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カフェで過ごす時間で感じたことを言葉に残す①


何かをコツコツ1ヶ月、3ヶ月、半年と、継続することが元来苦手な者です。
とはいえ、「だから何も身に付かない」という結果になって自己嫌悪に陥ることはなく、短期集中で自分なりの「辞めては再開してスタイル」を持って、いろんな学びを深めています(と思えているからそれでいいと思う)。

そんな自分ですが、最近は意識的に1人の時間をとるようにしていて、奥さんとも過ごさない「1人でいる数時間(週末の午前中)」を大事にしています。

日々リモートで奥さんも一緒の空間にいることもあって、この1人の時間というのは、自分にとってすごく大事な時間です。
(僕にとって、別々のことをしていたとしても(例え、扉で区切られた空間にいたとしても)近くにいるべくしている人の存在を認識していることが、すでに1人ではない時間になってしまいます)

それが最近の習慣になりつつあり、奥さんにもきちんと表明することで、行動を取りやすくしています。

その1人の時間で何をするかというと、普通に散歩して朝の空気を吸ってリフレッシュすることから、なるべく外のいろんなものに意識的に目を配り、気になるものが何なのかを理由をセットで見つけ出すこと(写真を撮ったり動画を撮ってストーリーズにメモがてらポストすること)。その足取りで近くのカフェに行きます。
そこでは、今週末したいこと・今週どんなことがあったか/どういう気持ちだったかなどをノートにつらつらと書き出します。綺麗な文章にまとめようとはせず、その時の「気分」を含めてただノンストップで書き出します。
さらには最近気になっていることや関心ある分野の最新情報(今日だったら、大阪に今年4月楽しげなサウナ施設「DESSE」がOPENするらしい)をチェックしたりと、普段見られていない情報に一定時間をとり、今後こんなことしたい/行ってみたいもメモったり。

そうこうしていると、なんとも心地が良いです。すっきりします。
良いも悪いも含めて、色んな感情や思考が自分の中から吐き出されることにより、体が軽くなるのを感じます。
そして、それをノートに書き出すという身体的感覚が、人間性を取り戻すことに繋がります。
小指側が攣りそうになる感覚(普段マウスばっか持っているからこの筋肉使ってないのかな〜とか思いながら)・字が以前より下手になったようなこと・ノートの紙面が筆圧で凹む感覚・過去のノートを読み返して、「やはりこれがなければその時の感情や悩みなんて覚えているはずがないな」と記録自体の意義を感じることなどなど、生きていることが地続きであり不安定に流れていくことをも感じます。

こういう一連の体験や、なんとも言葉にしにくいひらめきや感動に近い感覚は、瞑想などにも似ているなと思います。病みつきになります。

また、左では馬券の話をしているおじさん2人、右には健康相談をしているおじさんと保険か何かの営業女性、またその右には奥さんが強そうな老夫婦(旦那さんは尻に敷かれていそうなんだけど楽しく朗らかで、奥さんもなんだかんだ旦那さんが好きでたまらない ※想像)。前の方には、「ごちそうさま」を連呼するかわいい女の子。

色んな世代、異なる関心ごとを抱える人々に囲まれながら、自分はそれを冷静に客観視しつつ、自分と向き合う。それは外の世界とは切り離せない自分がいながらも、自分は確立した個別の生き物だと認識していることでもあって、またそこに矛盾みたいなのも感じながら過ごしています。そんなことをぐるぐる考えること自体、なんてことない日常の豊かさではないでしょうか。

これからもこの週末の午前中の時間を大事にし、そして午後からはまた奥さんとの時間に戻ろうと思います。

今後もカフェでのエピソード・思いを綴るシリーズ続けよう(そうでないとnoteを続けること自体もおそらく自分には向いていなそう、諦めるな)。

お読みいただき、ありがとうございます。

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