考えることそのモノが娯楽になり得る

「ある人にとって考えることは苦痛であり、ある人によっては娯楽となり得る。それが「考える」ということである。」

どこかの哲学者が残してそうな言葉ですが、わたくしの言葉です。
とはいえ、元ネタがありまして、それが

「なぜ銅の剣までしか売らないんですか?」
というラノベを元にした動画が元ネタです。
(ホントに面白いから是非観て)
とはいえ、思考は娯楽になり得る、なんて言うのは一部の人にはまったく理解できないことなんでしょう。

「考えるのなんて嫌」
「考えないで生きていきたい」
「考えるのなんて面倒臭い」
「ウェーイ!」

考えないで生きていきたい人はたくさん居るもんです。
まぁそれはそれで結構。
人それぞれですから。
でも、今日思ったんですよ。

「考えたくない人って筋肉が無い人が運動したくないって言ってるのと一緒だな。」

って。
走りたくない。
歩きたくない。
階段使いたくない。
動くのが面倒くさい。

これと同じで考えたくない人たちって言うのは既に脳細胞が衰えていて
「考える」ということが既に苦痛・億劫なんでしょうね。

ある人がYou Tubeのトレーニング動画のコメント欄でこんなことを言っていました。

「トレーニングと言うのはその行為自体に目的もあるが、もはや筋肉で遊んでいると言っても過言ではない。むしろ筋肉で遊ぶことが目的と化しているのかもしれない。だから辛くても辛くないんだ」

と。
深い。
このコメントには「はっ」とさせられましたね。
しばらく気づいたんです。
「この言葉は思考にも置き換えられるな。」
と。
運動と同じで思考する、考えるというのはエネルギーが要ります。
だから仕事で考え続けていれば疲れるし、嫌になることもあるでしょう。
ですが「思考することが好きな人にとっては考えることそのものが娯楽」をしてきた人なんです。たとえ苦痛を伴おう、とも。
カンタンに言うならばずーっと運動してきた人が運動するのが好きなのと一緒です。同じ理屈。
運動ってある種辛いじゃないですか?
走るにしても、泳ぐにしても、寝ている方が遥かに楽なのにわざわざ走ったり泳いだりするんですよ。
もちろん疲労もするしエネルギーも消費するんですが、本人にとってはそれが快感なんですよ。ドーパミン云々もありますが、苦痛を通り越して快楽になりえるんですよ。
これは「考える」という行為でも一緒で、考えるのが好きな人たちにとって「考える」という行為は苦痛を伴いながらでも「娯楽」になりえる。
毎日走り続けてきた人にとって走ることは訓練や苦痛なのではなく、むしろ快感として楽しく走っているのと同じ原理なんですね。
逆に10年近く走ってなかった人がいきなりランニングをすれば娯楽というよりもむしろ地獄と形容するのが適切でしょう。
つまり自分の頭を使って考えてこなかった人において自分の頭で考えるってもはや「地獄」なんでしょう。

人間には趣向性がありますので何が好きで何が嫌いか、は人それぞれあると思います。

ただ。自分の周りにいつも考えてる人が居たら。
運動が好きな人がいるように

「この人は考えることが好きなんだな」

と理解して、無理に合わせなくて大丈夫です。
その人の理解力や思考力に合わせる必要も無ければ、負けじと言い争う必要もありません。
「好きこそ物の上手なれ」と言いますように考えるのが好きな人は言葉を操るのに慣れていますから、負けん気で言い争っても結果は目に見えています。考えるのが好きな人は決してだれかを負かそうとして考えているのではなくもはや「哲学」の領域に達しているので、不必要に言い争っても不毛な争いになります。もし身近にそういう人がいたら「参考程度」に話を聞いてみるレベルにして、むやみに討論しないことをオススメします。

自分もかれこれ今年で34年生きてきましたが色んな方々の哲学に触れてきました。感化される言葉を口にされる人たちはやはり皆一様に常に物事を疑い、そして本質とは何かを常々考えている人たちでした。
逆にそういうことを考えていない人たちはすぐに分かります。
Disる訳でもなく、否定するつもりもありませんが考えが「薄っぺらい人」は正直、直ぐに見抜けます。でもいざちゃんと話してみるとそういう人たちでもすごく良い信念や理念を持っているもんなんです。
そこで今日の結論。

「自分の考えや思考を言葉にして誰かに話すことは大事だよ」

ってこと。
自分もいま、まさにこうしてブログに自分の考えをまとめながら書いていますが、人に話そうと思うとやっぱり「論理性」が無いと話せないんですよね。どこかで矛盾してくるから、自分でその矛盾に気がつくんですよね。
「あれ?俺の考え、なんかおかしいな・・・」って。
そういう事に気がつくためにも自分で自分の考えや思考、思想を言葉にするって大事なんですよ。
それが誰かのためになる、ってこともあるとは思いますが何よりもそうすることが「あなた自身の自己統一性」につながるんです。
自分の中にある矛盾を消すことは自信を養うことに繋がります。
だからこそ自信をもって人生を歩みたいなら、恐れずに自分の考えを誰かに話すことです。

でも決してその考えに対して

「自分が正しい」

とは思わないことです。

考えなんていうものは

すこし前までの自分がこの人生で

経験したことから導き出した

「一時的な答え」

でしかないんです。

また、新たな経験をすれば

その考え方もきっと変化していきます。

下手すれば明後日にはかわっているものです。

だから考えというのは

今までの人生の総和でしかなく

これから経験することによってその考えは

大きく変化していきます。

その一時的な自分の考えを

物質のように変わらないものと認識してしまうと

「頑固者」になってしまいます。

そこだけは気をつけましょう。

本当は「死の概念を超越することが安定の欲求を超越する」という話をしたかったんですが、それはまたの日にします。

それでは。

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