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「努力」の意味を変えていく

「努力」とか「頑張る」とかいうのは、「自分のいる環境を居心地のいいものにするため努力を惜しまない」「快適な生活のために頑張る」ということであって、何かに耐えて我慢して、報酬を待つことじゃない……と『自分の仕事をつくる』を読んでいて思った。

「こんなもんでいいや」という意識で作られた物は、それを使う人の、自分を大事に思う気持ちをゆるゆると壊していく──冒頭にはそんなことが書かれている。
「こんなもんでいいや」と思って何かを使っていれば、それは当然「私にはこの程度の物がお似合いなんだ」というメッセージになって自分に突き刺さる。そうやって毎日、毎日「私はこんなもん」「私には安物をあてがっていい」と自己暗示をかけ続ける。そうして、目に見えない疲労が溜まっていく。

努力の目的は、粗悪品や雑なサービスで利益を上げることではなく、その仕事が他者に対して「あなたは価値のある存在だ」と伝えられることであってほしい。
「性善説的な響きがするかもしれない」と筆者も本書の中で断っているが、一人一人の小さな仕事に価値があり、他者とより良い形で繋がるためのツールとして仕事を捉えるなら、「努力」は最初に書いたような意味で使われるべきなのだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。