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髪の毛について

ひとり暮らしの毎日の中で、いま、もっとも多く感じること。
それは、

「まーた、髪の毛落ちてる」

ということだ。
自宅で仕事をするようになって4ヶ月目。
会社勤めをしてる頃は、そんなことは思わなかった。
24時間自宅にいることで、わたしの髪は毎日、恐ろしいほど木板のフローリングにサラサラと抜け落ちているのだ。

ここまで気になってしまうのは、わたしの髪が、だらりと腰まで伸びるロングだからかもしれない。
測ってみよう、65cmほどある。

一般的なバスタオルを広げたときの短い方の辺は、だいたい60cm。
あれよりも長い。
ちなみに、新聞を広げたときの長さは80cmだ。あれよりは短い。
何れにしても、とにかく割と長いのだ。

65cmの髪の毛が落ちていると、その存在感はすごい。
たった1本落ちているだけで、とにかく目立つ。
2本落ちていると、もう、「髪の毛だらけの部屋」だ。
3本ほどが、とぐろを巻いていると、わたしは思わず叫んでしまいそうになる。
なあんて、見た目に不潔なことか。

タチが悪いのは、いつ抜け落ちたのかがさっぱり不明であることだ。
ついさっきまで髪の毛なんてなかったのに、振り返るとヤツは落ちている。

わたしは、机に向かって仕事をしているのに。
「はて、この時間から手をつけて間に合うかしら」と時計に目をやると、遠いところに、また髪が落ちている。
おかしいじゃないか、だって、わたしはさっき、ダイソンの小型掃除機で床を吸い歩きながら、この席までたどり着いたんだもの。

「誰の髪だよ」
と毎日思うけれども、この部屋にはわたししか居ないんだから、考えたってつまらない。
わたしはまたダイソンを持ってうろうろと歩く。
振り返ると、また別のところに落ちている。
かがんでばかりで、腰を故障してしまいそうだ。どうしてくれようか。

だけど、調べてみれば、なんだか無理もない気がしてくる。
1日に平均で約100本、人間の髪は抜け落ちるらしい。
65cmの髪の毛が100本。
意味のない数字だけれど、繋ぎ合わせたら65メーター。
建物であれば、20階ほどの高さだ。
東大寺大仏殿の正面幅でも62メーターなんですって。
そりゃあ気になるはずだ。

こんなものを、わたしはこれまで、オフィスや道端、電車や飲食店にハラハラハラハラと落としていたのかと思うとぞっとする。
なんだか、とんでもないものを持ち歩いて生活してきてしまったようにさえ感じて、申し訳なくなるのだ。
排水口掃除の度に「きゃあ…」だなんて思っているのが、ばかばかしくなってくる。
わたしは東大寺大仏殿ほどの髪を撒き散らして生きてきたのだから。

そして、この長い髪の毛と毎日毎日向き合い続けた結果、わたしの思考は、「有効活用」というところに向いて、
キリのいいところまで伸ばしたら、子どもたちのメディカル・ウィッグを作るヘアドネーションとして寄付しようと決めた。
当面の目標は1メーターだ。

人間の髪は、1ヶ月で1cmほど伸びるから、35ヶ月。
つまり2年とちょっとかかるのか。
(それまでに、105,000本も抜けるけれどね。)
意外とかかるものだなあ。

それはそうと、その頃までには、あれもこれも、いろいろと落ち着いてくれていればいいけれど。
そうでなくちゃあ、本当に困ってしまう。
オンラインに活路を見出したって、リモートワークの生産性がうなぎのぼりになったって。
やっぱり街に活気はあった方がいいに決まっているんだから。
髪の毛を撒き散らしてたってなんだって、難しいことはよくわからないけれど、わたしはみんなに早く会いたいと思う。

今日もそんなことを考えながら。半ば祈りながら。
ふと足元を見ると、やっぱり長い髪がサラリと親指の隣に落ちている。
誰の髪なんだよ、本当にもう困ってしまう。

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