大人は余裕がないのか

暖かな縁側。お気に入りのマグカップにコーヒーを注いで、手作りのクッキーをちまちまと食べながら、最近買ったどこかの誰かのエッセイ本を読む。積んでいる本の中からその日の気分で選んだ本は、心の隙間みたいなものを埋めるのにぴったりだ。
子どもたちは和室でごろごろと遊んでいるうちに眠ってしまった。お昼寝タイムは束の間の休憩タイム。読書をしつつ、横に準備したノートパソコンで文章を考える。日記のようなそれは気付けば毎日のように更新されていて、自分で読み返すのがわりと楽しかったりする。
庭の様子は季節によって変わるから眺めているだけで心を和ませてくれる。
子どもたちの寝息と風の音、コーヒーの香り、クッキーの甘さ。
全てが私の癒し。
ただただ穏やかに過ぎていく時間に身を任せるだけ。

という暮らしをしたい。
実際は縁側なんてないアパートの2階に住んでいるし、引っ越しの予定もないし、日記のようなものは毎日書けていないし、ゆっくり読書をする時間が取れるかどうかも怪しいのだが。

それでも理想は理想として、こんな穏やかな日々を過ごしたいと夢見ている自分が好きだったりする。
高校生の頃、担任の先生に「もっと余裕のある生活がしたい」と言ったことがある。当時は当時で思春期よろしく色々なことに悩み、追い込まれていたのだ。
先生は言った。
「余裕なんて大人になってもないわよ」
と。
その言葉を私はまだ覚えていて、何だか無性に言い返したいのだ。そんなことないよ、余裕のよっちゃんだよ!てな具合に。

大人には余裕があるように見えたのだ。学生の頃の話である。
知らないことは少ししかなくて、人付き合いが上手で、お酒を飲めて、宿題が無くて、何事にも対応出来る、万能な人間。それが大人だと思っていた。
実際、自分が30歳近くまで歳を重ねると、そんなものは夢のような話だということに気付くのだが、如何せん理想は捨てきれない私である。
余裕がある生活、というより穏やかな生活がしたいのだ。移りゆく季節と共に子どもの健やかな成長を見守るような、隠居生活のような。

「君はそういう星の下に生まれたんだから仕方ない」
と、夫に言われたことがある。
仕事の話だ。
私は仕事が続かない。メンタルを患ってからどうも堪え性がないのだ。そして諦めも決断も早いからすぐに辞めてしまう。そんな私に言った夫の言葉になるほど、と納得してしまった。
なんて気が楽になる言葉でしょう。
私は元々社会に出て労働することに不向きな人間だったのだ。だったら出来無くて当たり前だし、仕方ないよね。
都合のいい納得の仕方をする私と、呆れ果てて笑う夫である。

こんな人間もいるということだ。
余裕は大事である。
自分を豊かにする何かをその余白に詰め込んで、喜ばせてあげられる。
何事も窮屈では息苦しい。
だから余裕のよっちゃんがいいのだ。

#エッセイ
#理想
#ライフスタイル

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