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ビール片手におひとり様を楽しむ夜

夫と子どもたちが寝てしまった。双子を布団の真ん中にして、「川の字」の短い棒が一本増えたような形で寝かしつける私たち。壁側に狭そうに横たわる夫、今日は睡魔に負けたみたい。風呂もまだだが起こすのは可哀想に思えたので、1人そっと布団を抜け出した。私自身も風呂を済ませ、哺乳瓶を洗ったり洗濯機の予約をしたり簡単な作り置きを作ったり。一通り終えるとついに手が空いてしまった。仕方がないのでビールを片手にこうしてパソコンに向かっているわけである。いつもは双子が寝たあとのこの晩酌の時間に夫がオンラインで格闘ゲームをし、私がそれを眺めながら好きなことをしているのだが、今日は1人。各々好きなことをして過ごすのが常ではあるが、本当に1人になってしまうと何だか寂しく感じたりする。寝室とリビングを分断する戸を開けば3人がいる。しかし意識上で区切られている世界は別世界なのだ。私は未だ現実世界にいて、夫と双子は既に夢の中。そこには大きな隔たりがある。まるでこの家には私しかいないような孤独感。それでもまあ、たまにはこんな時間があってもいいような気がしている。貴重なおひとり様の時間。私は相変わずキーボードを叩いている。

ほろ酔い気分で面白いことを書ければいいのだけど、流石にまだ酔ってない。もうちょっと若い頃は毎日500mlの缶ビールを3本程飲み干す生活をしており、休日となれば1人でも友人とでも飲みに繰り出していた。現在も、別に酒に弱くなったわけではないのだけど、そんなに飲む必要性も感じなくなってしまい、せいぜい350mlの缶ビール1本か、ワインをコップ1杯くらいに止めている。そんなだから、最近べろべろに酔っ払ったという記憶がない。飲みに行っても大概がきれいに飲んで、きれいに帰る。若さ故の潰れる勇気が廃れ、歳を重ねたことによる酒の席でのマナー遵守が身についてしまったのだろうか。あまり意識したことはないが、そういうことなのかもしれない。それでいいような気もするし、何だか面白みがなくなった気もする。吐いて飲んでを繰り返していた頃が懐かしい。多分なのだが、歳を取る毎にきれいな飲み方が出来るようになるのは、酒に強くなっているわけではなく、自分のペース配分で飲めるようになるからなのだと思う。酒ばかりでなく、周りの雰囲気に飲まれていた若かりし日。今では私は私、と区切りを付けることが上手くなってしまった。もしかすると、歳を取るって自分の中で変な悟りが開けてくるということなのかもしれない。

そういえば、noteを始めて3ヶ月が経った。家事や育児の合間を見つけてはこそこそと書いているnote。大概が日々の記録や気付き、昔話だったりと、有益なことなど何一つも書いてはいないのだが、いつも「スキ」を付けて下さる方々がいるお陰で、「私もここで表現していいんだ」とクオリティを気にせずに心のままに、楽しく書き続けられている。ふと感じたことも、日常の中に溶けてしまえば何も感じなかったのと同じように消えていく。そんな心の機微を掬って、少しでも学びにしたくて、誰かに伝えたくて、こういう人間もいるんだよと知ってほしくて、私はnoteを書いている。突然ですが、いつも読んで下さっている方に伝えたいことがあります。

「私の拙い文章を読んで「スキ」を付けて下さって、本当にありがとうございます。どうかこのご縁が、末永く続くことを祈っています」


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