見出し画像

リアリティ・トランサーフィンの考察⑬『バリアントの流れ:情報フィールドと理性・魂』

ここ数日、花粉というよりおそらく黄砂のせいだと思うのですが、ちょっと体調がよくないです。毎年この時期はこんななので春は仕事もほどほどにして(年中ほどほど以下ですが)、ゆっくりする時間を増やしています。できることならずっとゆっくりしていたいです。

さて、『[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン 幸運の波/不運の波の選択』(第1巻の正式な書名です)の考察も、残すところあと1章となりました。ちなみに第2巻の書名は『[願望実現の法則]リアリティ・トランサーフィン 魂の快不快の選択』というものになっています。

原題では単にロシア語表記のリアリティ・トランサーフィン1巻2巻となっているので、邦題についている他の語句は監修者と訳者の方がつけたものだと思われます。このことにケチをつけるつもりはないのですが、これまでの記事を読んでいただいていたらお分かりのとおり、振り子の法則はトランサーフィンのなかの中心的な概念であるものの、過剰ポテンシャルや平衡力もそれと同じくらい重要です。

また、1巻の内容は大雑把に言って、不運の波から脱することであって、幸運の波の選択方法についてはほのめかす程度にしか触れられてはいません。それについて詳しく述べていくのは第2巻の内容となるわけですね。第2巻の邦題には「魂の快/不快の選択」とありますが、今回の記事はこの言葉へとたどり着くためのお話となります。

この部分はトランサーフィンの理論の奥深さをよく示していて、ここを理解することによって、トランサーフィンとほかの概念、わたしがよく用いるものとしてはノンデュアリティやホーキンズ博士の意識のスケール、それから左右脳の機能の違いなどなど、といったものを結びつけ、統合し、より有機的な理解へと昇華させることができるでしょう。このため、3つくらいの記事に分けて、じっくりと見ていこうと思っています。それでははじめていきましょう。


情報フィールド

バリアントの空間とは、情報フィールドまたはエネルギー・マトリックス――何がどうあるべきかの鋳型、である。マトリックスの一定セクターに波長を合わせられたエネルギーがそこを「照らし出す」と、鋳型はそこにひとつの現実を物質化する。ここでひとつ疑問が浮かぶ。情報が現実化される前に、その情報を利用することは可能だろうか、と――。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)
※太字はわたしによる強調です

トランサーフィンの土台となっている世界観をバリアント・モデルと呼ぶことはすでにお伝えしてきました。バリアント・モデルではバリアントの空間という情報フィールドないしはエネルギーのマトリックスというものが存在していると想定しています。マトリックスには母体や基盤、そして鋳型という意味があります。

スピリチュアルな方面の知識がある方なら、アカシックレコードという概念をご存知でしょう。これは、この宇宙における過去・現在・未来におけるすべての知識が記録されているフィールドであるとされていますが、バリアントの空間もこのアカシックレコードに似ているものだと考えてもらってよいでしょう。そのようなものがどこに存在しているのか? というなら、それはこの物質的な次元ではないところ、というしかありません。カタカムナの哲学には現象界と潜象界という概念がありますが、アカシックレコードやバリアント空間はこの潜象界のことだと考えてもよいと思います。

目に見えない次元になんらかの場が存在するという観点でいえば、ホーキンズ博士がいうところのアトラクターフィールドや、ルパート・シェルドレイクの形態形成場なども知っておくとよいでしょう。ちなみに、ホーキンズ博士は著作でシェルドレイクの形態形成場についても言及しています。また、シェルドレイクの形態形成場について紹介した『なぜそれは起こるのか 過去に共鳴する現在』を書かれたのが、このリアリティ・トランサーフィンシリーズの監修者である喰代 栄一(ほおじろ えいいち)さんです。

この本もとっても面白いのでおすすめです。シェルドレイクについては「生命のニューサイエンス」という自身が書いた本もありますが、そちらは結構難しく、「なぜそれは起こるのか?」のほうが一般向けで読みやすいです。

