人に話すまでもない不思議な話

 今日は、微妙にオカルトな話。
 
 魂が浮遊するっていうのは、ああいう感じを言うのかもしれない。意識が溶けだしていってしまって、体の輪郭と周囲の空気との境目がわからなくなる。そんな感覚は、10年に1度あるかないかだけど、あの瞬間ってホントなんなんだろうな。
 
 何年も前に、まだ引っ越す前の街で、いつものようにふらふらと散歩に出ていた。夜に1時間ほど歩くのが当時の日課になっていて、街の治安がいいことにはずいぶん救われた。夜でも明るい街だったことも。
 
 街の中には大きな公園があって、それは公園と言うよりはいろんなものの寄せ集めだった。バスケのゴールが置かれていて、芝生があり、大学棟があって、ローソンとか大戸屋が入っていて、ベンチもいくつかあった。
 
 ホームレス対策なのか、ベンチに体を横たえることはできない。つまりはそういう対策の必要な街。住んでいたアパートの近くには夜の店が乱立する。いつだったか、キャバ嬢らしき女性にすれ違いざま、悪態をつかれた。
 
 それでも11時くらいまでなら、出歩いて怖い思いをすることはなくて、公園は単純に憩いの場だった。夜にはギターを弾く大学生がいて犬の散歩をする人がいて、そういう空気の中でベンチに座っていると、ふっと意識が溶けるときがあった。
 
 聞こえてくるざわめきと音楽の中に、自分が溶けだしていってしまう。完全に無防備になっているのがわかるので、いまここで危ない目に遭ったら対応できないなあ、と考えていた。
 
 言葉で説明するのは限界があるけど、自分が気体になっている感じ。たぶん魂っていうのは、いくぶん気体の性質があるんだと思う。自分はぼんやりと、その存在を信じている。日常生活に出てくるには怪しい単語だから、人には話さないだけで。
 
 すこし前に友達が、SNSでこんなことをつぶやいていた。

「(大阪で舞台を観たいけど)今回は予算オーバーで断念。既に関西に飛んだ魂の一部を呼び戻して、仕事に戻ります」
 
 自分はそれを読んで、ああ、この人の「魂」観ってそんな感じなんだ……と思った。もちろん比喩だろうけど、自分はそこまで強い執着を持ってどこかに思いを飛ばしたことがない。魂の生命力には個人差があるらしいね。
 
 強い思いを飛ばし過ぎると、今度は「生霊」みたいなものに進化するんだと思う。自分はこっちもぼんやりと信じていて、学生時代、金縛りにあうと必ず母親の姿を傍に見たんだけど、あれたぶん生霊。母は子どもへの思いの強い人だから、十分ありえる。
 
 身内の生霊ならまだいいけど(?)、これが自分を呪っている人のものだとだいぶ困る。そういうときにはお清めの塩が利く、と誰かが言っていたので、謎の理由で不調な人は塩を携帯するといいかもしれない。
 
 人の思いっていうのは、多分に気体の姿をしているんだろう。そんな気がする。だから風に乗ってどこへでも飛んでいくし、周囲に溶けてしまったりもする。それを魂と呼んでもなんと呼んでもいいけど、なんとなく存在するんだと思う。「それ」って。
 
 むかし、何気なくフクロウの手ぬぐいを買ったことがある。しばらく会っていない地元のマダムがフクロウ好きなので、なんとなく買って母親に送った。受け取った母親は、なんとはなしにそれを持って外に出た。
 
 すると、しばらく音沙汰のなかったマダムにばったり会って、手ぬぐいを渡せたらしい。偶然ですね、と母は言う。娘があなたのことを考えて送ってきたばかりなんですよ。
 
 マダムいわく「最近、メルシーちゃん元気かなって思ってたんです。ちっちゃい頃の姿で夢に出てきたから、頭なでようとしたら逃げられちゃって、そんな歳だよなあと思ったの。そうですか、なにか『通じた』のかもしれませんね」。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。