見出し画像

ゆるふわ美術鑑賞〜『聖セバスチャンの殉教』で性的キャパシティを広げよう

ヘッダー画像…

Odilon Redon  “The Martyrdom of Saint Sebastian”(1910)


こんにちは酪農家ヤコです。

いきなりですが、今回はスタディをさぼっちゃいます笑。一緒に美術鑑賞しませんか。

今回は、よくあるモチーフではあるんですが、画家個人のフェティシズムがとても色濃く現れる『聖セバスチャンの殉教』という絵画をたくさん集めました。

難しい説明はナシ。鑑賞者たる皆さんは、ぜひこちらに注目してみて下さい。

聖セバスチャンに刺さってる矢の数、刺さり方、下半身の布の状態、その他気になる興奮ポイント

それでは参りましょう(^^)♬


まずは穏やかに。ルネサンス期の画家ペルジーノ先生の作品です。天を仰ぎ見る聖セバスチャン。刺さってる矢は2本と少なく、流血も控えめ。モデル男性の肉体美を落ち着いて堪能できますね。

下半身を覆う布は薄手で透け気味だし、今にも落ちそう。巻いてある形も意味深。ここがこの絵の一番の興奮ポイントでしょう。

画像2

Pietro Perugino “St. Sebastian tied to a Column” (1510)

ーーーーーーーーーー

続いて象徴主義の画家ルドン先生。矢は少なく、血は流れていませんね。象徴主義というのはクールベなどの写実主義の反動で、描かれた人物の多くは現実を見ずに精神の世界に入り込みます。この聖セバスチャンも目を閉じてうつむいていますね。

この絵にはあまり性的フェティシズムは感じられないかもしれませんが、全体を包む神秘的な雰囲気に魅了されます。

画像3

Odilon Redon “Saint Sebastian” (1911)

ーーーーーーーーーー

ルーベンス先生。バロック様式らしく身体をくねらせ、天を仰いでます。

矢の数が少し増えましたし、シャフト部分というのか、木の棒の部分が太くなってます。マッチョな身体に見合うように描かれていると思います。

この絵の興奮ポイントは…そうですねえ…不安や恐怖からか、力がこもっていると分かる足の指先ですかね。まあこの絵は私のタイプとは外れているので、ちょっと無理しました。

画像4

Peter Paul Rubens “St. Sebastian” (1614 )

ーーーーーーーーーー

では次。これも最初に出てきたペルジーノ先生。こっちの方が古い作品ですね。美的感覚のずれか、お顔がユーモラスに見えてしまう。見る限り矢が描かれてないようで、刺される前の状態であると思われます。

興奮ポイントは、ありますね。下半身の布ですね笑。ペルジーノ先生は布をこういう形に描いちゃうのだろうか?他のバージョンもあるなら見たいです。

あと聖セバスチャンの手首をくくりつけるのに、わざわざ木の枝を切った形で描いてる??これがなんだかよく分からなくてツボでした。脚の角度といいこだわりが色々ありそう。

画像16

Pietro Perugino “Saint Sebastian” (1485)

ーーーーーーーーーー

さてこちらは一部界隈で有名なレーニ先生の作品。完全にこの男の子が描きたいだけで描いてますね!矢の数少ない。くねるたくましい身体。

画家はきっと、「彼の肉体のどこに何本矢を刺そうかな~♬」って、アトリエで興奮していたに違いない。そして下半身の布の巻き付き方もエロいですね。敢えて厚手の感じがいい。

画像6

Guido Reni “The Martyrdom of Saint Sebastian” (1616)

で、若い頃この絵を見て興奮しちゃって、やがては自分を同化させて写真撮影した極東の国の男がいるらしい。私の趣味ではないけど…。

画像7

篠山紀信 “三島由紀夫” (1968)

ーーーーーーーーーー

次。こちらもペルジーノ先生なんですって。3作目。

特徴は首に刺さってる矢のラインに沿って文字が書かれているところです。P[I]E[T]RUS PERUSINUS PINXIT" (Peter of Perugia painted [this])  とあるそうで、画家のサインのようなものだと。オシャレで近代的ですね。

