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「『ポーランドへ行った子どもたち』-歴史を遡求する主体」

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 『ポーランドへ行った子どもたち』は掛け値なしに偉大な映画だ。朝鮮戦争中の50年代、3千人もの戦争孤児を金日成が東欧の共産主義同盟国に寄託した。その一国だったポーランドには、ソ連に送られてほとんど放棄されていた子どもたちと合わせて、1500人もの子どもたちが受け容れられた。ドイツとソ連の侵略を経験した際に子どもだったポーランドの大人たちが、空襲と爆撃によって家族と故郷を失った子どもたちを世話する過程で、チュ・サンミ監督の云う、「傷の連帯」が成立した。監督は実存的な悩みから発して、脱北者の女優イ・ソンミと共に歴史を辿り、両者ともにトラウマを乗りこえて、主体を回復する。ドキュメンタリー映画であると同時に、劇的な映画でもある。

 いずれ同作の評論を書きたい。チュ・サンミとイ・ソンミの両者は、金日成の主体思想などとは比べようもないほどはるかに、真摯な主体性を達成している。実存的懊悩から発して、歴史を果敢に捉え直すことで生じる自由と責任。イ・ソンミが専攻を演技から神学へ変えたのもむべなるかな。パンフレットで示唆されているように、「傷の連帯」という言葉からは共産主義用語としてではなく、より問題解決の指針となりうる生き生きとした感情的なつながりがうかがえる。
 本作は図らずも旧統一教会と自民党の構造的な癒着が明らかになった直後に上映されたことで、時宜を得た作品となった。すなわち、スターリニズムを乗りこえるためには、「勝共」という狂信などではなく、自分たちの傷を癒やすために、同じ傷を負う人びとの歴史へと遡及する共感こそが、着実であり、有益な行いなのだ。傷の連帯こそがスターリニズムを克服する。

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 日本人がネトウヨによる在日朝鮮人へのヘイトスピーチをほとんど放置しながら、同時に、自民党と旧統一教会との30年もの退歩的な癒着を許しているあいだに、韓国ではより内在的な決断が達成されていたのだ。50年代の朝鮮戦争の孤児の受け容れについて『天使の翼』と題した小説にまとめたジョランタ・クリソワタは、朝鮮戦争中では主戦場が刻々と変化したため、現在の韓国の地の子どもたちまでもが東欧諸国へと送られた事実を劇中で明かす。韓国人である監督のチュ・サンミは、悠久の時と一連の遡求をへて、ポーランドへの調査旅行の最後に孤児院の元・院長を再訪し、戦争孤児たちに無償の愛情を注いでくれたことに謝意を表する。彼女は歴史の責任をともにひきうけたのだ。
 それにしても、北朝鮮が朝鮮戦争後の千里馬運動に駆り出すために戦争孤児たちを強制帰国させたのは何たる皮肉か。マルクスが『資本論』で、大工業の機械が発展して永生機関へと自立する過程で、「女子どもたち」までもが労働にとりこまれる構造を情理を尽くして記述したというのに。

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