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お通しの存在

お通し

最近、お通しの重要性をつくづく感じている。

そもそもお通しは飲みを助長させるためのもの、口寂しいときの一時的な食べ物。飲みに集中してしまえばあまり味わってもらえないところなど、存在感はないような。

お店としては席料兼ねて料金をとっているものの食事の舞台での立ち位置は華やかではないように感じる。

コース料理の前菜とは違う、食べたことしか覚えていないほどの泡沫の味。今日のお通しめちゃくちゃ美味しかったね!と話に上がることがあまりないところにかえって意味があるのではないかと考えてしまう、スポットが当たりにくいと認識している。

主張しない存在意義

上善如水

という老子の言葉がある。お酒の銘柄でもあるこの言葉の意味は

最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。

とある。

お通しの存在と水はまた違うかもしれないが、味、形、したに落ちていく水の性質含め、主張し過ぎないことに善さがあると説いている。

お通しを見て思ったのは、主張しないのに必然とされる場所を確保しているところ。

近年、諸外国同様に日本人も主張をするべきだと考えている方も沢山いる。それはとても理解できる。ただ、ビジネスでも国政でもただ主張をすれば良いわけではない。

もちろん主張しないことも良いわけではないが、一番は主張していないのにいつのまにかそうなっていること。

発言しやすい環境、主張しやすい環境を作り周りを活発化させながらも場を作っているような立ち回りをお通しから見た気がする。

いつも思うのが、普段の物事から得られる情報は沢山あるなと。断片的に見れば一瞬のことも物事の成り立ちは色々な仕組みとなって生きていると思う。

最近はもっぱらここを目指している。

それに長けた方は今までにもいたが、サロンののおざきまさかずさんはその一人。

理知的なのに、決して押し付けず。ただ、伝えることはきちんと伝えてくれるところ。

水の流れのように時に石を動かし、時に緩やかに大局を見ている。コミュニティの在り方を作るところはお通し。

これは最大限の賛辞。

そんな大人は素敵だとしみじみ思った。




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