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音符的でない音楽に惹かれる 元ちとせ 民謡クルセイダーズ / 豊年節

Spotifyの自動生成プレイリストDiscover Weeklyから「これはディスカバー!」と思った曲をピックアップしていきます。肝心の音楽の話はあまりしないかもしれません。

久々にディスカバー!

元ちとせ 民謡クルセイダーズ / 豊年節

更新していない週もDiscover Weeklyは毎週欠かさず聴いてるんですが、ここんとこ「お!」というのがありませんでした。
久々にこれは新鮮な驚きがありました。

ところで、「今週のディスカバー」というお題でまだ5曲分しか投稿してないんですが、既に自分の思考の癖というか性感帯というか、そういうもののかなり単純なパターンに自ら気付いてしまっていて、何故この曲が引っ掛ったのかということを語り出すと、「それこないだも言ってたよね…」って感じになっちゃいそうで、早速袋小路です。

つまり、この時と同じパターン。
そのまま文章コピペしてもいいくらいに。

実際、上の投稿からコピペすると、この箇所です。

ジャケット写真もアーティスト名も見ずに完全な目隠し状態で聴いていたので、音を聴くだけでは本当に年代や地域が特定できず、ワンコード7分の曲ですが、あっという間に終わってしまいました。

とにかく一小節ごとに予測が外れ続けて、結局最後まで掴めない。この感覚がすんごく好きな訳です。

タイトルに元ちとせって書いちゃってるからこの感覚を追体験してもらえないのが残念ですが、例えばこの曲だと、パーカッションが順に加わっていく最初の4小節、ホーンが入ってくる次の4小節、の後半に入ってくるファズギター、の後に入ってくるケーナ(多分)、何語か判別出来ないボーカル、差し込まれるチープなシンセ…と続く間、曲の印象はナイジェリア→中米→沖縄→タイ、と目まぐるしく変わって、さながら世界旅行です。

それで思い出したのは、昨年末の細野さんのラジオDaisy Holidayに砂原良徳、テイ・トウワ両氏がゲスト出演した回でお三方の間で交わされていた会話。

マスタリング技術の進化の話、最近の「音像」の流行の話からの流れで…

細野:何か最近メロディーと和音とかってあんまり関係ないじゃない。もうこれだけで…デザインかな、これは。
テイ:HOSONO HOUSEって全部曲が良いじゃないですか。
細野:これが難しい。メロディと和音があるんで(笑)
砂原:それを、ちょっと間引いて、ちょっとぼやかせたりして、ちょっと半無意識で聴くとそれがわかる、みたいな感じ…
細野:難しいこと言うなぁ(笑)
砂原:…になるとおもしろいかなと。
テイ:まあ、言うのは簡単だけど。
砂原:そう、言うのは簡単だけど。何かメロディーとコードとかがはっきりしてると予測が付いたりするじゃないですか。
細野:それはしょうがないよ。
砂原:その予測をある程度わかんなくするために音を抜いてったりして。
テイ:言うのは簡単だけど。
砂原:言うのは簡単だけど。僕そんなことやりたいなと思ってるんですけど。まだやれてませんけど。
テイ:僕は、音符的って言っちゃうんですけど。楽譜が読み書きできない人のせいか分かんないですけど。何か音符っぽ過ぎるとちょっと古臭いというか。
砂原:譜面っぽいっていうか。
テイ:譜面的に次新しい展開来るなみたいな。聴いてて分かっちゃうっていうか。

多分、文脈的にはここで語られてる話(サウンドテクスチャーの話)とはちょっと違うと思うんですが、次の展開の分からなさに惹かれるってまさに!

音楽の魅力って、別にそれだけではないけど、個人的なアンテナに掛かるもので考えてみると、割り切れないものが割り切れないままそこにある感じというか、非言語的表現の極致みたいな部分かもしれない。

それで行くと、テイさんが音符的と表現したのは言語(世界を腑分けするもの)に寄り過ぎている音楽…ということなのかなと勝手に解釈しています。


こんな感じで、毎度おんなじ調子になっちゃうかも知れませんが、「今週のディスカバー」今年も続けていこうと思います。

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