見出し画像

正確じゃない、名訳

 「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」。コクトーの詩の一節だ。正確じゃないけど名訳だ。
 
 原文を直訳するなら「私の片耳(単数形)は貝殻で (それは)海の音を愛している」になる。最後の動詞が「愛する」なので「海の響きを愛してる」「海の音が好きなんだ」と訳しても、別に間違いではない。

 でもここはやっぱり「なつかしむ」で締めるのがいい。日本語の「愛してる」は、ちょっと気取りというか、嘘臭さが入ってしまう。
 
 ” I love you.” を「こういうのは『月がきれいですね』と訳すもんだ」と夏目漱石は言った。英語の文章のどこにも「月」「きれい」の単語はないし、そもそも場面設定が夜である保証もない。それなのにこの訳は「圧倒的正解」って感じがする。
 
 言葉を翻訳するのは、文化を翻訳することだ。だから難しい。だからおもしろい。
 
 最近は機械翻訳も優秀になってきているけど、文学や小説は最後まで人の手によって訳されて欲しい。試しにコクトーの詩を機械翻訳にかけてみたら、こんな感じだった。
 
「私の耳は殻です 海の音が好きな人」(みらい翻訳)
「私の耳は貝殻 海の音を愛する人」(Deeple翻訳)
 
 「貝殻」と訳せているだけ後者の勝ちな気はする。ただ堀口大學の訳には遠く及ばない。「わたしのみみは かいのから」に聞こえる、七音と五音のリズムもない。あと貝殻は人じゃない。
 
 詩の翻訳もそうだけど、崩れた言葉やスラングの翻訳も、いまのところ機械だとかなり難しい。「I ain't your mama」を「私はあなたのママではありません」と訳してくる(みらい翻訳)。Deepleだともうちょっと優秀「俺はお前のママじゃない」。

 うーん。しゃべり言葉の訳には、まだまだ機械は向いてない。でもそのまま訳したら品のない表現を勝手に敬語で訳してくれるなら、それはそれで無駄な争いが避けられそうでいい気がする。
 
 日本語はとりわけ敬語のバリエーションが豊富と言われ、さらにはそれぞれの地方で方言が互いに大きく異なる。むかし、東北弁の詩を英語に訳すのに苦しむ翻訳者のエッセイを読んだ。方言まで入ってくると、これは手動で訳すしかないだろう。

 機械翻訳の精度は年々上がっているし、自分もたまに頼る。それはそれとして、まだまだ頼り切ることはできない。細かなニュアンスが取れてなかったり、時として派手に訳を間違えていることもある。

 いまだに「これからはAIが翻訳する時代、語学力なんて必要ない」と言う人はいるけど、AIが間違うことはざらにある。頼り切ると危険なのは、どんな技術でも同じことだ。

 

 なんとなく「I love you」を翻訳にかけてみたら、暴走族が掲げてそうな文字列が出てきた。

Deeple翻訳

愛羅武勇。愛死天流。うん。

 ここに「好きだよ」も表示されるようになったら、機械翻訳がまた一歩進んだことになるんだろう。

 それじゃあ「love」じゃなくて「like」じゃないか、とお叱りもありそうだけど、日本語なら、こっちの語感のほうが自然に思える。「愛」の日本語は重い。

 「 love 」を「愛する」と訳すのは、どこまで正確と言えるんだろう。そこには「好き」も「なつかしむ」も入っているんじゃないか。辞書的な正解と翻訳の正解、両者はぜんぜん別のもので。
 正解じゃない正解。名訳はそこを狙ってくるからにくい。

 そういえば「インテル入ってる?」は「インテル インサイド」って英訳されたんだっけ。これは完璧だ。韻も踏めてるし、内容も合ってるし……。

 翻訳は比べると楽しい。外国語がわかると、世界がちょっと楽しくなるからやめられない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。