見出し画像

検非違使別件 三 ⑥

 薄暗い獄舎に近づくにつれ、すえた異臭が強くなった。男たちの罵声とうなり声、ケンカ腰に言い争う気配が耳朶をゆらす。
 同僚の看督長・橘貞麿たちばなのさだまろと放免三人がいた。格子がはまった集団房の前で鉾を構えているが、突入の間合いをはかって佇立しているばかりだった。同じ房内では多くの囚人たちがたむろしていたが、当然ながら誰も能原門継のそばに寄ろうとはしない。
「荒彦、まずはその子どもを放せ。このような狼藉をして仏罰が恐ろしくはないのか? 石見丸の傷を診なくてはならぬ。怪我だけなら罪は軽かろう」
 なだめる口ぶりで橘貞麿たちばなのさだまろが身をかがめている。手は腰のあたりで鉾をつかんでいたが、明らかに気おくれし、争いを厭う風情だった。
「うるせえ! おれを荒彦などと呼ぶなッ。佐伯仁木緒をここへ連れて参れッ」
 能原門継は足元の血だまりに石見丸を倒したまま、髪をふりみだした小さな人影を左腕で押さえつけていた。目をぎらつかせ、右手は稲若の首根にかけている。ぎゅっと握力を強めれば、稲若は絶息しかねない。体の自由を奪われている稲若だったが、憎々し気にわめいていた。
「刺しやがったッ。こいつ、石見丸を刺しやがった……ッ。おいらの目の前でッ」
 叫びながら稲若は泣いていた。捕らわれてからずっと泣きっぱなしだった。足元で倒れている石見丸の腹部から背中へと、杭が突き出ていた。すでにぴくりとも動かない。仁木緒たちが橘貞麿に詰め寄った。
「貞麿、何があった」
「見ての通りじゃ、仁木緒」
 同期に看督長となった橘貞麿が、仁木緒の顔を見て安堵の吐息をつく。
「荒彦が石見丸を刺したのだ。儀式のおり、獄舎へ戻るときに石見丸と争ったのを恨みに思ってのことだろう。おまけにおぬしを呼べと騒いでいるのだ」
 自分が担当している時刻に獄舎でこんな騒動を起こされ、手を焼いているのは理解できるとしても、橘貞麿が他人の助力を当てにし過ぎるのは今に始まったことではない。
「ただでさえ罪でケガレた者たちばかりいるというのに……。獄舎がまた血でケガレてしまった上に、死人が出た。……ここが怨霊の住まいになってしまうわい。ほとほと困って、これから経を読もうかと思っていたところでな……」
 鉾を壁に立てかけて、たもとから数珠をつかみ出した。口の中で念仏を唱え始めた。
「そんなことはあとにしろ」
 こいつ、本当に火長を経て検非違使庁・看督長になったのだろうか。仁木緒はいまいまし気に橘貞麿を押しのけた。格子牢内の能原門継をにらみつける。
「おい、おれならここにいるぞ」
 房の前に出て、屋根の破れ目からもれる陽光に自分の顔をさらした。
 薄闇の中から仁木緒を認めると、能原門継はにやりとした。
「ここから出してもらおうか」
「ばかを言え。子どもを人質にすれば出られるとでも思っているのか」
「囚人を刺して小僧を質に取ったのはお前を呼ぶためさ。これからお前は右京三条に建つ藤原登任なりとうさまの邸へ行ってもらう。そこで家司(執事)の伴家継とものいえつぐという男に会え」
「会ってどうする」
「会えばわかる」
 仁木緒には見当がついていた。能原門継も貴族のはしくれである。伝手をたよって検非違使の獄舎から出してもらうつもりなのだろう。石見丸を刺し、獄中で騒動を起こして看督長の責任問題を大きくしたうえで、自分を召し放つ手続きの一翼を仁木緒に押し付けようとしているのだ。
(だが、藤原登任さまの名が出るとは……)
 藤原登任といえば左兵衛府の「尉」から官人として出発し、妻は「余五よご将軍」の異名を取る平惟茂これもちの妹だと聞いている。武人とのつながりが深い。令外官・蔵人を皮切りに、大和や能登の国司を歴任。最後に勤めたのが陸奥守であった。
 囚人過状による荒彦の犯罪にも「前陸奥守の邸を付け火、雑仕女を殺害」と記されていた。
 その地方では最高権力者に当たる「かみ」であった任地の陸奥で、勢力を誇っていた安倍一族との戦いとなり、鬼切部おにきりべで大敗を喫したために藤原登任は更迭されたのだ。
