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北海道酪農の民は守られている

こんにちは。これから本のご紹介や考えたことなど書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

さて今回の本は、

『酪農語録 北海道酪農を築いた人びと』
髙宮英敏(2008年)酪農学園大学エクステンションセンター

です。

明治期に始まる北海道開拓、それは北海道酪農の始まりでもありました。様々な困難に立ち向かい、その歴史に名を刻む21人1団体の業績を、平易な言葉で伝えてくれる良書です。

思えば、私たち家族が酪農家になろうと一念発起し北海道に移住してから7年経ちました。少しは道民らしくなってきたとは思いますが、開拓期の歴史についてはほとんど知らなかったので、この本を読み進めながらずっと感動しきりでした。

偉大な先駆者たちが紡いできた北海道酪農物語。私たちは、その最新ページを書いているのだ…そう思うと、とても誇らしい気持ちになりました。

私たち北海道の酪農家は、この地で、この仕事をしているだけで、自信を持っていいのです。

印象に残った文をいくつか。

北海道に酪農をもたらしたアメリカ人、エドウィン・ダン

ダンが札幌に赴任するのは一八七六(明治九)年六月一日である。前年に七重官園(今の渡島管内七飯町)、札幌官園(今の北海道大学付近)などを視察。真駒内にあった放牧場を牛の改良のための牧場に整備することを開拓使に進言し、認められた。これが真駒内牧牛場である。
真駒内牧牛場の建設は、ダンの赴任と同時に始まった。完成は一八七七(明治十)年十一月である。搾乳場、生乳場、穀物貯蔵庫などを完備し、約八十一ha(約二百エーカー)の原野を切り開き、乳牛の飼料となる牧草やトウモロコシのほか、根菜類も栽培した。当時としては国内第一級の牛牧場であった。生産した牛乳は払い下げられて、札幌の市街で販売され、バターやチーズ、粉乳も製造したという。(p.17-18)

こうして北海道酪農の幕が開いたのですね。慣れない土地で何かも手探りだったでしょうにすごいですよね。

行動の人、黒澤酉蔵

北海道では昭和六、七、九、十年に相次いで凶作(八年は豊作貧乏)に見舞われた。この連続凶作で根釧原野の農民はむしろ旗を立てて「生活を救え、保証せよ」と暴徒化したという。根釧の農事試験場の支場では米作の試験が行われていた時代だ。穀菽農業は南方型農業だから冷害に弱い。冷害に襲われれば経済力の乏しい農民は農民は困窮する。凶作で農民が殺気立つ中、北海道長官の佐上信一が現地を視察したが、黒澤は佐上に「明治以来の(主穀中心の)開拓方針を改め、徹底的に乳牛の飼育を奨励すべきだ。牛主体の酪農経営に大転換するため、農民にただで牛を与えよ」と建言する。
こうして樹立されたのが「根釧原野開発五カ年計画」である。(p.42-43)

農民のために、農政の方針を変えさせてしまうのは驚きです。こうして北海道中で酪農が盛んになっていったのですね。

北海道酪農の基礎作りに一生をささげた、深澤吉平

遠浅[※今の胆振管内安平町遠浅]酪農の開拓は、乳牛のダニ熱が出て斃死牛が続出し、火山灰地のため飼料の単価が低いなど辛酸をなめた。収入が少なく、資金の償還期を迎え存亡の危機に見舞われた時、「三年の間は衣服類は一切買わず、食物は自給を主としてなるべく買わず…家畜を愛して吾が家族と心得、糞尿は土地の貴重なる食物なれば聊かも粗末にせず、一家の食料、家畜の飼料を豊富に収穫することに専念する」と誓い合い、酪農理想郷をつくり上げた。(p.74)

開拓の苦労が伝わってきます。初めは牛も人も大変だったのが分かりますね。牛の糞尿が北海道の土地を豊かに変えていったのですね。

酪農家たちは次第に、力を合わせて困難に立ち向かうための「組合」を結成していきました。

北海道酪農の父、宇都宮仙太郎

宇都宮は札幌や東京で牛乳搾取業[※酪農業という言葉が生まれる前の呼称]を経営、文字通りの精農ぶりで頭角を現す。札幌では仲間と「札幌牛乳搾取業組合」を結成、組合長として今日の北海道酪農につながる基礎づくりを行う。
札幌牛乳搾取業組合は、現存するわが国最古の酪農家の組織で、開拓使札幌麦酒醸造所(サッポロビールの前身)から出るビール粕を共同購入する組織である。(p.32-33)
この組合の主力メンバーが核となって、わが国初の生乳出荷組合である札幌牛乳販売組合(サツラク農協の全身)が設立された。(p.33)

組合が生まれたのは酪農業の安定のためだったということです。その存在の大切さを改めて感じました。

もっとご紹介したいのですがひとまず次で最後です。

農民を守る法律制定に尽力した農林官僚、檜垣徳太郎

酪農こそ日本農業の進歩・発展の一番の期待分野。適切に保護するのは、どうしても不可欠なことだ。(p.180)

最も印象に残ったのがこの言葉でした。

昨今、酪農家(ひいては日本の農家全体)に対して、「甘やかされている」「非効率なやり方をいつまでも続けていて努力が足りない」「補助金で保護され過ぎている」「農協などなくしてしまえ」などと言われることも多くなりましたね。それゆえ「もっと私たちを守ってくれ」とは主張しづらいかもしれません。

しかし、この本で紹介されている偉人たちは、農民の暮らし守り、酪農基盤を守り、食糧生産を守ることに人生を賭けてくれたのです。そうしないと、不安定な酪農の仕事など成り立たないからです。

つまり、困り事を解消し、安定を目的とした(節度ある)保護の要求は、至極当たり前のことだと考えて良いのです。現代の我々だって同じようにしていかないと、過去から受け継いだ先人たちの努力の結晶をみすみす手放してしまうことになります。

自信を持ちましょう。私たちも遠慮なく農協や自治体、道や国に、訴えていきましょう。それは未来の酪農家たちのためでもあるのです。

「前人樹を植えて後人涼を得」ということわざがあります。昔の人が木を植えてくれたおかげで、後の世代の人が木の下で涼むことができるという意味です。私たちはこの大地に木を植え続けることが必要なのです。

北海道酪農の民は、現在も、そしてこれから先もずっと、守られる。歴史の偉人たちも見守ってくれている。

それを忘れずに、今日も仕事を頑張ろうと思いました。