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勝てない

私は昔から誰にも負けないほどの負けず嫌いでした。(わかりにくい)
好きな数字は、と聞かれたら1と答えていたくらい、中学くらいまではなんでも1位になれるように、1位までは行かなくても優位でいられるように、頑張っていました。

そんな私が、この人には勝てない、と思った人間が3人います。

いや、正確に言うと、勝てない人間なんて3人どころか、出会う人全てなのですが、なんていうんだろう、スキルでも性格でもなく、天才的なもの、天性のもの、で勝てないと思った人達です。
分かりやすく言うなら、私はどっちかと言うと人について行くより、人を引っ張る方だったと思います。
そんな私が、自然と付いていってしまうような人達です。

そもそも私の言う天才的に勝てないという勝てなさがあやふやなので、うまく説明できない可能性大大ですが、そんな3人を出会った順に紹介したいと思います。

ひとり目は、習い事で唯一の同い年だった子です。

彼女はまず美しい。
私が出会った中で一番の美人だと、当時も今も思っています。
スタイルも良く、習い事もとても上手でした。

そして、30も上の海外のスター俳優を愛していたり、カリブの海賊を見て海賊になりたいと言っていたり、発表会には海外の有名なアーティストのグッズを自分の持ち物より多く持ってきていたり、その辺の小学生にはいないような趣味と、それに対する熱量がものすごかった。

そんな彼女に周りの友達も皆惹かれていて、彼女はいつも仲間の中心にいました。

また、習い事への努力の仕方が天才的に分かっているように、思えました。
先駆者のDVDをたくさん見て研究していたり、毎回のレッスンを楽しんでいたり、本当にただ純粋に好きで習い事をしていることが私にはとても羨ましく思えました。

私は彼女のことを、良い意味でのライバルだと捉えて、本人にもそう伝えて、習い事を頑張っていました。
しかし私が彼女にライバルだと伝えるたび、彼女は私のことをライバルだと思ったことなんてないよ、と言いました。

当時勝つか負けるかの世界線でしか生きていなかった私にとって、私よりよっぽど「勝っている」彼女が、私を勝ち負けの相手と見做していないことが新鮮で、衝撃でした。

人と競って上達するのではなく、自分と向き合って上達する、それが当たり前にできていて、だからこそ練習も退屈でなくて、休憩になればおかしなことを言ってみんなを笑わせたり引っ張ったりする、そんな彼女が頼もしく、尊敬していました。

もちろん、習い事のスキルに対しても大きいのですが、その熱量と努力の天才さと異彩な発想と明るさに、私は彼女には勝てないことを知りました。

彼女はきっと、教室の中でもトップになって活躍するだろう、と何度も一緒に望んだコンクールの舞台の袖から、思っていました。

実は、そうではなく、さようならとも言えずに、彼女とはお別れすることになってしまいました。
寂しい気持ちと一緒に、今までの彼女の素敵さに改めて気付き、自分を情けなく思いながら過ごしました。
会えなくなっても私は、彼女は元気か、どう過ごしているのか、頻繁に考えていました。
いつのまにか彼女は私の中で煌々とした光を保ちながら頭の片隅でどっしりと構えてくれていました。

会えなくなって5年、知り合いの繋がりで連絡先を交換できることになり、5年ぶりに通話したり、会ったりしました。
変わらない声に涙が出そうになって、変わってしまったことを話しながら、変わらない微笑みに幸せを感じました。

2人目は、中学3年生の時、転校してきた女の子です。

田舎で、小学校から中学校へたった60人のメンバーがそのままあがり、長い人では幼稚園や保育園の時から14年の付き合いになるほど狭いコミュニティの中学に、遠方から引っ越してきたのが彼女でした。

ただでさえ転校生なんて、みんな盛り上がってわあわあ囲むのに、滅多に転校生など来ることのなかった私達は、ブレザー姿で登場した色白の彼女を、ひたすらに喜びました。

最初の1週間は、彼女の取り合いのような状態になり、彼女に溶け込んで欲しいと思っていた私もそれはそれは一生懸命彼女を「自分のもの」にしようとしました。
結果、言い方は悪いけれど、私は彼女を「勝ち取る」ような形になりました。

