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むかし話、いまの話

 両親は完璧ではなかったけれど、いいところもたくさんあった。最近は「毒親」なんて言葉が流行っていて、ひどい親御さんのエピソードには事欠かないのだけど、そんなときこそ「してもらってよかったこと」を考えるのは悪くない。
 
 両親はよく、兄とわたしが小さかった頃の話をしてくれた。
 
 幼い兄のしたことと言えば──たとえば、ハンガーで父親の鼻をひっかけて引っ張ったこと。父が帰宅するなり「お父さんおかえりなさーい!」と元気よくコートのボタンを駆け上がり、バーバリのコートをビリビリにしたこと。
 
 幼いわたしはと言えば、そばの布団で寝ていた父の股間を、思い切り蹴飛ばした。あるいは、昼におねしょした父の布団を放置して、夜になって大騒ぎになった。トイレに間に合わなくて足元に水たまりができて、母親が飛んできた。他にもいろいろ。
 
 みたいな話をずいぶん聞いてきているので、子育てはそんなもんだと思っている。離乳食を食べさせようとすれば拒否され、近所の人のおっぱいをいきなり触り、あるいはフォローしようのない失礼な発言でその場を凍らせる。そんなもん。
 
 父も母も、それをおもいだして語るとき、子どもたちを責めたりはしなかった。おねしょは恥ずべきことだと叱り飛ばしたわけでもなく、バーバリのコートを弁償しろなんて無茶も言わない。ただ、そんなこともあったねと笑っていた。
 
 だから自分が子育てを始めたいま、子どもが泣き止まないくらいではあまりイラつかない。子どもなんて泣くし喚くしうるさいし漏らすし、そんなもんやろ。良くも悪くも始めから諦めている。
 
 旦那さんはそうじゃない。数学の公式みたいに、「こうすればああなる」という世界観を強く持っている。だから、なにをしても(オムツを替えてもあやしてもミルクをあげても)赤ちゃんが泣いていると、自分の世界が乱された苛立ちを隠しきれない。
 
 「すべてのことは努力でなんとかなる」みたいな価値観を持って生きると、子育てはけっこう辛いんじゃないかなあ……。一体どんな努力をしたら、息子がコートを駆け上がってくると予測してそれを防げるんだろう。
 
 両親、「子育てはそんなもん」「まあそれでよし」と教えてくれただけ、いい人たちだと思ってる。
 
 人生で一番幸せだった瞬間は?と訊けば二人とも、子どもといた場面を挙げる。父は「お前とお兄ちゃんを風呂に入れてるときが、一番幸せだったよ」と言い、母は「子どもたちがどっこも悪くなくて、スースー寝息を立てながら寝てるとき」。
 
 それを言えるだけで、ふたりが生きたのは悪くない人生に思える。ふたりともまだ人生は終わっていないし、離婚とか兄の自殺とかいろいろあったけど。それでも自分は「子どもなんて金輪際ごめん」と思うことなく、授かったまま娘を産んだ。
 
 これは多分に両親のおかげだ。自分がその気ならいつでも引き返しただろうけど、「その気」にならずに済んだのは子どもと幸福がどこかで結びついていることを、自然と信じていられた。
 
 きのうは旦那さんが初めて、小さい人とお風呂に入った。幸せだったかどうかは聞きそびれた。こんなことは振り返ってから思うことで、その瞬間にはわからないものなのかもしれない。旦那さんは「もうちょっとちゃんと体を洗ってあげなきゃ」と言っていた。
 
 赤ちゃんは元気よくウンチをし、それがオムツからはみ出てべたべたになったりしながら、素知らぬ顔で生きている。今日はキャンプ用のイスをベランダに出して日光浴をしたが、外に出ると泣き止むらしい。憮然としてはいたが、外気に触れると静かになる。
 
 乳幼児の世話は、思っていたほど大変じゃない。それが本音だけど、まだまだ序盤だからなあ。すべてがこれからだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。