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住まなかった街も思い出になる。

年下のひとたちと飲むことになった。
会社を辞めてからは、とんとそういうことがなかったから、向かうときにはすこし緊張した。もちろん、ひとつふたつ下の友は多いけれど、十もちがうとなれば、
「大丈夫かしら……」
と不安になったりもする。文章を書くひとたちの集まりではあるけれど、話についていけるだろうか。
場所は赤坂で、ほどよく街も店内もがやがやとしていた。
「こっち、こっち」
と呼び寄せられテーブルにつく。
「どうも、どうも」
へらへらしながら見渡せば、どのひともなんだかとても眩しく見えた。

三十歳を過ぎてからの数年。
特にこの一年のわたしは、ふうっと暗い潮の目に飲まれてしまったみたいに、人知れずぐるぐると深いところへ沈んでいってしまうような日々を過ごしていた。
なにが変わったわけでもないのに、うっすらと忍び寄る「なにか」が怖くて怖くて仕方なかったのだ。
それを「リミット」などと呼ぶ人もあるし、「選択」というふうに呼ぶ人もある。稀だけれど、「そろそろ、地に足をつけないと」と注意をしてくれる人だってあった。要するに「さあ、いよいよ『大人ですよ』」と、ようやく覚悟をしはじめたのだ。

そんなわたしは、二十二歳や二十四歳の彼女らとテーブルを囲みながらひとり、
「そうかあ」
と改めて考え込んでしまう。そりゃあわたしだって、よし‼︎ といろんなものを振り絞れば、まだまだどんな選択もできるだろう。
けれど、彼女たちはこれから軽やかに何にでもなれるし、軽やかにどこへでも行ける。それは、あまりにも自然に。
その有り余る可能性が、羽がついた天使みたいに眩しく見える。
なんだかとっても羨ましかったのだ。

クラフトビールが自慢のお店だったものだから、ついついわたしは飲み過ぎてしまった。そして、「住んでみたい街」について話しているときだった。
「じゃあ二十六歳で祐天寺ですね」
酔いに任せて、目の前に座っていた色の白い可愛い子に、わたしはそんなことを言う。
彼女はいま二十四歳だそうだ。実家で暮らしてしているけれど、いつかは「書く」仕事に就きたくて、いつかは東京のどこかに住みたいらしい。
「じゃあ二十六歳で祐天寺に住むのはどうでしょう?」
わたしは勝手に彼女の住む街を決めてしまった。唐突さと乱暴さは、さながら占い師のそれだ。だけど、まったくのデタラメを言ったわけではない。
祐天寺とは、わたしが二十四歳から「いつかは」とずっと憧れていた街だったのだ。

当時、会社のひとまわりほど歳上の先輩がそこで恋人と暮らしていた。音楽をこよなく愛したり、割れたお皿は丁寧に金で継いだりしていて、ただものぐさに暮らしていた子どものわたしには、それがとてもとても豊かに映った。
「電車、どこで降りるんですか?」
「ユウテンジだよ」
「それってどこですか?」
上京して2年のわたしには何ひとつわからなかった。
「自分で調べてごらん。ひとつ知ってる駅が増えるよ」
その先輩はヒゲを整えながら、そんなふうに言ってくれた。
「そうか! そうします」

その日から、わたしもいつかは気の合う恋人と祐天寺で暮らそうと決めた。
時は流れて、未だ祐天寺には縁がないけれど、その街は「いつかは住みたい祐天寺」として丁寧に冷凍保存でもしたみたいに、いまも色褪せないままなのだ。
「え、祐天寺って何があるんですか?」
そう言って、二十四歳の彼女は目を丸くする。無理もない。
「何があるってこともないけど、おしゃれな人が住むのは祐天寺かなあって」
何があるって、そこにはわたしの憧れがあったんだよなあ。

「二十八歳で中目黒に住むのはどうですか?」
今度は隣に座るのショートヘアの子の未来を決める。
「わたし、中目黒ですか!」
そうケタケタ笑うのがかわいい。
はて。この子は東京でひとり暮らしがしたいだなんて言ったろうか。朧げな会話の記憶にすこし不安になりながら、それでもまあいいかと続けてしまう。
「中目黒だろうなあ」
何が見えているわけでもない。

ただ、中目黒とは二十代の終わり頃、よく出かけていた街だった。その頃はなんだか仕事も順調で、
「いつの日かこんなところにわたしも住めたならいいな」
と思っていた。
中目黒のちょっと変わった間取りの部屋に住んでみたい。代官山まで歩いて、本を買い込んで夜のカフェで読んだりするのだ。そこへ迎えに来るのは、仕事帰りの恋人だ。
訪れるたびにそんな妄想を膨らませてみたけれど、やっぱりついぞ、そんな洒落っ気とは無縁のまま、ダラリダラリと時は流れていった。
その夜は、そんなことをたっぷりたっぷりと思い出した。

叶わなかった暮らし、縁のなかった街の記憶がシンシンと胸のどこかに積もっていく。
それを抱えて、それを背負って、わたしは下北沢の1LDKでいま、サンダルにつま先を通して夫の洗濯物を干したりしているのだ。
「祐天寺に、中目黒か……」
あの夜の彼女たちとの会話をふと思い出しては、なんだか無性に恥ずかしくて、それでもすこしたのしい気分になった。
洗濯ばさみにくつしたを吊り下げながら、ふと、
「たとえば6年前、調布じゃなくて祐天寺を選んで引っ越していたならどうなっていただろうか」
だなんてことも考えてみる。
調布にいたから通った店があって、調布にいたから見た映画があった。そして祐天寺に住めば出逢えていたはずの誰かとは出逢えぬまま、けれどそんなことはつゆとも知らずに今日を生きている。
それはとても当たり前で、だけどとても不思議なことに思えた。

東京に出てきて十二年。気がつけば、どこもかしこも「あの街」だらけになっている。
いつかは住みたい祐天寺。
もうひとつ成功をしたら中目黒。
泣いたりしなければ、もっと訪ねたはずの神保町。
わたしを太らせた下高井戸。
頑張った日にレイトショーを観た池袋。
恋人がやさしくて力持ちだった立川。
内見ばかり重ねた清澄白河。
はじめて人を叩いた銀座。
最初の駅、田端。
最後には戻りたい場所、調布。

どれもこれも、下北沢に居たってまぶたの裏ではとても鮮やかに思い出すことができた。それだけじゃない。ふうっと前から吹いてくる風の感じや、匂いまでがよみがえってくるのだ。
そのどれもが、わたしには本当に特別だった。
「無駄に重ねたわけではないんだよなあ」
と改めて思う。

そして、好きだったドラマの好きな台詞をふと思い出した。
「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」
本当にそうなのだ。住んだ街も思い出になるし、住まなかった街もまた印象強く思い出になる。選んだり選ばなかったりしながら、ジグザグジグザグここまで歩いてきた。ひとつひとつ積み上げて、叶った夢も叶わなかった暮らしも抱えて、わたしはいまここに居るのだ。
下北沢のベランダで、目を閉じるだけで「ふっ」とどこへでも行ける。それはとても手軽な旅行だった。そして思う。
「まだまだ、うんと途中か」

気付いた頃には、いちばん最初に干した薄手のシャツがもう乾きはじめていた。
パーカーのコットンに陽が注ぐのを見ていると気持ちがいい。四月というのに、季節は夏みたいだ。
わたしはいま、今日のこと、それからこの街のことも、とてもとても愛おしいと感じている。
「また新しく始めた街、下北沢」
そんなふうに予言しておくのだ。

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