釣り堀の集団心理
「釣りがしたい」と子どもたちが言った。すこし遠出したところに釣り堀があるらしいので行ってみることにした。
受付で時間単位のお代を支払い、まるめられたエサ団子を受け取る。釣り竿は糸が巻かれた状態でたくさん立てかけられていて、子ども用の釣り竿は竹製だった。釣り経験は2度3度ほどしかないのだけど、知っているぞこの持ち方この手におさまる細い竹の感覚。昔ながらの釣り堀らしく、4つのいけすのまわりにそれぞれ足場が組まれところどころ修理のあとがあった。腰を下ろす先となるビールケースがいくつも置いてある。
エサ団子は小さく丸め直して釣り針につける。湿ったエサ団子は丸め直すときに手の平にひっついた部分が粉々としてまとわりつくのだが、ものすごく前にかいだことのある匂いだった。たぶん、ウサギとかチャボがいた幼稚園の動物小屋の近く。匂いは脳に直接作用するというから、一気に意識を過去に飛ばすのだろうか。手のひらやにおいといった感覚の持つ記憶はなんだかあたたかいものだなあ。
休みの昼間だったせいか家族連れが多く、小学校高学年くらいの少年がぶすっとした顔で釣り糸を垂れていた。しばらく誰も釣れていないようだった。「ぎんいろの魚が見えた…かもしれない」「エサに食いついたの見えた」とか我が家の兄弟は口々に目撃情報を口にするのだけど、私には見えなかった。弟がいけすに落ちないようにするのに気をとられていて、魚がいるかどうかを気にするのは二の次だったのかもしれない。
もうすぐ終わりの時間が見えてくる頃、隣のいけすで動きがあった。若いカップルの女性のほうがわさわさと立ち上がり、男性が網を持ちに網置き場に急いでいた。4つのいけすのみんながどよめいた次の瞬間、姿を現したのは40センチ大の魚だった。釣り上げた女性に向けて、いけすのほうぼうから拍手と歓声がわき上がる。釣り堀で糸を垂れていた人々がひとつになった瞬間だった。
なんか、いい釣り堀だったな。一匹も釣れなかったけど。また行こう。
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