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彦星

昨日は七夕でした。
そんなことは関係なしに、いつもと同じようにバイトに行き、休憩中に織姫と彦星はすごいよなあ、1年に1度だけ会うを何年続けてるん?はよ結婚せえ、とかって話しました。

七夕に短冊にお願い事を書いて竹に吊るすなんて、小学校低学年くらいでいつの間にか終わってしまって、そういえば小さな頃や実家にいた頃、おばあちゃんちによく行っていた頃には大切だったひとつひとつの季節の行事もなんてことはない普通の1日になってしまっています。

私が結婚して、子供を持って、ひとつの家庭ができたら、時代の変化に逆らってそういった行事は大切にする家族にしたいなあとよく思います。

そんな七夕の私のお話しをしようと思います。
昨日、バイトを終えていつも通り家に帰ると、ふと今日は七夕だったことを思い出しました。
と、すぐに私は1枚の青い紙を棚から出しました。
そこには、

「(私)が幸せに笑って生きれますように。」
との言葉が。
それは去年私が恋人からもらった短冊でした。

去年の七夕、私は恋人に短冊を渡しました。
私も書いたから、願い事書いて、と半ば強引に書かせて、お互いの願い事を見合いました。
確か私は、2人で幸せになれますように、というような言葉を書きました。

当時私はメンタルが非常に不安定で、不安で不安で毎日泣きながらベッドに入り泣きながら朝を迎えていました。
死にたいなど毎日当たり前に思うことであり、「2人で幸せに暮らす」というのは叶わない願いだと思いながら苦し紛れに、彼に私は死なないように頑張る、ということを伝えるものでもありました。

そんな私に、私が書いた願い事は見たかもしれない彼が書いた言葉が先ほどのものでした。
もちろん私は嬉しくて、苦しくて、やっぱり嬉しくて、泣いてしまったけれど、実はそんなに素直にこの言葉を受け取ることすらできませんでした。

彼は私の願い事を見て、こう書けば私は満足するだろうとこの言葉を書いたんじゃないかと思っていたし、読んでなかったとしても求められてるからこれを書いたんだ、と思っていました。

私は彼の大きな愛情に気付くことも出来ず、それゆえに受け取ることもできなかったのです。


あれから1年が経った今、バイトに行くことがいつも通りになりました。
彼以外の人間と、会い、話し、コミュニケーションをとることへの不安がなくなり、当たり前になりました。
もしかしたら結婚して幸せな家庭を築くかもしれないと将来の自分を想像できるようになりました。
涙を流す毎日から、人と話して笑い、彼と会って笑い、幸せだと感じる日もたくさん増えました。
私はもう、幸せに笑って生きることができるようになりました。

それは紛れもなく、いっぱいの愛情と優しさで、私の苦しみを背負って、一緒に生きてくれた彼がいたからです。

今なら彼が、私が笑って、幸せを感じることができるようになり、死ななくても生きていけることを、心から願ってくれていたんだ、と素直に思うことができます。
それは彼が幸せになる方法でもあったかもしれないけれど、だからこそ、私が幸せになることが俺はいちばん幸せだ、と真剣な目で何度も話してくれた彼の愛情を、いっぱいいっぱいなまま受け取ることができます。

今年の私の願いは、
彼が幸せでいられるように私も幸せでいること。
彼の苦しみは私も一緒に背負って笑って過ごすこと。
そして、今度こそ、
2人で幸せに生きられますように。

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