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『完全無――超越タナトフォビア』第十三章

もっとも激烈な対話とは自己との対話である。
会話ではなく対話において人間は真に嘘はつけない。
嘘をつけばつくほど羽虫が増えるだけだ。
人間はそんな非効率的な思惟を本能的には好まない。

自己内対話においては、なにものも、自己を真に論破することも、自己と真に妥協することも、自己に真に激高することも難しい、せいぜい自己を真に愛することくらいしかできない。

しかし、自己を愛することは究極的には対話ではない。

(チビたちはちょっとおっかなびっくりな顔をして、顔面だけを未来に置き忘れてきたような溜息をもらした。
そしてわたくしは、おもむろかつ性急にとある真実を立言しようとした。と、そのとき新しい紙ナプキンを3枚、トレイの角にぴったり合わせるように置いて、ウィッシュボーンが何か言いたげな表情をわたくしに投げかけてきたのだ。)

おっと、ウィッシュボーンが何か言いたげなので、ここいらでちょっとばかりウィッシュボーンにおしゃべりしてもらおうかな。
わたくしの代弁者として、ね。
重要な真理について語りたいという気概より先に、もうすでに口の周りの骨格が真理そのもののかたちになってしまってるよ、ウィッシュ。
よろしく頼むよ。

(ウィッシュボーンが、襟元には実際にはない蝶ネクタイの正しい位置をしきりに探しながら、咳払いせずにこう言った。)

はい! お言葉に甘えさせていただきます!
ウィッシュボーンです! 
とにもかくにも読者の皆様、お目汚し失礼いたします!

まず最初に一言述べさせていただきます!
きつねさんはともかくすごい方です。
新規の神様をつくったかもしれません。
2014年の半ばにおいて、ひとつの神様、
いや究極の【理(り)】を完成させるための根拠を確信したんだそうです。
なんと奥ゆかしい奇跡的な年だったのでしょうか、2014年は。
あれから何年経ったのでしょうか。
いえ、何年経っていようと哲学的にはなんら問題はないです。

きつねさんは、つい先日も【理】についてウィッシュボーンにとうとうと語ってくださいました。
その時のその【理】こそほんとうのほんものの真実ではないだろうかと、ウィッシュボーンは単純に思いました。

【理】と真理との細かなこまかなニュアンスの違いに関しましてはウィッシュボーンにはよくわかりませんので、一応でございますが、きつねさんの偉大なるお考えのことを、基本的には文字としての【理】として定義しておきましょう。

ともかく!
ウィッシュボーンが勉強して参りました限りにおける哲学や宗教学における名著の数々(翻訳ものを網羅的に読んだ程度)においては、きつねさんの思想である究極の【理】にまるまるそっくりなものには出逢ったことがないです。

まだまだ勉学の足りないウィッシュボーンのことですから、見落とし等かなりあるかもしれませんし、似たような位相の思想ならば既にあるかもしれません。もう誰かが提示していた【理】だとしたら、残念ではありますが!
しかしその際は、きつねさんには責任はございません。

勝手に盛り上がりきつねさんの【理】について、この場で踊るようにテンションが上がってしまったことにつきましては、ウィッシュボーンこそが全責任を負います!

この章、といいますか、この部分においては、ウィッシュボーンが作品の語り手兼書き手になってしまっておりますが、それに関しましてもなにとぞご容赦を。

作品というものは最初から最後まで、つまり、きっちりすべての文字を頭から順番に読み切る必要などないのですから、読者の方々におかれましては、ウィッシュボーンの語りについては、読み飛ばしていただいでも一向に構いません。

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