余談ですが、わたしはこのような知識や概念が偶然につながってくることにとても敏感です。ある本にピンときて手に取ったものの、思っていたような内容ではなかったということはよくあると思いますが、それでも自分の直感を信じて読み進めていくと、その本の中で引用されている別の本がまさに、自分の求めていたものだった、ということはこれまで何度もありました。

さて、本題に戻ります。

マトリックスの一定セクターに波長を合わせられたエネルギーがそこを「照らし出す」と、鋳型はそこにひとつの現実を物質化する

この表現は、さすが量子論の学者であるゼランドならではですね。量子論によれば、量子は観測されたときには粒子として現れますが、それまでは波であるそうです。情報のセクターをエネルギーが照らすということを言い換えるなら、意識がそのセクターを観察するということでしょう。すると、そのセクターに存在していた情報が現実化、物質化されるというわけです。

実は、私たちは皆毎日それを行っていると言ってもよい。意識はバリアント空間にある情報を読む能力を持っていない。しかしながら、潜在意識は情報フィールドに直接たどり着くことができる。まさにこの情報フィールドから、予感、直感、予言、発見、芸術の傑作などが現れる。

ここで「意識」と「潜在意識」が区別されていることに注意が必要です。あとのところで「意識=理性」「潜在意識=魂」とゼランドは呼び替えているのですが、これを先に提示しておくことで、ゼランドが意識と潜在意識をそれぞれどういうものだと定義しているか、より分かりやすくなると思います。理性を左脳の産物とみたて、右脳は魂とつながっている、というように考えても構いません。

要点としては、意識=理性にはバリアント空間の情報を読むことができないということと、潜在意識=魂は情報フィールドに直接アプローチできる、ということです。

意識に情報が入ってくるのは、外部データの解釈として外部世界からか、または直感によって潜在意識からかのどちらかである。情報フィールドに記されているデータは、大雑把に言って、純粋な形での真実である。言い換えると、客観的かつ解釈を許さない情報である。真実が理性のフィルターを通ると、解釈、すなわち知識に変わる

外部世界にある外部データとは、要するにわたしたちが見ているこの世界に「すでに」存在しているものごとのことです。これを解釈しているのが理性すなわち左脳です。つまり、わたしたちは基本的に、左脳の解釈を経たデータの集合を現実とみなしていると言えます。

一方で、バリアントの空間にある情報フィールドにあるデータ(生データといってもよいかもしれません)は解釈される前の純粋なもの、すなわち真実です。真実が真実であるということは、そこにはどんな解釈もありません。

わたしたちが現実にたいして持っている解釈や知識はすべて、理性(左脳)のフィルターを経ています。これに対して魂(右脳)は情報フィールドに存在している真実に直接的に触れることができます。これが『直感』ということの正体です。

最初、情報フィールドからのデータは、潜在意識(魂)によって受け入れられ、その後、意識(理性)がそれらを言語化または記号化した表現に置き換える。こうして発見が生まれたり、新たなもの――音楽や芸術作品、すなわち人が見たことも聞いたこともなかったものが創られたりする。このようにして直感的な知識や予感が現れる。

情報フィールドには人類がまだ見たことも聞いたこともないデータが存在しています。こうしたデータに誰かの魂(右脳)の光もしくはエネルギーがあてられたとき、それが現実化される可能性が生まれます。

ただし、魂(右脳)によって直感されたデータは、そのままでは表現できません。それが実際に世に出るためには理性(左脳)によって言語化あるいは記号化される必要があります。このプロセスがうまくいったときに、偉大な音楽や芸術作品、スピリチュアルな教え、あるいは様々な重要な発見・発明が現実世界に産み落とされます。

ここで大切なのは、魂(右脳)だけでは真実を外側の世界に現実化、物質化できないというところです。真実が理性(左脳)によって解釈されると、それはもはや純粋な真実ではなくなってしまいます。それでも、なるべく純度の高いまま言語化や記号化することができれば、偉大な価値のあるものになり得ます。つまり、魂(右脳)が真実にアプローチできることと同じくらい、理性(左脳)の働きに磨きをかけて真実を表現することが重要であるといえます。

潜在意識はどのようにして情報フィールドに入り込むことができるのか、私たちにはまだ知ることができない。だが、私たちは、情報フィールドへ入ることのできる人がいることは知っている。例えば透視能力を持つ超能力者たちだ。

