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おじいさんには ご用心

道を尋ねる時は、ご婦人に聞くと良い。
イタリアのガイドブックには、こんなことが書いてあった気がする。

ミラノにて。
その日、私は焦っていた。道に迷ったけれど、自分達がどこにいるかわからなかった。日本から友人が遊びに来ていて、ぜひ、レオナルドダヴィンチの最後の晩餐が見たいからと、並ばなくていいように予約を取っていた。が、その時間が迫っていた。
イタリア人は時間にルーズだと言われているけれど、ミラノの人が時間に遅れた観光客に寛容かどうかはわからない。間に合わなかったら、どうしよう。

大通りなのに誰もいなかった。するとひょっこり、白髪の、上品なご婦人が現れた。
助かった!
彼女に道を尋ねた。まずは、2ブロック先を右に曲がるらしい。
私たちはお礼を言ってから、歩き出した。

曲がり角まで来た時、後ろから声をかけられた。
「そこよ、そこを曲がるのよー」
さっきのご婦人が、私たちが道を間違えないように、そのまま見ていてくれたのだった。私たちは、お礼を言いながら手を振って角を曲がった。

私は道を覚えるのに必死だったから気がつかなかったけれど、道を尋ねられてご婦人はとてもうれしそうだった、と友人は言っていた。きっと、今日はこんな良い事をしたのよ、と、帰って家族に話すのだろう。
道を間違えるのも、たまには良いものだ。


ローマにて。
時間が余ったので、トレビの泉に行ってみることに。せっかくローマにいるからコインを投げて、また来られるように願かけしたかった。
観光に来たのではなかったから地図を持っていなかった。(当時、まだスマホは存在していなかった。)それで人に尋ねて、近くまでは順調にやってきた。

そこからは大変だった。ペアで歩いているイタリア人(だと思う人)に声をかけて道を尋ねた。彼らは喜んで教えてくれた。けれど、その通りに歩いてみてもたどり着けなかった。同じことを何度も繰り返し、その日は結局、コインは投げられなかった。

説明された通りに歩けていたかどうかはわからない。それでも、1回くらい偶然に当たっても良さそうなものだ。そのくらい、たくさん歩いた。

もしかして、あの日のイタリア人(だと思う人々)は親切すぎるあまり、知らなくても何か教えたくて頑張っちゃったのだろうか?
おそらく、みんな観光客だったのだろう。だから覚え間違いだったのかもしれない、私も含めて。みなさん、ありがとうございました。疲れたけれど楽しかった。


フィレンツェにて。
「ほら、あの人、ミケランジェロの家に行きたいんだよ。助けてあげなよ」

言われて見た先には、1人の日本人女性がガイドブックを持って顔を上下していた。地図と実際の通りの名前が一致するか確認していたのだろう。ミケランジェロの家は右に曲がれば、すぐそこだった。
せっかくの海外旅行だから、日本人じゃない人と話したいかもしれない。できるだけさりげなく声をかけてみよう。

彼女の近くまで歩いた。あと、もう少しだったのに。

私が声をかける前に、彼女は近くにいた年配のイタリア人男性に話しかけた。

あぁ、彼女、おじいさんに聞いちゃったよー。

おじいさんは彼女のガイドブックを見るために、かけていたメガネを片手でもぎとった。そして、おじいさんは1人じゃなかった。おじいさんたちはゆっくり彼女を囲み始めた。
私は彼女が何か聞いてきたら答えようと、彼女の顔を見ながら通り過ぎようとしていた。
彼女は私に気がついてこちらを見たけれど、おじいさんの1人がすかさず私たちの視線のあいだに割って入った。邪魔をするな、ということか。

むむ、鋭い。。

でも、別に悪い人たちではなさそうだったので放っておいた。おじいさんたちは観光客の女の子と会話を楽しみたいのだ。きっと彼女の行きたい場所なんてわかりきっている。もしかしたら一緒にカフェを飲んだりして、彼女にとっても楽しい思い出になるのかもしれない。

とは言え、おじいさんに油断してはいけない。

引っ越したばかりの頃、バス停に向かっていると向こうからやってきた小さい知らないおじいさんに、チャオ!と声をかけられた。途端、肩をがっしり掴まれて引き寄せられてしまった。
突然のことに驚き、身をひねった。
けれど、その人の歯が、私の頬にあたった。

?!!!

き、、気持ち悪い。

完全に唇を狙われていた。キス泥棒は、チッと悔しがり去っていった。

この時ばかりは背が高くて良かったと思った。本当に。頬で済んで、不幸中の幸いだった。

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