第2回 新しい住民になるということ
私たちのフィールドワークは「賃貸契約」からスタートした。
契約を行うために、印鑑証明や登記簿の写しなど私たちが私たちであるという証明を集めて契約をしていく。数々の書類に会社名を書き、社印を押した。書類を書いていると「賃貸契約」をするという実感がわいてくる。
審査が終わると、鍵の引換券が郵送で届き、なんだかドキドキしてくる。フィールドワークを始めるときの不安や、緊張、楽しみが入り交じった不思議な感覚。当面の着替えやPCさえあればよいと考え、1泊2日用のキャリーケースに荷物を詰めて家を出た。
最寄りのバス停に到着しバスから降りると、同じような建物が立ち並ぶ景色が目に入った。バス停から信号に向かって歩いて行くと、土の匂いも香ってきた。団地のそばには、畑があり直売所で野菜が売られていた。小松菜がたくさん入って100円だ。団地の中心部には児童館があり、子供達が遊んでいる声が聞こえてくる。
現地の管理サービス事務所で鍵を受け取る。敷金を返還する際の基準について丁寧に説明を受ける。来客用の駐車場は○○号室の鈴木さん(仮名)が担当していると伝えられる。緩やかに「自治」が行われていることを感じた。
部屋に行くために、キャリーケースを持ち上げて、5階分の階段を上る。これはちょっとした運動だ。登り切った最上階に私の部屋がある。
借りた部屋が妙に広いためか、自分が小さくなったような、心許ない気持ちになる。入居すぐに実施したZoom会議では音が反響しすぎて聞き取りにくいと言われてしまった。部屋に何も物が無いと音が反響するらしい。なんだか、さみしい。
今回、家電と家具はレンタルしている。しかしどれもプレーンで白っぽく、清潔なのだが綺麗すぎてなんだか落ち着かない。自宅からカラフルな色の布を持ってきてカーテンの代わりに掛けてみたりした。少しだけ息が出来るような気がした。
さて、お隣さんにご挨拶をしてみよう。家の前には子供用の傘やおもちゃなどが置かれている。賑やかな家族なのかも知れない。平日の昼間なのに、外国出身と思われる男性が出てきてくださった。とても優しそうな方で安心する。
家具家電があっても、いろいろな道具がないので、とても不便であることに気がつく。ゴミ袋、洗濯ばさみ、鍋、やかん、調味料、洗剤、ハンガー、皿、コップ、はさみ。引っ越しでの持ち込みをせずに、新しい生活を始めるのがこんなにも大変だったとは。大学で上京したときは家具付きの寮に住んでいたので、日本で全くのゼロからの新生活を始めたことが無かったのだ。取り急ぎ歩いて数分のスーパーマーケットに買い物に行く。
普段来ない場所のスーパーマーケットだから、ものの場所が全くわからない。食品売り場では醤油の場所を聞き、日用品売り場ではスリッパの場所を聞く。いらだちもするが、これこそが新しい土地でのフィールドワークだなぁと感じる。すべてが新しい場所では自分のことを「観察者」などと安全地帯に置いておくことは出来ず、その土地の人々に助けてもらう弱い新参者としてしか存在できない。また、そのような立場だからこそみえてくることがある。
この地域の指定のゴミ袋がどれなのかを考えていると、先ほどご挨拶したお隣さんも同じゴミ袋を見ていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
まだ、名前も知らないし、互いに緊張感はあるが知っている人に外で会うとなんだか嬉しい。その人が黄色のゴミ袋を買っていったので、きっとこれで合っているのだと思う。
団地生活がだんだんとはじまっていく。賃貸契約を行い、生活必需品を買い、それを配置し、生活をはじめていくのである。生活をしながら、人々に直接的・間接的に助けられること、そのようなことを通じて「内側から」団地を知っていきたい。(水上優)