した。源経成は文箱から別の解文を選り出した。和紙を開く。
「これは以前、看督長らが連名で、検非違使庁の裁定をいただこうと提出された解文じゃ」
 藤原隆方に手渡され、佐から秋篠綾夫に渡される。庁でも声が良く通ると評判の秋篠綾夫によって読み上げられた。

 ……看督長、紀成房をはじめとした看督長十五人より検非違使庁の裁定を願い請います。獄舎の破損について、謹んで事情をご説明いたします……
という最初の一文が浪々と響き渡る。
 ……獄舎では左獄右獄ともに毎年のように板塀をふさぎ、建材の交換をしている現状がもう十年以上続いております。
 看守の当直の日であろうとなかろうと、昼夜を問わず検非違使さまにわたしたち看督長は呼びつけられ、多忙のために看守の勤めが滞ってしまいます。それでも囚人たちは堪えず脱獄をはかり気が気ではありません。
 脱獄を許せば看督長が検非違使さまの叱責を受けて責任を取らされ、自らが獄に投じられてしまうこともしばしばでございます。
 ひとさじの粥も一杯の水も手に入りがたい獄舎では、建材は朽ちて壁の修理は果たせぬ有様であり、台風や火災による被害によってますます破損は激しく、目を覆うばかりでございます。
 獄舎の応急処置ではもう間に合いません。罪人たちの脱獄を許さぬため、看督長たちが職務に励めるよう、獄舎の修理を完全なものとしていただきたく、このような解文をさしあげる次第でございます……
 あとは日付と、看督長たち十五人の名前が記載されてあった。

 労働環境の改善要求である。しかも、団体交渉という手段に訴えていた。

「この解文に覚えがあろう」
「は」
 仁木緒と紀成房が同時に応えたものの、なぜいまここで論じられようとしているのかが分からない。荒彦脱獄を不問に伏す見返りに、獄舎修繕要求の解文の責任を取れというのではありまいか……などと仁木緒は身を固くする。
「お聞きの通りでございます」
 解文を折りたたみ、さかん・秋篠綾夫が別当に対して頭を下げた。
「看督長だけでなく、わたくしめも獄舎の現状に胸を痛めています」
「わしも同じ思いじゃ」
 源経成が大きくうなずく。
「半年前、火事の炎が獄舎に近づいたおり、わしは別当の権限をもって獄舎の中にいる囚人どもを召し放つことはしなかった。罪人が焼け死なぬよう獄舎を解放いたしましょう、とみなは進言したが、あえて燃え盛る獄舎に罪人をとどめたのだ。帝がおわします都に、たとえ火がまわったといえども獄囚を放つわけにはいかぬ。おのれに罪があって獄に投じられたのだから、いたしかたあるまい、と。……結果、獄中の罪人たちは焼け死んだ。厳罰主義の荒別当などとこの一事でわしを名指しする輩もおるが、ひとえに都の安寧を思ってのこと。わしの真意を理解せず、表面だけ穏便にすまして罪人に恩赦をほどこし、おのればかりの安寧を御仏に祈る者のなんと多いこのごろか」
 死刑となるべき罪人が流刑となっても、恩赦があれば都へ放たれる。法がねじまげられ、廟堂で寛刑化がすすむ苛立ちを源経成は隠さなかった。
「この先、わしは厳罰をもって世間を騒がす罪人どもを取り締まるであろう。……だが、その火災で半壊した獄も再建されぬいま、儀式の不始末や脱獄などを、看督長だけに責を負わせられようか……」
「で、ですが……脱獄については、どう……」
 しどろもどろに紀成房が口を開く。素早く仁木緒はその袖を引く。意外そうに紀成房が仁木緒に目をやった。目交ぜして首を横に振る。
 ちょうど府生の坂上長谷男という男が渡殿を抜けて一人の貴人を案内してきた。
 実のところ、その男本人より先に、直衣に焚き染めた香がここまで流れてきている。貴婦人が好みそうな甘い沈丁とじゃ香を調合したらしい香りである。それがただよってきたときから、仁木緒は薄々感じてはいた。
(もしや……いまのやりとりを衣装に香を焚きしめた貴人にお聞かせするため、わざわざ蔀を開き、獄舎再建願いの解文を読み上げたのではあるまいか……)
 だとしたら、ここは荒彦と能原門継入れ替わりについて、口をつぐんでおいた方がよい。様子を見るべきだ。
 仁木緒に袖を引かれながらも、まだ紀成房は得心していない様子だった。だが、それ以上は口を開かず、平伏して貴人が曹司へ入るのを見届けた。
 そっと目を上げると、貴人は光沢のある直衣に高い烏帽子をかぶっていた。当然ながら、広縁に控えている仁木緒たちには見向きもしない。
 曹司内の男たちは居住まいを正すと、その場に平伏する。
 貴人は上座にいる源経成の正面に進み出た。すかさず敷物と脇息が用意された。敷物に腰をおろし、脇息にひじをつくと貴人は手の中で扇を半ば開き、閉じた。また扇を開くと、それでお歯黒で染めた口元を隠して目を細める。
「経成どの。あなたの邸門前で今朝行われた着鈦ちゃくだの……。儀式に不備であったらしいと、すでに内裏でウワサになっておりますぞ」
「これはこれは、刑部省大輔・錦景時どのが直々に検非違使庁へいらっしゃるとはおめずらしい」
 源経成の口ぶりはどこか人が悪かった。

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