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寮に住んだら

 学生のころ女子寮に住んでいた。入居する学生の出身や学校はさまざまで、私たちは「年齢が近い」以外の共通点がなかった。将来つきたい職業も価値観も、食事の前に手を合わせるかどうかも、みんなバラバラだ。
 
 だから寮ではいろんなことがあった。ある日は、帰宅したら玄関に人が転がっていた。あれはびっくりする。どうやら意識はあるようだし、呼吸もしているなあと思って近づいたら、そばに管理人のおじさんが立っていた。バツが悪そうに「気にしないで」と言う。
 
 そうして転がっている女の子に向かって「100万も貸したら、そりゃ戻って来ないよ」と声をかけた。あとあと、どうやら男に騙されたらしいという話を、食堂で晩ご飯を食べながら聞いた。食堂で話すことはだいたい筒抜けだ。聞く気がなくても耳に入ってくる。
 
 自分がなにげなく喋ったことも、きっちり聞かれている。あるとき、仲良くなった先輩相手に「最近、気になる子がいるんです」という話をしていた。
 美人で頼りがいがある女の子で、口が悪いところはあるけど一緒にいたいなって思うんです。
 
 先輩が笑って「春だね」と言うので、自分も「もうこれは恋に近い」と返した。このあとから、寮の中ですれ違う女の子たちの態度がちょっと変わった。廊下で挨拶するときにのぞきこむように見てくる子もいれば、視線を合わせないように引く子もいる。でも大半の人は、なにひとつ変わらなかった。これは余談。
 
 学生寮である以上、先輩たちは誰もが就職を決めて出ていく。その中にひとり、春佳さんという人がいた。声優の専門学校に通っていて、就職活動もそれなりにうまくいったらしい。寮生を相手に、自分が卒業後に出演する舞台のチケットを売りさばいていた。自分も買った。
 
「ぶっちゃけ、社会人ってどんな感じなんだろうね。わたしはめちゃめちゃバイトしてきたけど、そういうのとは違うだろうし」

 春佳さんは、聞き取りやすいハキハキとした口調で話す。私のほうは(社会人なんて労働で使い潰されるに決まってる)とげんなりしていたので、思わず無愛想に「すぐ忙しくなりますよ」と答えた。

 働くようになれば自分の時間がなくなるってみんな言う、どうせ私たちはすぐ同じようになる。そういう意味だった。
 
 でも春佳さんは「いやあ~」と照れたように頭をかく。ああそうか、と思った。声優を目指すこの人にとって「仕事が忙しい=人気者で売れっ子」ってことになるんだ。「忙しい」の意味って、人によって違うんだな……。
 
 わたしはお世辞を言ったような形になったわけで、訂正する必要もないからなにも言わなかった。春佳さんの出た舞台は蛇の一族と人間の交流を描くファンタジーで、チケットは3000円くらいで、知り合いが出てなければ見ないと思った。その後、彼女がブレイクしたという話は聞かない。
 
 春佳さんだけじゃなく、多くの寮生がそういう道をたどった。俳優の養成所に通って挫折した人もいれば、声優を諦めて実家に帰った先輩がいて、芸能事務所に所属していたのにいつのまにか消えた同期がいて。
 
 芸能寄りじゃない先輩後輩だって、もちろんたくさんいた。
 
 いい大学を出て就職を決めた人も、ピアノの調律師になった人も、自分みたいに大学院に進んだのも。舞台女優になった人も、動物が好きで専門学校の先生になった人も、結婚して横浜に移り住んだ人も。
 
 当時は実感がなかったけれど、みんないつかは大人になる。学校や寮で、同じ年代の子とばかり会っていた日々を終えて「社会」に出る。もうみんながそろう食堂はない。仕事や業界が違う人とは、会うことすら珍しい。
 
 思えばカオスな空間だった。多様性のうっとうしさを学んだ場所でもある、女子寮をときどき思い出す。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。