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実家に帰省して感傷的になった件


年末年始実家に帰省しそのまま数日、実家でのリモートワークをやっている。こんなに長いあいだ、実家での生活はいつぶりだろうか。

年末に畳数畳分ほどのスペースでリビングを拡張した実家は、今回の帰省ではじめましてだったが、まんまと居心地良く、テレワーク中の仕事部屋となった。

ニトリで買ったんですか?と聞かなくても答えがわかっているような柄のホットカーペットに、昔に姉がつかってたらしきローテーブルをおいたらそう、そこはなんと立派な作業部屋。

日本人だからか、地べたに座るのは案外しっくりくる。

年末年始は腐ったように思考停止状態だっだ自分は、働きはじめ前日の夕方くらいから、ぼちぼち脳みそを動かしはじめ、かといって仕事の準備ではなく、今年の目標やらなんやらを考えていた。

仕事がはじまると意外や意外、スイッチはさくっときりかわるもので、いまは完全に正月ボケを脱出ゲーム。


どこにいたっておなじような仕事ができるいまの働き方だから、ここが実家なのか埼玉の家なのか、特に気にならない。

けれど、ふと両親の"あんたもうすこしおったらええのに" "埼玉かえったってどうせ食べるご飯もなんもないんやろ?"といった言葉に、どきっとするのです。

久々にこうして一緒にいられて嬉しんだろうな。
子供だから、親の気持ちもわかるってもの。

そう言った言葉はサラッと聞き流しつつ、本当はもっと長くいたいって思ってちょっぴり恥ずかしくて、いつまでたっても子供だな自分、って思います。

やっぱり一緒にいると些細なことでイライラしてしまうんだけど、ふと父親の顔に皺が増えたこととか、母親が前屈みの姿勢をとったときに腰の曲がり方が目立つようになったり、また、数メートルはなれたところから両親の会話をこっそり聞いて見ている時に感じる、田舎の家の老夫婦感(まだ60歳くらいだけど)、、、

それらにいちいち感傷的になり、寂しくなり、なんか微笑んで両親を見ている自分に気付く。

親も、僕も、同じ年月年をとってきたんだなぁ。
両者の間は同じ間隔を保ったままなのか、それとも近づいているのか遠ざかっているのか。

愛おしく、腹ただしく、はやく埼玉戻ろうかななんて思いつつ、そんなことは本音じゃないこと、わかってるだろうな自分。


これから日々どんなふうに、親に、お世話になった人々に感謝を伝えていけるだろうか。
日常のいろんな折にふれ、そういった思いが行動原理となって自分を動かすのだろう。

1/6 深夜1時

明日も大切に生きよう!
(結婚式の動画編集しよ)

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