16時間限定「自分の部屋」
人には「かまってちゃん」と「ほっといてちゃん」の2タイプがある。干渉されるのを何より嫌う「ほっといてちゃん」の自分が、子ども時代に一番ほしかったのが「ひとりになれる場所」だった。
子ども時代、団地の2DKに家族4人が暮らしていた。7つ上の兄がひと部屋占領していて、わたしの部屋はなかった。親の寝室に机を置き、親の横で寝ていた。
現代ならば、家が狭くとも工夫次第で「子どもが自分ひとりになれるスペース」を作ろうという親も珍しくないし、そういう情報もすぐに見つかる。吊りカーテンや衝立てなどで仕切り、「ここはあなただけのスペースだから、家族であっても声をかけずに勝手に入ってくることはない」とすればよい。
しかし、当時は「家が狭ければ、子ども個人のスペースなどなくて当たり前」という時代だった。親も「この子はひとりになれるスペースがないとだめ」などと考えたこともなかっただろう。
わたしは毎日、過干渉な親の監視下で、ひとりになれる場所もなく、ただただ息苦しかった。親にねだることといえば「部屋がほしい」だけ。心の中で考えることといえば、早く大人になってこの家を出ていきたい。毎日それだけを考えて生きていた。
そんなわたしだったが、毎夏、16時間だけひとりになれる「部屋」があった。そのスペースで、親にかくれて深夜にお菓子を好きなだけ食べていた。
当時、夏休みは毎年、祖母がいる佐賀県伊万里市で過ごしていた。移動手段は寝台特急「はやぶさ」か「あさかぜ」だ。
何せ半世紀前のこと。寝台車に乗るだけでもちょっとした「旅」である。夕方4時過ぎに東京駅を出発し、朝の8時過ぎに博多に到着する。
このブルートレインが、子ども心には「旅全開」という気分で楽しかった。通路に出て窓から外を眺めていると、高い位置にあった太陽が地平線に近づいて空がどんどん赤くなり、そして少しずつ暗くなる。知らない街にだんだん灯りがともっていく。ところどころ停車する途中駅は、夜に電車に乗ることのなかった子どもにとって、車内から見ても異世界のようだった。
車窓から外を見るのもよかったが、何よりの楽しみは、夜にあった。母が握って自宅から持ってきたおにぎりの夕食が終わり、揺れる車内の洗面所で歯を磨いておやすみなさいの挨拶をした後だ。
寝台車の二段ベッドはカーテンで区切られた「部屋」である。大人にとっては寝返りも満足に打てない狭苦しいベッドだが、子どもにとっては充分に広かった。布団にもたれてカーテンを閉じてしまえば、ふだんあれほど渇望しているひとりだけのスペースが出現する。嬉しくて、眠ってなどいられなかった。
ここでは必ず、家から隠し持ってきた柿の種を、音のしないようにひと粒ずつ大事に口に入れた。親にナイショで食べるには「音を立てない」お菓子であることが大前提だった。そして「長持ちする」ことも大切だった。そこで柿の種だったのである。柿ピーではピーナッツをかみ砕く音がしてしまうが、柿の種だけならば、ひと粒ずつ舌と上顎にはさんで割ることができる。上手くやればほとんど音を立てずに食べられる。もちろん、親にばれていたに違いないが、怒られた記憶はない。この日だけは黙認してくれたのだろう。
かなえられない「自分の部屋を持つ」夢。それが、ブルートレインではカーテンを閉めるだけで実現する。束の間の「自分の部屋」で、親に知られずそうっと柿の種をひと粒ずつ大事にゆっくり食べる。口を動かしながら、アルセーヌ・ルパンや江戸川乱歩を読んだ。
柿の種だけを食べ続けているので、だんだん辛くなって口の中がヒーヒーと火を噴きはじめる。こうなったら、しばし読書に専念する。柿の種の袋は持ったままなので、熱中して読んでいてると手が滑り、シーツに柿の種をぶちまけてしまう。音を聞かれなかったかどうか首をすくめ、数秒間固まってから、そろそろと動き出してひと粒ずつ拾い、口に入れる。
そうこうしているうちに寝入ってしまう。ふと目が覚めると電車が走っている音と振動が伝わる。いつもとちがう、「旅」の感覚である。その振動がまた眠りをさそって、いつの間にやらまた寝入っては、柿の種をひと粒口に入れる。そうっともごもごやっているとまた眠りが訪れる。子どもにとっては、これ以上望めないエンドレスループを繰り返していると、いつのまにか朝が来た。
そう、ブルートレインは、かなわなかった自室を16時間だけ子どもに作ってくれる「魔法の空間」だったのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?