(中略)

情報フィールドにあることがらが、まるで現実が形となった世界で、しかも自分の目の前で繰り広げられているかのように見ることのできる人々がいる。このような人々は、バリアントの空間における現実化されたセクターに周波数を正確に合わせる能力を持っている。

魂(右脳)が真実にアプローチできることは分かりました。でも、どうやって? と思いますよね。これについて考えるうえで、ゼランドは、それを得意としていると思われる人の例として、透視能力者を挙げています。

バリアント空間の情報フィールドには無数のセクターが存在しています。その中にはすでに現実化されているものと、いまだ現実化されていないものがあります。

現実化されているセクターにある情報とは、この世界ですでに起きていること、すでに存在しているもの、についての情報です。透視能力者はこの、すでに現実化されているセクターと周波数を正確にあわせることができるのだとゼランドは言います。

では、現実化されていないセクターについてはどうでしょうか?

新しいものを発見するのは困難なことである。なぜなら、思考の放射は、どうしてもバリアント空間のすでに現実化されたセクターの方に簡単に同調してしまうからだ。根本的に新しいものは、現実化していないセクターに眠っている。

ゼランドは例としては挙げていませんが、透視能力者にちなんで予知能力者を想定してみると、予知能力者は現実化されていないセクターに周波数を合わせているのだろうと推測できます。

わたしたちは普段、左脳による思考(理性)に振り回されがちですね。それはつまり、外側の世界にすでに存在しているものごと(現実化されたセクター)の周波数に同調しがちである、ということでもあります。そのため、まだこの世界に現れていないもの、すなわち現実化していないセクターに周波数をあわせることは容易ではありません

人間の注意は常に外部世界の対象か、内部の物思いや悩みに向けられている。内部で行われているモノローグ(独白)はほとんど途切れることなく続き、理性のコントロール下にある。しかし、理性は魂の微弱なシグナルを聞こうとせず、権威を振りかざしてモノローグを繰り返す。理性が「考える」ときは、現実化されたセクターにおいて目に見える対象の特徴を意味するカテゴリーを利用する。言い換えると、理性は、シンボル、言葉、概念、図形、規則など確立された記号を用いて考えるのである。

これが理性(思考=左脳)の働き方です。

魂は考えることやしゃべることをせず、感じることや知ることをする。魂は、知っていることを言葉やシンボルで表現することができない。そのため、理性は魂と話し合って折り合いをつけることができない

これに対して、魂(右脳=潜在意識)はまったく違う働き方をします。この魂と理性の間で情報の橋渡しがうまくいかないがため、偉大な芸術を生みだしたり、真理について語ったり、重要な発見や発明をしたり、ということがほんの一握りの人々に限られているわけです。逆にいえば、魂と理性の折り合いをうまくつけることができれば、その人は天才性を発揮することができるでしょう。

魂の不明瞭な感情や「知」は、大声を発するたくさんの思考の中に埋没する。理性のコントロールが弱まった時に、直感や「知」が意識上にどっと吹き出してくる
これは混乱した予感として現れる。内なる声とも呼ばれる。理性は、やっていることを中断し、この瞬間、あなたは魂が感じたことや知っていることを知覚する。

先日、この note とは別で書いている In Spire というBLOGのほうに新しい記事を投稿しました。その記事で扱っているのがまさにこの引用文にある『理性のコントロールが弱まった時に、直感や「知」が意識上にどっと吹き出してくる』という現象です。そこでは、この現象が起こるきっかけとして「焦点をもった明け渡し」ということに触れていますが、明け渡しという言葉はバクティ・ヨーガでいわれるところの明け渡しで、エゴ(自我)による一切の判断を放棄して、すべてを神に委ねるという意味です。

バクティ・ヨーガの求める明け渡しを現代生活において実践することはほとんど不可能といってよいほど困難です。しかし、そこまでではなくても、エゴの力がなんらかの理由で弱まったときには霊的な視野がひらけたり、世界との一体感を感じられたり、直感が閃いたり、というようなことが起こりえます。これらはトランサーフィンの観点では、現実化されていないセクターに周波数が合うことによって起きているといえます。