それから毎日2人で行動しました。
狭い世界で生きすぎていた私に、それまでに出会った中で一番大きな世界を見せてくれたのが彼女でした。
良い意味でも、悪い意味でも。

彼女は家族のことや転校の多いことで、悩んでいたり、苦しんでいたり、かと思えば全てを俯瞰して見ていたり、人付き合いを慣れた手つきで上手にこなしていたり、その痛みも客観性も器用さも、何もかも私とはかけ離れて優れているように思いました。

私はあれほどに「何か」を経験してきた同級生を、見たことがありませんでした。

その「何か」を必死に分かろうと、彼女について回っては苦しみを和らげるふりをして、痛みを分け合った気分になって、そうして私も成長していると勘違いして、生きていました。
私は彼女に依存していたのに、何も彼女のことを分かっていませんでした。

結果、卒業式の前日に喧嘩をして、それからそのまま、所謂「絶交」状態になりました。
それまでにも何度も喧嘩をしていたけれど、仲直りするたびに絆を強めたと本気で思っていたし、その時も、普通に仲直りして私達ばかだねなんて言いながら泣いて卒業するんだと思っていました。

当時は彼女のためだけに生きているんだ、彼女のためだけにこれからも生きるんだ、と思っていたし、彼女のための卒業式だ、とか、彼女のための卒業の合唱だ、とか、他にも大切な人はたくさんいたのに、本気でそれだけを思っていました。

彼女に「初めて人に捨てられたいと思った」と言われ、当時の私には意味が理解できず、ただ裏切られたという思いが強くて、自殺しようとしました。
自殺して、責任を全て感じさせてやる、という気持ちです。
結局自殺などできず、翌日の卒業式に遅れて参加して、人生で初めてだれかの行事に参加しただけという気持ちになり、呆然と卒業を迎えました。

今思えば、彼女が決死の思いでしたかもしれなかった相談に、見当違いな自己満足のための返答を何度もしていたのだろうし、彼女の見ている世界を見ていたのではなく、自分の生きてきた世界で彼女を見ているだけだった。

私の心の小ささに最近になってやっと気付けたものの、「裏切られた」という怖さが消えることはありませんでした。
実はたびたび、彼女から連絡が突然来たり、前みたいに仲良くしようというような話があったり、今年も互いの状況をちょろっと報告して、また音信不通になったりしました。

私が悪かったのは紛いもない事実なのですが、もう怖くなってしまっていて、仲良くしようと言われた時もお断りしましたし、突然連絡が来て返すたびにバカにされてるかもな、とかまた嘘言ってるんだろうな、とか思ってしまいます。
きっともしも何かの偶然でこの記事を読んだとしても、半分笑って読むんだと思っています。

それでも彼女は、私にとって、とても広範囲な意味で、本気で「勝てない」大切な人物だったし、さらに年齢に反する壮大な経験値の多さから誰よりも心が大きかったのだと、今でも尊敬しています。
私が、矛盾した関係性と、矛盾した思いを重ねるのが、彼女です。

彼女と出会ったのは高校1年生の時、クラスが一緒になりました。

同じ制服を着た人などクラスにひとりもいない私とは対照的に、一際目立つブレザーの大きな集団の中にいたのが彼女でした。

私は何故か、話してもいないのにあの子とは仲良くなれそう、と思っていました。
後ほど彼女に聞くと、私のことは変な子と認識していたそうで、反対に仲良くならないだろうと思っていたらしい。笑

私の仲良くなりそうという勘とは反対に、意外にもしばらくはあまり関わりがありませんでした。
クラスの座席では教室の端と端で真反対にいたし、次第に別れていったグループも別、部活も異なりました。
ただ私は、彼女の名前が素敵で、勝手になんとなく気になっていただけでした。

きっかけは彼女の転部でした。
もともと学校一忙しい運動部に所属していたように、彼女はおそらく部活に対して、ゆるく楽しくできればいいやというよりは、努力をしながら楽しくできるものを求めていたと思います。
当時所属していた運動部から、文化部に転部しようとしていた彼女でしたが、なぜか私の高校の文化部は運動部並の忙しさと転部者を積極的に受け付けない厳しさの部活か、週一程度でゆるくゆるく活動している部活に二分していて、行く先の部活を悩んでいました。

私の所属していた写真部は、唯一と言っていい、ちょうどその中間にある部活で、努力をして実績を積んでいながらも、明るい部員と先生で構成されていた楽しい部活として認識されていました。
彼女が転部を悩んでおり、写真部に入部することを相談してくれた時は、心底嬉しくて、ぜひぜひ!と迎え入れました。