静謐さの中のエロスがあるように思います。この絵には下半身の布が無くて残念。想像で補いましょう。

画像8

Pietro Perugino “Bust of St.Sebastian”(1494 )

ーーーーーーーーーー

さーて、これは間違いなく興奮してますね!モデルの少年に!画家が、聖書の物語そっちのけで人物の肉体そのものに関心がある時は、鑑賞の邪魔にならないように矢が少なめな気がします。あんまりたくさん刺しても美少年が可哀想ですからね〜〜。生意気そうな表情がいい〜。

画像12

Lorenzo Costa “Saint Sebastian”(1490-91)

ーーーーーーーーーー

こちらのパネル画なども正にそうで、モデルの少年の身体を美しく描くことが第一目的で。矢の数控えめ。急所を外してあげてる。布もピンクがかってエレガントですね。美しい〜。

画像17


Giovanni Battista Cima da Conegliano “Saint Sebastian” (about1500)

ーーーーーーーーーー

さてこちらはどうしようもなくエロ全開の作品。下を向く少年の苦痛に満ちた表情!それをわざわざ影で暗く覆う!

腕だけに矢を貫通させてる、1本目が刺さった瞬間でしょうか、とても動的な表現ですね。

そして布!布です!厚み、模様もすごい力入ってる。でも!なんと!身体にそれを留めさせているのは腰にある2本の極細ヒモのみ!

たぶん画家はこのヒモを最後の仕上げに描いてますね。顔よりも、矢よりも。どちらかと言えば下のヒモのほうがより張った状態で彼の腰に食い込んでますから、描く時の興奮度が高いかと…。画家は下側のヒモを最後の仕上げに描いたと推測します!皆さんはどうですか?

画像18

Lorenzo Lotto “Saint Sebastian” (1531)

ーーーーーーーーーー

さて。「これが本来の『聖セバスチャンの殉教』じゃあ!」と言わんばかりの、聖書の物語に即した作品を。

上記のルネサンス作品と同時期なのに、こちらはまだ宗教的素朴さが残っていますね。イタリアではなくフランスで描かれたものです。

すごい。グッサグサ。恍惚感などは無く、あくまで物語の説明ですね。でもサディズム的な感じも少しはあると思うんですよね。

画像13

Guillaume Le Rouge “Printed Book of Hours (Use of Rome): fol. 102v, St. Sebastian” (1510)

ーーーーーーーーーー

ルネサンス初期のイタリア人画家、ゴッゾーリ先生。こちらも聖セバスチャンは大きな物語の中にいますね。矢が多いです!豪奢で、物語全体に包まれるようなうっとり感がありますね。

下半身を覆う布が、巻き付け型ではなく、現代的な普通の男性用下着みたいになってるのが興奮ポイントかな。そうすると、男性器の形が浮き上がるようになりますね。これも一筆一筆丹念に書き込んだのかと思うとこちらも不思議な気分になってきます。

画像18

Benozzo Gozzoli “Martyrdom of St. Sebastian”(1465 )

ーーーーーーーーーー

ちなみにゴッゾーリ先生の別の作品。聖セバスチャンが大きく描かれていて、「フッフーン」って表情ですね。矢の数が多い…。

下半身に目が行きますね。男性用下着の形が…。「ゴッゾーリ先生!ここ興奮しながら描いたんですか?そうでしょ!?」(天に向かって)

画像19

Benozzo Gozzoli “St. Sebastian” (1464-65)

ーーーーーーーーーー

さてお次。こちらもゴッゾーリ先生と同時期の、聖書の物語比重が高い作品。

なんと布が透明素材で透けてます。「なんでわざわざこんな描き方を?」と思いますよね。

これなんです。他人にとっては必要を感じなくても、当人だけには非常に大切なこと、それを真面目に一生懸命やる。実はこれこそが芸術の本質のような気がしています。

誰が何と言おうと、布を透明素材で描きたかったんじゃい!

