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4度目の春に

春の香りがする。
好きな春だ。

この街に住んで、丸3年が経った。
まだ慣れない人の多さと、慣れてしまった駅から帰る道。
4度目の春、私はこの街を出る。


初めてのバイトはタワー最上階のレストラン。
仲良くなった先輩達と自転車を押しながら歩いて帰った真っ暗な道。
動物園のすぐ横を通るので動物の鳴き声が響いて、本物のジャングルクルーズみたいだった。
突然流れる自販機のアンパンマンの声にビビってみんなで笑い合った。
コロナ禍で客数の少ない夜はこっそりみんなでお絵描きをして遊んだり、身の上話を弾ませたり、飲み放題だったドリンクバーやノンアルコールのカクテルの原液をこっそり使ってオリジナルのカクテルを作って遊んだりした。
モチベーションは賄いで、気合いの波が激しいメニューに期待をかけて、今日のキッチンさんの機嫌を伺ったのも懐かしい。
タワーから見えるこの街の夜景と和気藹々とした真っ暗な帰り道が大好きだった。

コロナ禍の隙間にやっと顔と名前の一致した私達は不安をかき消すように頻繁に飲みに行った。
男女それぞれの思惑の走る席位置も、真っ先に真っ赤になる浪人勢も、酔い覚ましの散歩という名目の抜け駆けも、終電など知らない強さも、どれも気持ちが悪くて、それが眩しいほど輝いていた。
肩を預けあって、荷物持ちがいて、先導がいて、そんな大人数で歩く道はだんだんと明るくなっていって、「足」のない私達は車より電車よりよっぽど早くて最強だった。
学科なんかそのうち関係なくなるって言われたって、今は疎遠になったって、私はあの夜とすっきりと澄んだ明け方の空気が大好きだった。

5人でいて楽しいと思ったのは、大阪の銭湯帰りの狭いタクシーが最初で最後だった。
それまで幾度も練習を重ねたこの街では、私達の心はずっと離れていて、正直覚えていないほど練習には行きたくなかった。
だけどドーム横の夕方の光に浮かぶ4人の影は美しくて、頼もしい仲間達に誇りを持った。

学校への道は驚くほどきつい坂道で、学校に入った途端急な下り坂になって、その緩急を私は遅刻しているようには決して見えないような姿で悠々と越えて行った。
内心はずっと焦りでいっぱいだけれど、私が遅く入ってきても1ミリも変わらない空気の製図室は唯一の救いだった。

私の家より、台所が広くて、部屋はちょっと狭くて、こたつがなくて、隣の部屋の声が少しだけ聞こえて、ベッドはちょこっとふかふかで、朝と夕方の光が美しくさしてきて、昼間は小学生の声が響いた。
何もできない真っ暗な部屋に響くその声は私には眩しすぎて、だからこそ幸せだと思った。
慣れてしまった駅から帰る道はどちらかといったらこっちのことだろうし、気晴らしに買いに行くアイスやジュースの15分間が何より心地よかった。
360度音楽でいっぱいのその部屋は、最初はうるさすぎると言っていたのに、いつの間にかそれも愛で溢れている素敵な音色に染まっていた。

忘れもしないあの夜も、あの店員さんは出勤していた。
最後に、お詫びとお礼を言おう。
毎日、通ったコンビニ。
たかがコンビニ。されどコンビニ。
裸足で逃げてきたあの夜、数秒間も無駄にしたくなかった昼、一睡もできなかった朝、愛情の形をしたアイスを買いに行った夜、何日目かも分からなかった昼、達成感に満ち溢れた朝、それとあの夜、この夜、夜。
ポニーテールの店員さんの変わらない「袋いりますか?」の声と優しい眼差しが私の癒しであり救いだった。

