校正・校閲者にも自己顕示欲はあるが……

 わたしが校正・校閲した本は、クレジットの入っているものもあるが、そうでない本の方が多い。「入れてください」と言ったこともなく、出版社または編集プロダクションが「校正者」のクレジットを入れようという方針であれば入っているし、そうでなければ(わたしであろうと他の校正者であろうと)名前は入っていない。
ときどき、SNSで「この本を校正しました!」と嬉しそうに書き込んでいる人がいる。ああ、よかったね、名前が出たのが嬉しいのだろう。
 気持ちは理解できる。それどころか、自分だってクレジットが入ったらとても嬉しかったし、以前は嬉々として発表した。
 だが、もう表立って書くことはないだろう。
 「この本の校正を担当しました!」と言ってのけたあげくに間違いが発覚したら恥ずかしいというか、仕事を失う危険性もあるからである。「校正者はホテルの掃除係と同じ。ひとつミスがあれば叩かれるのだから『◯◯が担当しました』なんて名前書かれたくない」という人もいる。つまり、ミスがひとつもないとは保証できないため(実際、初版でミスのない本など見たことがない)、自分がやったなどとおそろしくて発表できないのである。
 だがこれよりも大きい理由は別にある。そもそも、校正者は表に出ていって「自分がやりました!」と言うような存在ではないはず。編集者は陰の存在、黒子であるとはよくいわれるが、校正者は透明な存在でなければならない。透明な存在が名乗りを上げることはない。
 もちろん、わたしにも自己顕示欲は人一倍ある。けれども、新潮社の校閲講座に何回か通っていたとき、同社の前校閲部長、井上孝夫さんがこう言ったのだ。「校正・校閲者はクリエイティブな趣味をもつとよい」とおっしゃっていた。そう、承認欲求や、前に出て何か言いたい欲は誰にもある。とうぜん校正者にもある。だからそれはプライベートで満たしなさいということなのだ。
 校正者個人は表立って「わたしがやりました!」と言うようなポジションにはない。「校閲といえば」の新潮社で校閲部長を務めた井上さんもそういう考えなのだと思った。
 もちろん、組織で働く正社員と個人事業主は違う。わたしたちフリーランスは営業活動も自力でやらねばならない。
 けれども、そうやって営業しても仕事は増えるのだろうか。
 わたしはつい最近、取引先が1社増えた。そのとき役立ったのは、noteに書いている教材校閲の記事だ。これを読んで発注してくれた会社がある。「noteの『お仕事依頼ページ』を作っておいてよかった」と思った。
 だが、SNS(たとえばFacebookやX)で「この本を校正しました」と本を発表したところで、取引のない会社が突然連絡してきて「ぜひ校正を依頼したい」ということはないだろう。
 校正の仕事は、試験やトライアル(テスト)を経たり、紹介してもらって得るものだと思っている。だからそのための準備はする。
 けれども、違うところで営業の種は蒔かない。自己顕示欲は趣味で満たせばよいのである。

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