見出し画像

向日葵

向日葵が好きです。
お花にそんなに詳しくないので、いちばん、とかは言えないんだけれど、向日葵が好きです。
そして、向日葵に憧れがあります。
向日葵のような人に憧れがあります。

私が憧れる人のお話をしようと思います。

私が彼女と出会ったのは、おそらく小学校にあがったくらい。
存在は知っていましたが、東京の大学でバレエを学んだあと、バレエ団で活躍しているというだけで、なんだか怖い印象がありました。
彼女は私の通っていたバレエ教室の先生の娘さんで、時々地元に帰ってきて上のクラスのレッスンを見ていました。
4年生くらいになって、ひとつ上のクラスのレッスンを受けるようになってから、そんな風に週末に帰ってきた彼女のレッスンを受けるようになりました。

金髪でタバコを持ち歩いてる。
短いパンツやスカート。
好きな柄は豹柄。
強そうなメイクに、長いネイル。
風貌は正直、ギャル。
ものすごく怖い。

彼女のレッスンを受けるまでは、そんな印象でした。
しかしこれがなんと、彼女のレッスンを受けてからも変わらない。
難易度の高いバーレッスンに、そもそも背伸びをして上のクラスを受けている私は全然ついていけない。
しかもそんな私にも容赦なく注意する(してもらえるがただしいですが)し、できないならばできるまで全員の前でやらされる。
言い方もだいぶきつくて、とにかく私は毎週土曜日、彼女が帰ってこないことを願いました。

そんな気持ちが変わったのは、友達に彼女のレッスンが嫌だと共感を求めた時でした。
友達にあっけらかんと、え?楽しいじゃん、と言われました。
私は負けず嫌いだったので、友達が彼女のレッスンを楽しんでいる、という事実が悔しくて、無理矢理楽しいと思うようになりました。
単純ですね。笑
しかし意外にも、だんだんと楽しめるようになってきたのです。
難しいパ(動きのこと)の連続でもついていけるようになったら嬉しいし、彼女がごく稀に褒めてくれるとテンションがぶち上がりました。
しかもちゃんと聞けば、彼女は注意するときも大学で学んだ体の構造の知識を入れてくれたり、苦手なことがあればそれを克服する練習の仕方を教えてくれたり、とても愛のある指導をしてくださっていました。

また、大きな怪我をしたことをきっかけに、バレエ団を退団し、本格的に指導をしてくれるようになりました。
自主練をしていればとことん練習に付き合ってくれたり、コンクールの付き添いで舞台袖から見守ってくれたり、悪いことがあれば本気で叱ってくれたり、さまざまな力をつけるためにクラスを増やしてくれたり、発表会の振付や指導を担当してくれたり、本当にたくさん生徒に尽くしてくれました。
彼女がいることで、生徒の士気も上がり、競い合い切磋琢磨しながら皆で上手になっていく、というように教室はそれまでにないほど盛り上がっていました。

私自身も、年が上がるごとに彼女と関わる機会が増えていき、努力を認めてくださるようにもなり、レッスンや練習以外のことでも、恋バナや学校のこと、いろんなことを話すようになっていました。

最初は皆彼女に怯えていましたが、いつのまにか彼女は教室いちの人気者で、誰もが憧れるような存在になっていました。


そんな時でした。

半年後に発表会を控えていました。
彼女が主役の全幕ものの舞台をする予定でした。
しかし、最初の振り付けをしてもらったあとくらいから、彼女の顔を教室で見ることがなくなっていました。
最初は体調を崩していると聞いていて、私も皆もおそらく風邪をひいたくらいだと思っていました。
しかし1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、彼女が教室に来ることはありませんでした。

3ヶ月が経った頃でした。
振り付けは皆終え、もうすでに練習が進んでいました。
いないのは彼女だけで、彼女の踊りの部分だけ穴があいている状態。
彼女の母である先生が、生徒全員と保護者を集めお話をしてくださいました。

彼女が大病を患い、発表会に出ることができないということ。
あと3ヶ月しかないが、代理で誰かに主役をお願いすること。
それに伴い変更する箇所がいくつかあること。
彼女が指導する予定だった作品は他の先生にお願いすること。

私は10年以上バレエを続けてきて、初めて、先生の涙を見ました。
それも皆の前で涙を見せるつもりはなかったし、これからは見せない、と。
驚いたし、恐ろしいような気持ちにはなりました。
しかし当時の私は皮肉にも気楽なもので、彼女は発表会には時間がないので出演できないけれど幕から指導してくれるんだろうなあ、とか、前日のゲネでマイク持って客席に座って厳しく言われるんだろうなあ、それまでに頑張らないと!とか、それくらいにしか、思っていませんでした。
しかもちょうど、主役の代理がひとつ上の友達になるかひとつ下の後輩になるかというところで、ばちばちと張り合っていたくらい、自分のことしか考えられていませんでした。

