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現代っ子のみる夢

極度のめんどくさがり屋のくせに、めんどくさそうなことを生活の中に取り入れてみたい願望がある。きっと憧れや理想に近いものなんだろうなあと思うけど、めんどくさがり屋でついでに飽き性な私が、自らめんどくさそうな生活をしたいというのは何だか先が見えなくて何も手を出せずにいる。趣味くらいなら、ちょっと手を出してみて飽きたら「やーめた」と出来る。それが生活レベルになると「やーめた」とし難い気がして慎重になっている。一歩踏み出せないぐるぐるした迷いは、好きな子にラブレターを渡すことを躊躇う少女にも似ている。ラブレターなど書いたこともないので、本当にこの例えが近いのかどうかも定かではないが、渡したいけれど渡せない気持ちなんかがきっとあるのでしょう。まさにそれなのである。手を出したいのに出せない。私は恋する少女の気分なのだ。

具体的にどのくらいめんどくさい生活がしたかというと、まず炊飯器を使わない生活だ。土鍋で米を炊きたい。なんて手間の掛かる作業なのでしょう。絶対に続かない自信がある。あと子どものちょっとした汚れのついた衣類を洗濯機でなく洗濯板で洗ってみたい。そのうち洗濯板がまな板と化しそうな気がする。あと干し野菜や魚を作りたい。アパートの狭いベランダで。出来るのだろうか、そもそも作った試しもない。味噌や漬物を作りたい。せっかちな私が長い間発酵を待てるか心配である。

このような、田舎のおばあちゃんの家みたいな生活に憧れている。便利なものが溢れかえっている現代の流れに逆らって、何故こんな願望が湧いたのか自分でも不思議なのだが、何だか味わい深そうだなと単純に思うわけである。

今日こちらはとても天気がいい。こんな日に陽の当たった縁側で読書をするのもいいなと思うし、夕飯の下ごしらえなんかしていたら素敵な奥さんに見えるかもしれない。うちには縁側なんてものはないので全部都合のいい妄想であるのだけど。

次々と現れる便利なもの。生活が便利になると、趣味や仕事など有益なことに割く時間が増える。それはとてもいいことなのだと思う。私は今まで自分の生活に掛ける時間を蔑ろにしていた自覚がある。食事も外食で済ませることが多かったし、洗濯も掃除も週に1回するかしないか。家のことなどどうでもよくて、自分の健康のことも考えたことがなかった。

しかし、夫と子どもがいる今。私だけの生活でなくなった今。

家族の健康や一日の大半を過ごす場所を整える、ということに意識が向いている。便利なものはそれとして存分に頼っていきたい。でも、余裕があるときは使うものにもちゃんと手間を掛けていきたい。子どもに古き良き生活の知恵も教えてあげたい。と言いつつ、私は古き良き生活の知恵を教えてもらったわけではない。だからちょっとずつ勉強して覚えていきたい。

心と体をに整えてくれるような生活。噛んだら噛んだ分だけ味が出てくるスルメのような生活。何だか例えが悪いような気もするが、そんな味の染みた生活に憧れている、便利な生活の中で育った現代っ子主婦である。

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