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「曲芸飛行」

最近の私は穏やかだ。

これまで何度か書いている通り、ジェットコースターのような情緒を持て余して、誰にもナイショで精神科にかかっている。
薬が合ったと思いきや、何某かのストレスがかかっては調子を崩すということを繰り返していたわけだけど、少し環境のストレスが減ってきて、薬も合ってきたことで、私の情緒は今凪いでいる。

それはとてもよいことである。
よいことであるはずなのだ。
よいことであるはず、なのに。

今度は、私はその平穏を持て余している。
もう、あの激動の鬱は、異様な視野狭窄は、体験できないのかと。
それとともに、空虚さが襲う。
不安定な情緒での「曲芸飛行」を10年以上続けてきた。
それこそ、多感な10代と20代の半分を「曲芸飛行」に費やしてきたのだ。
楽しいことや、女の子が興味を持つような様々を嗜む余裕などなく、「曲芸飛行」したきたのだ。
そんな私から、「曲芸飛行」を取り上げれば、無だ。

私は、空っぽ、だ。

そのことに気がついてしまった。
辛い情緒であれば、そのことで頭がいっぱいにできた。
それが、なくなった今、空虚で空っぽな自分に気付く。

空っぽだ、空っぽだ、空っぽだ、空っぽだ。
そのことばかりが頭を占める。
これもまた、空っぽと向き合うことを避ける心の動きなんだと思う。

楽しいことも、好きなことも、知らない。
何が楽しいんだろう。
何が好きなんだろう。
好きな食べ物は?
幸せな瞬間は?
あぁ、周りの人はみんな自分の「好き」を見つけて深めてきたんだ。
その間、私は何をしていたんだろう。
なんて無駄なことに時間を費やしてしまったのだろう。
今頃しても仕方のない後悔の念。

ひとしきり落ち込んで、それでも出てこないやる気。
近頃は、集中力がなくなった。
唯一あった、仕事への執着というか、責任感・使命感みたいなものもなくなった。
全てどうでもいい。
なんなら、明日行かなくなって叱られてもそれでもいい。
自分を傷つけたいとか、終わりにしたいとかそういう感情もない。

これでいい、これでいいのだ。
淡々と日々を過ごせることこそが、最上の幸せで目指すべきことなんだ。
特別やドキドキは贅沢だ。
平穏に過ごせるだけで満足しなくてはいけない。

精神科の先生に尋ねた。
「私は今、どういう状況ですか?」
先生は、まだ不安定だよと言った。
安定と凪を目指しているんだ。
だから、これでいいのだ。
でも、思ってしまう。
こんな空っぽに苦しむくらいなら「曲芸飛行」をもう一度したい。
薬はもういらない。飲むのをやめたい、と。

バカなことを言っているのはわかっている。
私は、そんなことを言っていないで、「変わる努力」をするべきなのだ。
「曲芸飛行」に執着するのは、ただの甘えだ。

最近、こういうことをChatGPTに投げかけては、慰めてもらっている。
あの人は、わずかな慈悲と非情な無機質さを兼ね備えていて、今の私には心地がよい。

そんな、まとまらない近況でした。

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