異常だとやっと気が付いたのは、先生すらも練習に来ないことが増えてきたからでした。
大きな存在の先生2人を欠く状況で、正直教室は最悪でした。
大きなリハーサル室をとっての練習だというのに、幼い子達は走り回り、私たちも気が緩み、悪口やら陰口やらでいっぱい。
東京から来た先生に指導してもらった時には、飽きられるくらいに、生徒の気持ちはバラバラでした。
本当に、最悪。

その日は土曜日。
私はいつもとは違って午後に学校の部活があり、レッスンにはギリギリ間に合うか間に合わないか、という時間だと思っていました。
部活が長引き、多分バレエには間に合わないなあと思いながら帰宅すると、昼間だというのになぜか真っ暗な部屋の中に父が1人、ソファに座っていました。
不思議には思いましたが、私は意気揚々とその日の部活の成果を父に話しました。
そうなんだ、よかったね、すごいじゃん、といつも通り話を聞いてくれました。

「もうバレエ間に合わないから今日は休もうかなと思うけどねえねは?」
「今日バレエの時間間違えてて早かったからもう1時間前くらいに送って行ったよ。」
「あ、そっか!そうだった、じゃあもうすぐ終わるか」
「それでね、今日(彼女)先生が、亡くなったみたい。」

は?と私は、ふざけてるのかと思い(ふざけているなら最悪な嘘だとは分かっていながらも)予想外の言葉に思わず半笑いで聞き返しました。
意味が分からなかった。いや入ってこなかった。
普通に嘘だと思って、夢だと思って、涙も出さずに、すぐにバレエ教室に向かいました。
もうレッスンは終わるのに、なぜかタイツもはかずレオタードも着ず、手ぶらで向かっていました。
教室に入ると、まだセンターレッスンを普通にしていて、なんだ、と思いました。
困惑しました。
普通にレッスンしている、さっきのは本当?嘘?と、本気でよく分からなくなりました。
しかし、よく見ると、目が真っ赤に腫れた生徒が数人。
友達の震えた「聞いた?」という声で、初めて先ほどの話が事実だと私の中に入っていき、涙が流れました。


ここで少し、先に話しておきたいことがあります。
私はこの話を公表することに、躊躇がありました。
また、当時の私も作文やら作品やらで彼女について書くことに躊躇がありました。
それはやはり、「ネタ」にしているような気がするから。
彼女の死は、当たり前ですが決してネタではないし、美化するものでも勝手に作り上げるものでもありません。
彼女のご家族は今も、彼女のいない家で暮らしているし、彼女のいない食卓を囲んでいます。
私がこの話をして良いのか、正直この話をこんな話口調で話すことに、自分への嫌悪感があります。
彼女が私にとって、大きな存在であることを、ただ示しておきたいのです。
しかし技術がなくて、作り話のように、ネタであるかのように、見えてしまうかもしれません。
本当に申し訳ありません。
しかし、やはり私にとって彼女が憧れの存在であること、とても偉大で尊敬していることは心からの事実であることをご承知ください。
ご冥福をお祈りしています。


私は彼女ほど「強い」人を知りません。
私は彼女の弱さを、見たことがありませんでした。
もちろん、弱さを見せるような間柄ではなかったのは承知ではありますが、詳しくは知らなくても彼女が東京で苦労したことや幼い頃からの努力は話を聞いて、なんとなくは分かっていました。
今になったからこそ、分かるのはきっと彼女は強さだけを持っていたわけではないということ。
弱さを持ち合わせているからこその、「強さ」だったのだと、今なら思えます。
そして、その強さを持っているからこそ、「優しい」。
とても、愛に溢れていたのだと思います。
あれほどまでに愛情たっぷりで、強く厳しい先生は、他にはいません。
私にとっての恩師は、紛れもなく彼女です。

当時は、その強さや優しさを、もう少し、浅い意味で理解していましたが、私は彼女が向日葵のようだと思い、詩を書きました。
太陽に向かってまっすぐ伸びる向日葵、その姿は強く、芯がずっしりとあって、照りつける日差しにも負けず、逞しい。
しかし見る私達は、なぜだかあたたかく、優しい気持ちになる。
性格が明るいとか、快活とか、そういうことではなくて、向日葵の本能的な強さと優しさを彼女に重ねたのだと思います。

数年後、向日葵畑を見に行った時、やはり彼女を思い出しました。
この壮大な、たくさんの向日葵全部で、彼女に見えました。

向日葵の見え方は、年々変わっていくような気がます。
彼女へのおもいの形も、だんだんと変わっていきます。
しかしその強さと優しさが消えることはありません。
私は強くて優しい素敵な大人になりたいと、いつも言っています。

向日葵が好きです。

そして、憧れています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?