 都に戻ったものの次なる国守の職もなく、失意の中でうつうつと過ごしているという風聞である。すでに出家し、世捨て人となったというウワサも聞く。
(荒彦の犯罪現場は藤原登任さまの邸。そこの家司・伴家継とこいつは昵懇なのか)
「いいだろう。だが、その前に石見丸の傷が心配だ。扉を開くぞ」
「武器はそこへ置いておけ!」
 腰の太刀を鞘ごと抜いて橘貞麿に渡した。春駒丸が緊張した面持ちで六尺棒を構えている。
 格子戸の錠に使っている横木を抜き、扉を開いた。背をかがめて仁木緒は房へ足を踏み入れる。
 稲若を突き放すなり、能原門継が走り寄る。その動きは予測していた。両腕を広げて上からかぶさってくる能原門継を、そのまま肩に担ぎあげた。背丈は相手の方が上回っていたが、両手で腰を抱いて体を丸め、前のめりになると見事に一回転した。
 あおむけに倒れた能原門継のみぞおちを左肩で押さえつける。その間にも春駒丸と橘貞麿らが突入してきた。
 たちまち後ろ手に縄で縛られ、悔しがるかと思えた能原門継はさも面白そうに哄笑した。稲若は横たわる石見丸のそばに膝をついて、ひじをあげて目元に当てている。肩が震えていた。
「おい、怪我は……」
 稲若の肩越しに石見丸をのぞきこみ、仁木緒は息を止めた。耳に障る能原門継の哄笑は続いている。
 歩み寄るなり仁木緒は力任せに能原門継を殴りつけた。放免二人が能原門継の縄をつかんでいたが、仁木緒の強烈な殴打で三人がひと固まりになって尻もちをついた。
 胸倉をつかんで能原門継を引き寄せ、更に固めた拳をお見舞いしようとしたとき、紀成房が止めに入った。
「こいつには色々と問いたださねばならぬ。正式にお取り調べがあるまで、これ以上の手出しはよせ」
「獄舎内で人殺しとは許せませんッ」
「石見丸の遺骸を運び出せ」
 合掌して目を閉じ、数珠をまさぐりながら橘貞麿が命じる。放免たちが石見丸の遺骸を持ち上げた。稲若がそれについて行こうとする。橘貞麿が顔をしかめた。
「小僧、お前はこの獄舎に留まっておれ」
「いやだい!」泣きじゃくりならが歯向かった。「おいら、石見丸と一緒に行くんだッ」
「ばかを申せ。お前は儀式を乱した罪人だぞ。獄舎が血でケガレたのじゃ。清掃しろ」
 橘貞麿が稲若の薄い肩をつかむ。仁木緒が割って入った。
「いいんだ。石見丸の遺骸と外へ出してやれ。子どもを投獄など哀れすぎる」
「ふん、仁木緒が言うなら……まあ、よいだろう」
 橘貞麿はすみでうずくまっている囚人たちに顔を向けると「おい、ここを清めておけよ」と命じた。
 ゆけ、と仁木緒があごをしゃくると、放免たちが石見丸の遺骸の頭と足をそれぞれ抱えあげた。それに付き添って稲若と紀成房らが獄舎から出ていった。
 後ろ手に縛られた状態で能原門継はうずくまっていた。ふてぶてしくあぐらをかいている。右に顔をそむけるなり、ベッと血の混じった唾液をはいた。その場に控えていた春駒丸が六尺棒の先端で能原門継の肩を小突く。
「殴った程度で、おれが大人しくなるとでも思うのか」
「なんとでも言え」
 目を怒らせる仁木緒とは対照的に、能原門継は薄笑いを消さなかった。「石見丸のどてっぱらにとがった杭を打ち込んで、息の根を止めてやったのは慈悲だ。どうせ獄につながれれば飢えと病で死ぬ。じりじり死んでいくくらいなら、あっさり殺された方がマシってものだろうが」
「石見丸は罪人とはいえ、稲若にとってかけがえのない大事な人間だったはずだ」
「へ、恩赦があれば自由の身になれることがあるしな」
「それが分かっていて殺したのか」
