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ゲームセンターに行こう

自分はもう、ずっとずっとゲームセンターが好きだった。
昔近所にあった大型スーパーのゲームコーナが原体験だったろうか。
子供向けのゲームコーナーの奥にあったビデオゲームコーナーが大好きで、暇があればそこでゲームを眺めていた。

そこで稼働するゲームはどんどん変わって、いろんなタイトルになり、音ゲーが加わり、そしてなくなった。

またその近所にゲームセンターがあった。
大きい店舗ではなかったが、音ゲーコーナーとビデオゲームコーナーが通路で別れている店だった。
奥の方で、いつも上海やコラムスをやってるじいちゃんがいた。
そこでカップラーメンを食べるのが大好きだった。
そこも、なくなってしまった。

いま自分の住んでいる場所に、こういった個人経営系のゲームセンターは軒並み閉店した。
もうすぐ、このあいだ焼きそばを頼んだ間にオールネットマルチで遊んだあのドライブインゲーセンも閉店する。
カツカレーが美味しかった。

センチメンタリズムなんて、そんなのだれも食べたくない。
だれの腹も膨れないし、だれも得しない。

なくなってほしくない。なんて愛しい空間なのだろうと
私は行くたびに思う。
店からでれば驚くほど体がタバコ臭くなるのも、くわえタバコでゲームに興じるプレイヤーも、ボタンのメンテナンスなんてそもそも存在しないような筐体も。どんだけ上海あんの?!みたいなラインナップも
好きで好きでたまらない。
なくなってほしくなんかない。

よく考えてみると、自分と同じ年か、それ以上前に開発され販売されプレイされてきたゲームがこの令和になった今も
恐ろしく面白いことに驚愕する。

ゲームという娯楽の力を見せつけられる。
100円という覚悟を入れて、それをプレイする。
たとえ3分で死んでもなにも後悔なんかしない。

難しい講釈なんていらない。

ただひたすら、己と己の力の努力と考察と仲間との情報収集と、あとはひたすらクレジットをいれてプレイ。
昨日より少し進めた。コンボができるようになった。コマンドが正確になった。どうしても勝ちたい人に勝てた。
自分で自分に満足をできるプレイができた。

この充足感は、ただひたすらに
ソーシャルゲームでは絶対的に味わうことなんてできない。
絶対に。

だから。

みんなゲームセンターでゲームしよう。
誰も自分に必死だから、君のことを気になんてしない。
だから君も自分自身に必死になって。
お金を入れてみて。
恥ずかしくなんてない。
もしも下手ならうまくなればいい、
うまくならなくてもいいなら、楽しく遊ぼう。

その場所はきっと君の街にもある。
それを絶やさないようにできるのは、きっと君の財布の中の100円玉だ。

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