とは言っても、途中からすでに出来上がりつつあるコミュニティに入るのは苦労がいるし、彼女の中ではそんな葛藤や悩みもあったと思います。

クラスも部活も一緒になった私達は、クラスでも部活でもしょっちゅう一緒にいるようになりました。
放課後には近くのサイゼリヤに行って5時間も話し続けたり、学校が早く終わった日にはカラオケやバッティングセンターに出かけたり、テストが終わるごとのご褒美にしゃぶしゃぶを食べに行ったりしたのは、懐かしい思い出です。

私の気まぐれな性格のせいで、彼女ともう1人の大切なお友達とを、行ったり来たりしてしまって、傷つけてしまうこともあったし、うまく意見が合わなくなったこともありました。

それでも、学年が変わってクラスが離れても、部活が終わって話すことが少なくなっても、そして大学が離れた今でも、大切な友達であることは変わりません。

彼女は、部活一のアイデアマンでした。
一緒に部活について考える時は、こうしたら楽しそう、とかこうした方がいい、とかたくさん意見を出してくれて、転部してきたことなど皆忘れてしまうくらい、いつも、いちばん部活を活性化させていました。
そして割と、突飛だと思えるようなことも実現させてしまう勢いに溢れていました。

彼女と出かけた時に、帰りの時間をお互い気にせずに夜まで遊んでいて、携帯の充電も残り少ない中で終バスを逃したことがありました。
真っ暗な道を行けば辿り着けるかもしれない電車の駅に、1パーの携帯のライトをつけて、走りました。
充電が切れて道が分からなくなっただけでなく、獣道のようなところに侵入してしまって、今日しぬかも!と覚悟を決めたところに別荘の様な大きなおうちがあって、勇気を出してチャイムを鳴らすと、優しそうな老夫婦が出てきて道を教えてくれました。
駅に着くと、まだ電車はある、けれどこの電車からどう乗り換えて帰ればよいのかは分からないまま電車に乗ると、なんと目的地が同じの家出をした、電車関係の仕事に就いている優しいお兄さんに出会い、帰りまでついていってもらっただけでなく、モバイルバッテリーまで貸してもらい、奇跡的に帰宅することができました。

その日の昼間にはそういえば、イヤーブック(一年にかけてテーマを決めて撮った写真をまとめる活動)の撮影のために、真冬なのに半袖の夏色のワンピースを着て、2人で海に入りました。

しかもそう言えばその日は、土曜日の補講が嫌で2人でサボって遊びに行った日でした。

2人でいると、何かしら事件が起こったり、奇行ばかりしたりするので、2人まとめて写真部の不安要素と呼ばれていましたが、結局最後はうまくいく彼女の運に私はいつも付いていきました。

彼女は、そんなハプニングがいつも起こり、それをいつもなんだかんだすり抜ける、不思議な運を引き寄せる才能を持ち合わせていました。

実は彼女は勘違いをされたり、本来の人柄を知られずに決めつけられてしまうことがあったりと、苦しんでいることはたくさんありました。
また、その突飛さを、理解されないこともあって、私は悔しくて仕方がありませんでした。
ただ、その突飛さこそが彼女の魅力で私は大好きで、それこそが私には勝てない、と思った要素でした。

また、常識がないとか、自由人とかではなく、そう思われがちだけれどむしろ真逆で、常識は私よりよっぽどあるし努力をすると決めたらとことん努力をするし、人の気持ちや言動を常に読もうとして疲れてしまうこともあるし、本当に優しい心を持っています。

友達なのに、とっても気持ちの悪い言い方をするけれど、こんなに魅力的な人と出会えて、私は本当に幸せだなあと思っています。

勝てない要素を伝えるというより、思い出というか、想いというか、重いというか、そんな文章になってしまいました。

ただ、大切な友達というよりは、人として、不思議で、面白い、これから仲良くなったり仲が悪くなったりしても、私の出会った全ての人を集めた時に強い存在感であり続ける3人なのだと思います。

この文章を、もしもこの3人が読んだとしたら、勝手にすみません、という感じで、恥ずかしいです。許してね。

普通の人なんかいないけれど、普通を目指しているならそうしなくていいと思います。
私は普通じゃない人が好きです。
個性が好きです。
でも普通で平々凡々は、それこそ個性です。
アイデンティティ大事にしていこうね。
きっとどこかでぜったいに、かがやくと思います。
私の心の中とかで。

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