「運が良ければ、さ……。ふん、ご身分の高い方々が、ご自分の往生と来世がすこやかであらんことを祈って、ひんぱんに恩赦がほどこされるからなぁ。死罪を流刑に軽くするのも、上つ方々がお清らかな手を罪人の血で汚したくないだけのこと。つまりはただ徳を積むふりをなさるというわけだ。実際は他人の苦しみ、貧しさなんかこれっぽっちも考えちゃいない。ご身分あるお方ばかりがきらびやかに富む世の中だ。石見丸も真人間を気取らず、みなしごの世話なぞしなければよかったのだ。見知らぬ上つ方々が楽しく清らかに暮らしているのはどうでもいいが、吐き気がするんだよ。赤の他人に親切をほどこして徳を積もうなんて、殊勝な心掛けをするヤツが身近にいるとな!」
「獄中で人を殺めたとなれば、おれたち看督長の怒りを買うのは目に見えているはずだ。しかも、藤原登任さまに仕える家司に掛け合って獄から解かれようとした。貴様にどういう魂胆があるにしろ、これから先は極刑よりもつらい毎日が続くぜ」
 感情を押し殺し、仁木緒は能原門継をうかがった。
「死んだ方がましだと思うような懲役が科され、誰からも見捨てられ、お前は獄中で畜生以下の扱いを受けるだろう。それでもおれをここへ呼びだすためだけのために、石見丸を殺したと言うのか?」
 一瞬、能原門継の口元から笑みが消え、瞳の中に憎悪の炎が揺れる。再びにやりと頬がゆがんだ。
「検非違使など、貴様などに、縄目をかけられるおれではないのだ。逆に貴様を獄中に投じて苦役につかせてやる。その日を楽しみに待っているがいい」
 ついに仁木緒は能原門継の肩を強く蹴った。関節が損なわれる鈍い音がし、能原門継が激痛に悲鳴をあげる。そばにいた橘貞麿と春駒丸がぎょっと身をすくめた。転げまわる能原門継へ仁木緒は冷ややかな声を投げた。
「お前にどれほどの仲間がいるかは知らないが、必ず罪科のつぐないはさせてやる」
 痛みにあえぐ能原門継を残して仁木緒たちは房の格子戸を閉じ、錠をおろした。三人は獄舎の闇から出た。獄舎入り口に春駒丸を立たせておき、黙って橘貞麿は仁木緒に太刀を手渡した。
 すでに石見丸の遺骸は裏の物置小屋へ運び去られ、例の枯れ井戸のところにポツンと稲若が立ちすくんでいた。もう泣いてはいなかったが、肩を落とした姿は獄舎でわめいていたときより、一回り小さく感じられた。
 仁木緒の姿を認めるなり数歩近づいた。こちらをうかがい、声をかけられるのを待つそぶりである。
「どうしたものかな」
 橘貞麿が横目で稲若を示しながら声をひそめた。
「仁木緒よ……あの荒彦だが、わしの目は節穴ではない。あやつは能原門継……ではないのか?」
「うむ……それには訳があるのだ」
 曖昧に言葉を濁した。ふところに入れた解文に手をやって、足元の小石を軽く蹴る。
「長年捕縛できずにいた能原門継が獄にいるのはまことに喜ばしことじゃ。だが、どういう権門の家筋とつながりがあるか知れぬ。捕縛したつもりが、下手するとこちらが濡れ衣をかぶせられ、訴えられかねぬぞ。それにあの稲若だが……儀式を乱した罪をつぐなわせるため、このまま獄へ戻してしまってはどうじゃ」
 普段は「仏罰が」「怨霊が」「たたりが」などと浅はかなことを口にする橘貞麿だが、おのれが罪深いことを提案しているという自覚がないらしい。仁木緒は眉間にたてじわを刻んだ。
「そんなことをすれば稲若はきっと能原門継へ仕返しをたくらむぞ。そして殺されてしまう」
「う、そうかもしれんな……。だが、それは致し方のないこと。孤児の保護は我らの職掌ではない」
「つまらんおしゃべりはうんざりだ」
 橘貞麿を押しのけた。顔を上げると稲若と目が合った。表情から、こっちの話しを全て聞き取って理解していることが察せられた。
「おい、稲若と申したな」
「石見丸は、もう閉じ込められなくて、いいんだね……」
仁木緒と稲若が同時にしゃべり、仁木緒が相手の話しを聞くために口をつぐんだ。稲若は自分の胸を指さした。
「おいらは稲若。石見丸はみなしごのおいらが溺れていたところを助けてくれたんだ。それからは川で漁をして一緒に暮らしていたんだけど、網が流されて仕事できなくなっちゃったんだ。それで石見丸は賭博に手を出した……」

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?