帰り道はほとんど座れない。
こんなに疲れているのに、私達は笑い合う。
はじめは休憩所に行くのにも勇気を振り絞った。
ご飯を買う時は食べるものを決められなかった。
分からないことは聞きたくても聞けなかった。
意味のないことを気にしすぎて、何もできず、時間のみがやたらとかかり、戸惑ってばかりの期間は長かった。
子供用はどこにありますか?は毎回必ず一度聞く言葉、騒がしい帰り道でお疲れ様ですと声をかけてくれる警備員さんは顔見知り、なかなか来ないエレベーターは色んな匂いがして、疲労の空気感と責任から逃れた安心感のカタチをしている。
セブンに行く道はお手のものだし、マックのモバイルオーダーのタイミングは完璧になったし、元気な夜にはスタバにかけていって、居酒屋の外国人の店員さんを焦らせて、意味のない最低な言葉達で慰め合い笑い合った。
居場所などどこにもないと嘆いていたけれど、今ではこの暖かくて眩しいベランダを出ていくことが、こんなにも苦しくなった。

何度も行った行ってはいけない場所から見えるのは急勾配のせいで同じくらいの高さになった高級マンションの灯り。
いつだってそこは震えが止まらなくなるくらい寒くて、痛くて、滲んでいたけれど、この街で生き抜いた私の、私だけの大切な逃げ場だった。

赤色のシステムキッチンに惹かれて、両親に少しだけ無理をさせて契約した家だった。
大学生にしては広い部屋と、高い天井に、セキュリティのしっかりした贅沢な家だった。
今思えば、私はこの家にはやっぱり住むべきではなかったような気がする。
私の家だ、直感が言ったのはもう一方だったから。
最初は張り切っていたのに今ではほとんど意味のないシステムキッチンも、ただのバケツになった浴槽も、遮音を気にしてこだわったはずのカーテンも、知り合いにもらったテレビも、使わなくなった製図版の乗った机も、私の生活の弱さをそのまま表している。
綺麗で大きすぎる部屋にひとりぼっちの夜は枯れるまで涙を流したし、朝か昼か夜かも分からない真っ暗闇になっていたこともあったし、声を全く通さない壁は恋人と張り合う声の大きさ選手権の原因だったかもしれない。
それでも私は大きな窓を開けると吹いてくる風と柔らかな光に、車の走り抜ける音が好きだった。
恋人と寝るピンクのシングルベッドが好きだった。
どんなに冷たくなった心にも暖かさをくれる小さなこたつが好きだった。
昔ながらの暖かい喫茶店と、考える人のための本屋が近くにあるここが好きだった。
カウンターの下にカラーボックスがぴったりはまるのが好きだった。
宅配ボックスといらないチラシを捨てる用のゴミ箱があるのが好きだった。
自転車が雨に濡れないのが好きだった。
私がちゃんとレーンに入れないで収納しているうちに、皆レーンに入れずに放置するようになったけれど。
ぐしゃぐしゃの顔をたくさん見てきた私の家、事故物件にならなくて本当によかった。


人は多いし、変な人が多いし、電車の乗り方が下手だし、夜は危ないし、観光するところはないし、面白くもないし、海は近くにないし、山も近くにないし、地下鉄は綺麗じゃないし、騒がしいし、車は乱暴だし、プライドは高そうだし、お金持ちばっかりだし、どっちつかずで中途半端なこの街。
いつでもどこにでもすぐに行けて、ここに行けばなんでもあるっていうところがあって、ちょっと車を借りれば自然の溢れる街に行けて、ご飯がおいしくて、飲み屋がいっぱいあって、夜は明るく元気で、大好きな温泉施設がところどころにあって、素敵な映画館があって、音楽が溢れていて、文化や芸術がすぐそばにあって、モーニングが嬉しくて、カフェと喫茶店だらけで、意外と優しい人も多くて、星は割と見えて、暑すぎることも寒すぎることもなくて、都会すぎなくて、道が美しくて、夕日が美しくて、ちょうどよくて住みやすいこの街。
大好きな街。

この街を出ます。
ありがとう。
また来ます。

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