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20/05/07 日記 謀らずも朝夕12年

 Twitterを開始して、今日で12年になったそうです。

 たわむれに始めたSNSが12年、一回り続いたというのも大概なことではある。その間にいろいろなことがあった。まあ、12年もあれば、Twitterがあろうとなかろうと、いろいろなことがあるものだけれど。

 気がつけば、ハンドルネームで呼ばれることが多くなった気がする。いまの職種に就いたのも、Twitterでの縁がきっかけともいえるし。仕事、プライベート、さまざまな繋がりがあるとして、少なくともいまの交友範囲の中では、Twitter経由で仲が深まった人が、もっとも多いのではないかしら。

 Twitterをきっかけに始めたことも、ずいぶんとある。例を挙げれば、下手な自分でも絵を練習していいと気付いたとか、とりあえず楽器を演奏したりDJをしたりする場所が見つかったとか、スポーツ観戦に熱中できるチームにめぐりあったとか。

 あとは「Twitterで知り合った人と結婚しました」みたいなところまでいくと、だいぶロマンティックなエピソードにもなるのだけれど、その手の動きは友人たちの間に多く見られたので、その幸福感で自分は満足している。

 多くの人と知り合い、仲が深まり、意見を違え、誹謗中傷を受け……ということがあった。どういうわけか、フォロワーは、4000人弱になってしまっている。未だに頭の中では信じていなくて、「ただツイートを見るだけとしても、3000人ぐらいは自分のことを間違ってフォローしてしまったのではないか?」と心配になる。

 いまでは、アカウントに鍵をかけたので、劇的に増えることはもうないと思うけれど。

 さて、年を経るごとに、素直によろこべない事象が、日常の中に増えてくる。あれは失敗した、あの人とは疎遠になった、あそこには届いていなかった……。できなかったことが、どんどん明らかになっていく。

 しょうがないといえばそれまでだけれど、失敗から学ぶこともある。Twitterを通じて、自分の価値観がアップデートされ、知らなかった知識が増えていったけれど、それは、教わったり、諭してもらったりしただけではなくて、衝突や誤解から理解したことも多い。

 「これは、してはいけなかったんだ」「あれは、間違った考えだ」と、後から気付いたという体験に関しては、それなりの数を挙げられるだろう。これにまつわる問題は、「ああ、間違いだったのだ。悪いことをした」とわかったときには、だいたい、手遅れだということで。

 思えば、Twitterを始めたときは21歳だった。若かった。若すぎた。すくなくとも、20代前半の頃は、ろくでもなかった。ああいう人間にTwitterをやらせてはいけないという、悪い見本です。

 まあ、いまのネットは、若さゆえの過ち、過度の自信に対して、いささか厳しすぎる気もする。自分が、全能感を持ちながら現実に鬱屈していた、よくいる若者だったから、そう感じるのかもしれない。

 そうはいっても、なにが悪いとも単純に言い切れない、深い理由があるかもしれないツイートに対してまで、まったく知らない人がいきなり刺しにくるリスクを感じるのは、なかなかつらい。その数が増えてきたように思えたので、アカウントを非公開にした面もある。

 いきなり、フォローされていない人から叩きつけるような悪意を向けられたときの、理不尽な感情ときたら。「ああ、こういうことが不快になる人もいるのだな」という学びが、そこにあったとしても、嫌な気分は晴れないわけだし。まあ、これも、Twitterをやっていなければ、考えつかなかった発想ではあるか。

 それにしても、10年以上も、しかも人と直接的/間接的に関わるサービスを利用していると、よけいなことも考えてしまう。あのとき、違う道を選んでいたら、もっと不安に苛まれずに生きてこられたのではないか。"Crying over spilt milk"の極みのような発想。

 この都合のよい思い上がりに苦笑しつつ、なぜ、自分が生き残ってしまったのだろう、とも考える。結局、12年もTwitterを続けているのは、ロクなものではない。どこか抜けている。その一方で、どうしてこの場にいるのが自分なのか、いつもわからなくなる。ダメなことばかりだったろうに。

 12年の間にあった失望。大学院での挫折、人間関係での悩み、仕事の失敗、災害、大事な人との別れ、病気……。

 「もう生きていけない」などと、浅はかながら、何度も考えた。それでも、平均よりすぐれているところ、人より秀でているところなど、ないはずなのに、かろうじて社会生活を営んでいる。

 いや、自分の人生を、悲劇的にとらえすぎなのかもしれない。普通の人よりちょっと足りない気がしているだけで、Twitterを12年も眺めていると、得たものもそれなりにあったのだろう。経験とか、財産とか、そういうと大げさですけれど。

 人とのめぐり合わせに恵まれた、と考えるべきだろうか。少なくとも、Twitterにおいては。

 ともかく、謀らずも朝夕12年。これから先の12年がどうなるかなど、想像もつかない。ちょうど12年前、いまの自分がこうなっているなんて、思いもよらなかったように。

 最後に。noteに書くのも変な話だけれど、いまでも毎日のようにやり取りする人、いまではもう会うこともなくなった人、関係性はさまざまだけれど、どんなかたちであれ、Twitterで自分に関わってくださった人に、とても感謝しています。この12年間、すくなくとも、生きてこられたのは、大なり小なり、みなさんのおかげだと思うので。

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