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教える

小さい頃の記憶

もう32年くらい経つが、今もよく覚えている。
秋のこと。
叔母の家の裏でかき集めた落ち葉が大きくて、兄弟で埋もれながら遊んでいた。
外で遊ぶのが楽しくて、叔母がご飯を作ると中に入ってもずっとずっと遊んでいた。
叔母の家では毎年夏になるとBBQを必ずしていた。
河川敷で花火大会があるたびに見える場所に家が建っていたから、叔父、叔母と、祖母と、5人で花火を楽しみ、火おこしなどをしていた。

当時の楽しい記憶がよみがえったのだろう、兄はポケットからライターを取り出した。

「バーベキューしよ!」

そう言って大量の落ち葉に火をつけた。

見る見るうちに広がる火に、花火みたいだと二人で見とれていた。

近くにガスボンベがあって。
突如遠くから

「何やってるの!!!!!」

と叔母の声が聞こえ、急いでバケツを持ってきて火を消した。

幼心に残念な気持ちになって、なんでこんな綺麗なのに・・・と俊としてたところ、叔母が兄に一喝した。

「火は危ない事をわかりなさい!」

そう言って、兄の手に火を近づけた。
案の定、兄は大泣きで。
僕はただただ立ち尽くし、兄が泣くから僕も泣いた。

教えるということ

身を持って教えるということは賛否両論あると思う。
今のご時世では決して理解されないであろう、火の熱さを体験させたことでいかに危険な物を扱っていることを思い知らされた。
だがこの話には続きがあって、その行為をしたあと、

叔母は僕たちを力強く抱きしめた。
ただただ泣きながら抱きしめてくれた。

またそのあとから料理やBBQの準備を積極的に手伝わせてくれた。
危険を理解した上でそれでもなお、生活に必要なものでもあると丁寧に教えてれたのだ。

教え方は色々な方法がある。
体罰と捉えればそれまでだし、もちろん体罰は行ってはならない。
叔母は子供がいなかった。
教えることを自分なりに考えた結果だと思う。

昨今の教育について、なにが良い、なにが悪いといろいろと話されている。
改めて難しいとは思うが、教えることに愛情を乗っけてほしいなと思う。
偏った愛ではなく、きちんと届くように。
それだけできっと思いは伝わる。

三歳だった僕の心には、今なお火の怖さ、叔母の怖さなんかより、叔母への感謝しか残っていない。






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