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美術館から追い出された話

えーと、みなさんは美術館って行きますか?僕は割と好きで、特に外国を旅行した時なんかはよくその場所にある美術館に行ったりします。地元のあんまり大きくない美術館とかだと、ローカルの作家の作品がメインであることが多いので、その作品から国民性みたいなものがうかがえたりしてけっこう楽しいです。

ちなみに、僕が今住んでいるロシアはサンクトペテルブルクにもたくさんの美術館があります。特に有名なのはエルミタージュ美術館でしょう。もとはエカテリーナ2世が建てて、皇帝一家の邸宅だったわけですから巨大なのはまあ当然なんですが、それにしても広いです。作品数も300万点と膨大で、一説には全て見て回るには一月かかるとも言われています。そんなわけで、見ている方としてもどうしてもせわしなくなって、鑑賞するのも駆け足になってしまいがちです。というわけで個人的にはもう少し小さめの美術館が好きです。今回はそんなロシアの小さな美術館で先日起こった話です。

ロシア美術館は19世紀後半から20世紀前半のロシアの作家のすぐれたコレクションを有しています。ちょうどドストエフスキーとかトルストイとかが活躍していた時代ですが、絵画の方でも非常に優れた才能があふれていました。意味が分かると恐ろしい絵画を紹介する本「怖い絵」シリーズで有名な中野京子さんが表紙の一つに採用したのもあって、ご存知の方も多い「皇女ソフィア」を描いたレーピンの作品も多数収蔵しています。(ちなみこの作品はモスクワのトレチャコフ美術館に収蔵されております。)

さっきのエルミタージュなんかだと7,8月の観光シーズンともなれば、世界中から来た観光客でごった返しになります。どんな感じかというと、東京の上野美術館でゴッホ展をやったところを想像してもらって、それの6割くらいの客入りと思ってもらえばいいと思います。話はそれますが、東京の美術館の特別展の込み方って異常ですよね。あれは鑑賞のクオリティを爆下げしてると思います。世界の美術館の流れに合わせて、オンラインで事前チケット販売して入場数規制すればいいのにと思っています。値段を上げたとしても顧客満足度は確実に上がるでしょうから納得感は得られるはずです。その点において、僕の好きなロシア美術館は普段から人はまばらで、それに加えてコロナの影響でさらに人が少なくなり、普段以上に快適に作品鑑賞ができるようになりました。

僕はこの美術館が好きで、たぶん月に2,3回は行っているので、どこにどんな作品があるのか勝手に覚えてしまいました。作品が移動したり、新しい作品と入れ替わったりしたらすぐに気づきますし、展示室の照明が少し明るくなったなあとか、この絵は新しい額縁に変わったなあみたいな細かいことも気づいたりします。何回も訪問しているうちに当然ながら好きな作品が出てきて、その作品の前で飽きもせずに10分とか15分とかぼんやり見てたりします。ロシアの美術館は展示スペースにソファとかが置いてあるので、休憩しながら鑑賞できる点もナイスです。

先日も美術館に入ると、さっそくいつものように作品を鑑賞し始めました。腐敗した修道士たちの食事の様子を描いたペロフの「食卓」から始め、欲におぼれた人間の顔って言うのはどこかコミカルだなあと思いつつ、ネロの殺害現場を描いたスミルノフの作品を見て、死体を見下ろす3人の表情から、悲しみの表現って言うのはいろいろあるなあ、しかしこの絵のネロの腕って妙にリアルで動き出しそうだなあ、まあ刺された直後だから指の一本くらい動いたところで不思議じゃないかなどと妄想しつつ、ゲーの「皇太子を尋問するピョートル1世」の前で、国を治めるような偉大なお父さんを持つのは大変だよねえ、とか今まで何百回も思ったことを確認し、まあようするにいつものようにちんたらと時間をかけて作品を見て回っていました。

事件は僕が特に好きなマコフスキーの「民衆のお祭り」が置いてある部屋で起きました。マコフスキーのこの2m×3mの絵にはたぶん100人以上のキャラクターが描かれています。冬のサンクトペテルブルクの野外でのお祭りの活気ある様子が描かれていて、道化師の格好をして屋根の上でくねくねと躍る男性や、露天で熱々のホットレモネードをグラスに注いでもらい、それを冷まそうとして息をふきかける髭のおじさん、見世物小屋の上で客寄せをするサーカスの一団、若い女性になれなれしく肩を回して口説いているように見えるおじいさん、この場所に不釣り合いな上品さを醸し出す少女と、その後ろから声をかける身なりはいけど明らかに俗物っぽい男。それぞれが非常に表情豊かで本当にいつまで見ていてもあきません。僕は特に画面の右下に描かれていて泣きそうな顔をしているブロンドの孤児の男の子が好きで、彼にニコライ君と言う名前を付けて仲良く(?)しているのですが、僕がいつものようにニコライ君に挨拶をしようと絵に近寄って行った時それは起こりました。絵の前に立つと後ろの方から刺さるような視線と圧力を感じたのです。

振り返ると僕のすぐ後ろにコシノジュンコみたいな髪型をして、紫のタートルネックに黒いジャケットとパンツをはいたおばちゃんが立っていました。首からは美術館のスタッフであることを示すIDカードが紐でさげられています。彼女は僕と目が合うとこう言い放ちました。「さっきから見てるけど、あんた一枚一枚の絵を時間かけて見すぎなのよ。いい?今もう閉館まで15分しかないのよ。こんな調子じゃ、あんた明日の夜までかかっても見終わりゃしないわよ。私は早く帰りたいのよ!」みなさんのために念のために確認しておくと、彼女は美術館のスタッフです。急にマシンガンのようなラインをぶっ放された僕は「す、すいません」と言って、次の部屋に足早に移っていきました。ただ、そこは僕も7年ほどロシアに住んでいてそれなりにずうずうしくなっていますので、時間までに見終わればいいやと開き直って、好きな作品の前では立ち止まらないまでも、某議員じゃないですが牛歩のごとくゆっくりと移動しつつ作品を鑑賞していました。コシノジュンコ氏はそんな僕に絶えずプレッシャーをかけてきます。僕が部屋を移動すると前の部屋につながるドアをバタンとしめて鍵をかけます。そして僕の後ろに来て「はい!急いで急いで!」とせかしてきます。もう最後の方はなんだか可笑しくなってきて、僕も素直に出口の方へ向かっていきました。

今回のことはロシアだから起こりえたことだろうなとは思います。日本ではまあありえないだろうなと。でも振り返ってみると確かに僕はあの調子で鑑賞をしていたら閉館時間を過ぎても館内に残っていたでしょう。それによって美術館のスタッフは残業をしなくてはいけなくなります。そう考えると彼女が言っていることは至極当然のことで、閉館時間を少しくらい過ぎても鑑賞ができると頭の隅の方で思っていた僕の方が非常識だったのかもしれません。言い方は多少きつい感じだったかもしれませんが、ロシアのおばちゃんというのは基本的にああういう感じなのです。正直僕はこのことで嫌な思いをしたという気が全くしていません。それはただ僕がだいぶ麻痺しているからかもしれませんが、、きっと僕は今後もロシア美術館に通い続けるでしょう。


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