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40代ワーママが働きながら通信制大学入学〜50代で卒業するまで(Vol.7 初めてのD~停滞期)

※これは私が40代後半で通信制大学に入学し、50代にようやく卒業するまでの記録です。話があちこちにそれるかもしれませんが・・・どうぞお付き合いくださいませ。
(前回のお話はこちら

初めて「D(不合格)」を取った話

最初こそ学びの希望にあふれ着々と履修を進めていた(ように見える)私ですが、
途中でもちろん停滞した時期もあったので、そこもきちんと書いておこうと思います。
それは履修科目のレポートで初めて「D(不合格)」を取った時でした。

通信大学で勉強を始めて約1年。それなりにレポートも着々と提出し試験も合格し始めていた頃です。
ある日、2件のレポートに「D」が付いて返却されました。
返却時のコメントは要約するとこんな感じで。

「ところどころ話が飛躍していて理解しにくい」
「課題とレポートがずれている」

普通に落ち込み、ふてくされる

それはもう普通にずん、と落ち込みました。
今までの人生はそれなりに本もよく読むし作文でもよい評価をもらうことがほとんで、
加えて言うなら仕事でも(多少ですが)文章を書く仕事についてるのに、まさか「D」をもらうなんて。
「えぇ・・・なんかの間違いじゃない?それか先生の見る目がないんじゃないのぉ・・・(←図々しい)」
しばらくふてくされた日々を送ったのでした。

そのころ私の履修状況はまだ全体の30%程度といったところで、卒業まではとてもとても遠い遠い道のりでした。
※私の通っていた大学では科目ごとに約2回レポートを出す必要があり、この2つのレポートでA~C(つまり合格)を取って、初めて科目修了試験を受験できるという仕組みでした。そのため、レポートで「D」を取っていれば当然ながら試験は受けられず、単位も取得できないということになります。

「なんかめんどくさくなってきちゃったなぁ」
「別にこの科目好きで取ったわけじゃないからなぁ・・・やらなくてもいいし、他の科目に振り替えちゃおうかな・・・」

さらには追い打ちをかけるようにちょうどこの頃仕事が忙しくなったので、
なんとなく毎週末に頑張っていた勉強も次第に時間が短くなり。
やったりやらなかったりする日々が3か月~半年近く続きました。

時が経ち、少しだけ気持ちが落ち着いて

仕事が少しだけ落ち着いて自分の時間が多少なりともとれるようになった週末に、ふと「D」を取ったレポートを読み返してみました。
返却された当時は全く受け入れられなくてしばらく引き出しにしまっておいたのですが、
あれ以来何度か別のレポートを書いたり科目修了試験を受けて時間を置いた効果もあって、少しだけ(本当に少しだけなんですが・・・)先生の書いてくれたコメントを素直な気持ちで読むことができたのです。

「なんかよく読むと確かに事実と意見がごっちゃになってるな・・・」
「今読むとずいぶん独りよがりな文章だな・・・」

これを先生が読んでくれて、丁寧にコメントを書いて返却してくれたのかと思うと、ちょっと申し訳ない気持ちが出てきたのです。

結論「ふてくされたところで卒業はできない」

当時は確か入学してもう2年目が終わる頃。本来ストレートで卒業するなら今年が最終学年のはずでした。
「D」を取った科目以外は幸いにもレポート・科目修了試験が順調に合格していたものの、卒業までの進捗は全体の50~60%程度というところで停滞していました。

「何やってんだよ私。大学卒業したいって言ってたじゃん」
「娘だって中学受験のために塾頑張ってるのに」

その時娘は小学5年生。週3回塾に通い、夏・冬の休みは講習が入り、友達と遊びたいのをがまんする日々が始まったところでした。
娘が頑張ってるのに、こんな自分じゃ恥ずかしい。
やっぱり娘に頑張ってる自分を見せたい。
勉強とか学習習慣って、一生の財産だって教えたい。

「やっぱり絶対卒業しよう。もう1回頑張ろう」

嫌だという気持ちを抑えてもう一度、毎週の勉強を再開して。
「D」がついたレポートにも改めて向き合い、評価を読み直し参考文献を取り寄せ直して。
ようやく再提出できたのは「D」をもらってから約1年が経過した頃のことでした。

その後再提出したレポートは無事に2つとも「S」で返却されました。
今思えば最初が順調だったので調子に乗っていたんだと思います。
単なる文章を書くのではなく、課題を主とした構成で、事実と見解を明確に分けるのが本来のレポートの在るべき形であることを改めて肝に銘じ、
またコツコツと履修を再開したのでした。

※(Vol.8)へ続く予定です。またお時間ある時に、お付き合いくださいませ。

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