画像18

Giovanni di Paolo “Saints Fabian and Sebastian” (about1475)

ーーーーーーーーーー

さてこちらは間違いなくサディスティック味を感じます。だいぶエグくなってきたので限界の方は休んでね。

矢が太いし長い。首に貫通してるのがすごいね。人物がすごくリアルで、悟ったような表情が聖人らしさを表しているというか。でもちょっとエロいんだよなぁ。目を逸らしたくても見入ってしまう作品です。

画像15

Francesco Bonsignori “De heilige Sebastiaan” (1470-1490)

ーーーーーーーーーー

さぁラストはマンテーニャ先生2作品です!

背景の描き込みとかなんか色々気になりますが…まずは聖セバスチャンの表情ですかね。天を仰いで苦悶に満ちてる。くねらせる身体に様々な方向から矢が刺さる…。

頭と首の2本が繋がるように描かれ不気味な直線になってるし、下腹部の3本の奥行き感というか…なんかもうとても恐ろしいわ。マンテーニャ先生。

あと腿や膝の矢の刺さり方ね…ここを気に留めつつ、いよいよ最後の作品に行きましょう。

画像17

Andrea Mantegna “St. Sebastian” (1475)

ーーーーーーーーーー

最後!マンテーニャ先生2作品目。

わー!何度見ても本当にすごいけど、腿見て!膝見て!↑の作品と似てるけど、なんと皮膚が矢の形に薄く盛り上がってるの!これがヤヴァイ!

表情といい、腕を縛るヒモの食い込みといい、右足の指先の開きといい、全部すごい!!でも慣れるとこれが1番好きな作品になっちゃうんだよなぁ…。興奮ポイントとかいう次元じゃなく、どんな精神状態でこの絵を描いたんだろマンテーニャ先生…!

画像18

Andrea Mantegna “St. Sebastian” (1506 )

ーーーーーーーーーー

このモチーフは他にも数多の画家たちがモチーフにしてますので、ぜひお気に入りを探してみて下さい。そしてできれば、「なぜ自分がそれを気に入ったのか」まで深掘りすると、もっと楽しいと思います。


はい。お付き合い頂きありがとうございました。楽しかったです。

このように聖セバスチャンの絵画を並べるのは特に新しいわけではなく、割とよくあることなんです。学問的地位もあるような方が、聖セバスチャンを腐女子のためにBL的に解釈しようなんて記事もありまして。これには励まされましたね笑。

今回は単に美術館気分を味わいたかったのと、あと他に気になることがあって。

最近みんなどうしてもイライラしがちなのもあるけど、「自分は寛容だ」と思っている人が実はけっこう他罰的、っていうのを目にしますよね。

以前ツイッターで、

「未成年女性を性的消費することの何が問題なのかよく分からない」

「女子校のプールの水になりたいとは思わないけど、そう思う人がいても良いし、そう公言する人がいても良いし、そういう人が堂々と弁護士をやっていてもいい」

といった、別にこれといって普通な(と私には思える)ある弁護士さんのつぶやきに対し、いわゆるリベラルな方々も加わってかなり激しい攻撃をかけたのです。SNSではこれと似たようなことが数日おきに発生しているような感じです。

怒ってる皆さんってたぶん、人間のこと、あんまり分かってないし、考えたこともないんじゃないかなぁ。あと自分はキレイな存在だと思ってるとか。他人もキレイでなきゃいけないとか。

別の言い方をすると、こういう性的な言葉や表現に対して怒っている人たちって大体、「自分の恥ずかしさに耐えられない」だけ、「自分の怒りに耐えられない」だけ、なことが多いんじゃないかと。

そういうあくまで個人的な話を、社会の問題だとか大きい話に置き換えて何とか人を押さえつけようとしている、自分の視界から見えなくしようとしている。そういうところがあるんじゃないのかな。

もちろん個人の問題に収まりきれなければ社会に訴えるべきですけど。「そんなに怒る?」ってことが多過ぎる気がして。私も気をつけますが。

きっと誰にだって、頭のおかしい性癖の1つや2つ、普通にありますよね。犯罪につながならなければ、まずはそのことを素直に受け入れる方が、きっと他人にも寛容でいられるんじゃないかと。

ほら、ここに挙げた画家たちみんな、様々な制約もあっただろうに、自らの内にある自由も奔放さも欲望も決して手放してない。過去の偉大なる芸術が教えてくれることがあると思います。


ということで、ではまた^ ^