暮らしと旅
(直島で頂いてきたパンとコーヒーで朝ごはん)
・紅茶といちじくのパン
・くるみのパン
・するすると飲めるコーヒー
・目玉焼き
・野菜オーブン焼きと塩もみきゅうりの梅ドレッシング
・ヨーグルト、玄米甘酒
手にしたものを取りこぼす程に、ぼんやりとすることが多くなっていた。足が根付いて身体が鈍く、聞いたこともポツポツ欠落している。そうこうしているうちにいつの間にか出発が目前で、気持ちだけ焦るものの、行きたいところもフェリーやバスの時間もよく決まらないまま空港へ向かう。ひとつだけ、台風の動きは追っていた。目的が瀬戸内国際芸術祭だから、天気次第では旅自体が中止になりかねない。訪れる前日に直撃して、テレビで映る港は濁った波をざぶざぶ被り、到底人が近寄れない様子だった。
到着してみれば、空と海はどこまでも深く青く、実の付いたオリーブの木はキラキラ輝いている。島の方々にお話を聞くと、前情報は恐ろしかったけれど、大事なく過ぎたらしい。雲と港の桟橋を一つさらって行ったところへ、ポッとやってきたことになる。島中にある数々の作品を歩いて回っていると、「どこ行くん」「それならそこまっすぐ行って、左に行けばいい」といったご親切を何度か頂く。ある方は、「(会場になった)この家は私の祖父母が住んでいたところなの」とおっしゃっていた。暮らしと芸術祭が近いのだろうかと考え始め、そういえばぼんやりも抜けて頭がスーッとしていることに気づく。
旅から帰れば暮らしに戻る。海鮮、香川のうどんや生そうめん等々、いつもと違うものにたくさん触れて、どこか遠くのことを思うのでなく、目の前の景色を見つめるうちに風通しが良くなった心でごはんを作る。島で頂いたメニューの説明書きに「ドレッシングには、オーブンで何時間も焼いた玉ねぎを使っています」とあった。これは良いと、久しぶりに家で夜ごはんを食べる間、オーブンで野菜を焼く。玉ねぎは十字に切り込みを入れてホイルで包む。なすは串を打ってそのまま。朝になったら、塩もみにしたきゅうりと共に盛り合わせて梅ドレッシングをかける。ベランダの大葉を摘み、千切って散らす。
旅すると共に心は軽く、ふわふわしてくる。あまり遠ざかる前に地に降り立つと、体がするする動く。心新たに暮らしに向かうことは、詩や人の心に触れようとする時と似ている。よそ見せず一つ一つをつぶさに見つめ、飽きることなく感じ取ろうとすることで掴めるものがある。旅という節目が暮らしの巡りを良くして、身近なところに詩や芸術が生まれることがあるのかもしれない。「触れられないけれど、そこにある気配」は、真に迫るようでふつふつと心が湧く。
「つまり、私はさまざまな本のなかに入っていくことで、自分が浸っている世界から一時的に離れ、本を閉じたあとは、またこの世界に戻る。こんなふうに、「元天使」の新鮮な感覚を取り戻そうと望んでいるのではないか。だから、私は料理の本に惹かれる」
(p.12 「食べたくなる本」(三浦哲哉/みすず書房)
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