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主婦ランチ vs 夫の昼ご飯

 「主婦」と一口に言っても、その実態はさまざまだから、一括りにはできない。読んでいる本に「主婦の優雅なランチ、夫の質素な昼食」みたいな対比が出てくるのだけど、どこまで信じていいもんかな。ここでは、主婦は夫より常にいいものを食べていた。
 
 書籍の出版が2010年、データはそれよりも前のもの。となれば、下手したら20年以上前の話になる。だからいま読むなら「昔はそうだったのね」くらいの感覚でいるのが適切かもしれない。
 
 『家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇』は、文字通り、食卓の写真とともに家々の食事風景を追っている。データは2003年以降のもので、出版が2010年。だから微妙に昔の話として読むのがいい。
 
 引用するとこんな感じ。
 

 主婦の一人ランチは「私の好きなもの」を「手をかけずに簡単に」が基本。

 (中略)

 その象徴が、話題のレストランやホテルバイキングに集う主婦たちの姿であろう。インタビューで尋ねると、「月に2~3回」そんな機会があると語る主婦たちが多い。だが、実際にデータを見ると、少なくとも平均週1回以上あり、調査期間の1週間に6回外食ランチしていた主婦(専業)さえいた。

岩村暢子『家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇』新潮社、2010年、124~125頁。


 お小遣いからやりくりするためか、食事時のお茶を買うのさえ節約している夫もよくいる。飲料はお握り1個と同じくらいするからだ。だが、自宅でコンビニのお握りやカップ麺、でき合いの弁当を食べている主婦は、その昼食代だけでなく、お茶やコーヒーも「家計費」で(中略)月に3回1500円の外食をしても、主婦の場合は当然のように家計費で賄われている。

同上、125頁。


 どことなく主婦に批判的に書かれているが、夫婦が合意の上でそうしているなら問題ない。有閑マダムたちが、働く夫のつくるお金でレストランに集うのも、べつに悪いことじゃない。文化と経済を潤すのはいつも有閑階級の人々だ。
 
 写真つきのデータでは「妻(42)の昼食、オーガニックレストランで1260円。夫(42)は社員食堂で300円の豚カツ定食」なども記録されている。最近は物価高だから、オーガニックランチも社員食堂も値上がりしているだろう。
 
 旦那さんはお小遣い制で、だから昼ご飯も質素で、奥さんの昼食は友達と外でランチ。それって、いまはどれくらいあたり前のことなんだろう。共働きも増えているから、そういう家庭は微減傾向にあるんじゃないか。
 
 かく言う自分のところは、平日なんて毎日
「妻:社員食堂のカレー(480円)、夫:社員食堂のカレー(220円)」
みたいな記録になる(旦那さんの会社のほうが、社食の値段が総じて安い)。働いてたらそんなもんじゃないかな。
 
 で、こういう面白みのないデータは誰も取り上げない。
 
 夫婦のランチの内訳を書くものは「妻は優雅に外食、夫はお小遣い制でやりくり」と対比的に書かれることある。それを読んで「旦那さんがかわいそう」とか「女ばっかり贅沢しやがって」と反応する人もいる。
 
 でも、そんなのは各家庭にまかされている話だ。外野が口出ししても仕方ない。また、記事にする価値のない退屈な記録は、当然ながら表に出てこない。だからその手の話を読んで「これがいまの夫婦の、食事事情の実態なんだ」と思い込むと、現実を見誤る。
 
 結婚していない男性の中には「どうせ結婚してもお小遣い制にされて、食費節約しなきゃいけなくなるんでしょ」と言う人もいる。「ならもう結婚なんかしなくていい」と。なんでそんな受け身なんだろうな、と思う。
 
 夫婦関係は、ふたりの合意の上でつくっていくものだ。お小遣い制が嫌なら拒否していい。実際、旦那さんは結婚前からそう言っていた。「僕もたまには飲みに行くし、旦那お小遣い制は採用せえへんよ」。
 
 いまは彼が、わたしのお給料も含めて家計を管理している。強制されてそうしているのではなく、自分でそのほうがいいと思って提案した。そういう家庭もある。
 
 主婦家庭でも、毎日の節約に励んでいるところは少なくない。「主婦のひとりご飯 節約レシピ」みたいな記事も多くある。ときどき目にする「優雅な妻ランチVS夫の昼飯」みたいな文章は、扇動力は高そうだけど、反応するだけ無駄って気がする。
 
 だいたいの事実は、いつも平凡で落ち着いている。退屈で面白みがないから記事にもならない。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。