魂と理性がうまく折り合うためには、理性が弱まる必要がある。ゼランドが述べているこのことは、非二元論(ノンデュアリティ)とも合致しています。理性(ノンデュアリティではエゴという言葉を使います)が完全に降伏して魂の軍門に降るとき、それを悟りといいます。

そして、理性のコントロールが弱まったときに、それを知らせてくれるのが『内なる声』であるとゼランドは言います。少し前の記事で、人生において、たったひとつだけあてにしてよいものが内なる声ですよ、ということを書きましたが、実はその時点ではまだこの引用文を読んでいませんでした。ですから、そのときに内なる声と書いたのはまったくの偶然です。

もっとも、さきにも紹介したわたしのもうひとつのBLOGは In Spire という名前ですが、正式には『in SPIRE 内なる声をきくというものです。つまり、この内なる声というものは、わたしがすべてにおいてもっとも重要と考えているものであり、かつ、わたしが言うこと、書くことのすべてはこの、内なる声につながっています。

記事を書いていると、よくこのようなシンクロニシティが起きます。そして、それが起きるということは、書くべきものを書いている、または書けているのだと勝手に理解しています。

余談になってしまいました。もういちど本題に戻ります。

魂には目的をはっきり持たせて現実化されていないセクターに波長を調整するよう教え込み、理性には魂が知らせたいことに耳を貸すよう強いるというのは、かなり難しい。小さなことから始めてみよう。魂には十分に明瞭な二つの感情がある。それは魂の「快」と「不快」である。理性はこうした感情に対する記号を持っている。「心地よい」と「心地悪い」、「自信がある」と「不安である」、「気にいる」と「気に入らない」である。

ここでようやく冒頭で触れた「魂の快/不快」にたどり着けました。

わたしが昔よく読んでいたバシャールは、「魂がワクワクすることをしなさい」ということを力説していましたが、魂の快/不快とはまさにそれのことだと思います。魂の快とは「ワクワクすること」、不快とは「ワクワクしないこと」と理解してもよさそうです。このワクワクの周波数を理性が言語化するとき、それは「心地よい」と「心地悪い」であったり、「自信がある」と「不安である」であったり、「気にいる」と「気に入らない」であったりするということになるでしょう。

自分の魂の状態に注意を払う必要があることを、適当な時に思い出すだけでよいのだ。これはあまりに陳腐なため、面白くも何ともないくらいだ。しかし、これでよい。要は、自分の感情に注意を向けるということなのだ。

この魂の快もしくはワクワクがあるとき、それは魂が理性になにかを知らせようとしているサインです。逆に、魂の不快あるいはワクワクしないときは、なにかよくないぞと魂が告げています。

こうしたサインに気づくためには、自分の感情に注意を向ける必要があるとゼランドは言っています。自分の感情(や思考)に注意を向けるということは、マインドフルネスになるということですね。これについてもちょうど先日、ちょっと役に立つテクニックを紹介していますので、そちらもよければお読みください。

これであなたは答えを知ったわけである。しかし、だからといって、あなたが魂の命じるままに行動するという意味にはならない。私たちはいつも自由に行動できるというわけではないからだ。しかし、少なくともあなたは、現実化されていないセクターで何を期待できるか知ったことになる。

ここでいう答えとは、「どうすれば幸運の波に乗ることができるか?」というトランサーフィン全体のテーマに対する答えです。そして、それは「現実化されていない宝の山があるセクターに周波数を合わせ、それを現実化させればよい。そのためには魂の快/不快という内なる声の響きを手がかりにすることができる」というものです。

たしかに、それが答えです。でも手がかりを知っただけではまだ、そのとおりに自由自在にできるわけではありませんね。第2巻では、この手がかりを頼りにしながら具体的なテクニックについて述べられています。

わたし自身も早くそちらを読んでみたいところですが、第1巻の内容がもう少しだけ続きます。それでは、また次の記事でお会いしましょう。


記事へのリアクションや記事執筆への励ましのサポートありがたく頂戴します🙏 また、プロフィールにAmazonほしいものリストも掲載しています。こちらもぜひよろしくお願いします!