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高熱でぼんやりする頭で

 妊娠中は、免疫力が落ちやすい。胎児という「異物」を異物と認識しないために、あらゆるものへのガードを下げてしまう。そういうわけで、ただの風邪でも39℃台の高熱を叩きだしたりする。2日ほどこの状態だったので辛い。
 
 病院で「インフルエンザもコロナも陰性です。でもできることって何もないんですよ。妊婦さんに安易に薬は出せないから」と言われる。特定の風邪薬くらいしか飲めるものはない。そしていま、薬の供給は逼迫している。
 
 建築業界に勤めているとわかるのだけど、製薬会社の工場建設が急ピッチで進められている。というのも、大手製薬会社3社のうち、2社がほぼ稼働していないからだ。不正問題とかいろいろあって営業にストップがかかり、供給機能がほとんど死んでいる。
 
 よって薬が出回らない。上司は「だから君も病気できないよ」と言ってくれてはいたが、マスクなしで咳はしていた。周りのおじさんたちもそんな感じだったので気をつけてはいたけど、案の定もらってしまった。
 
 医薬品工場、建てるの大変なんだよな……。普通の建物と違って、虫一匹入れたらいけないし。工事の段階から防護服みたいなのを着て衛生管理にあたる必要がある。ざっくり言えば、建物の中でも難易度が高く、専門家の必要なジャンルだ。
 
 専門家というのはいきなり生えてはこない。だから育てなきゃいけないんだけど、育てるのにも時間がかかるしなあ……。いまの薬不足、すぐには解消されないだろう。いちおう市販薬に妊婦も飲めるものがあったので、旦那さんが買ってきてくれた。
 
 熱は39℃と36℃のあいだを行ったり来たりする。ただの風邪だけあって吐き気はない。脱水症状らしき、ひどい汗に悩まされながら、ベッドの中ですべての「妊婦」のことを考える。
 
 だれもが、かつては妊娠している女性の体内にいた。その女性たちの境遇は、それぞれどんなだったんだろう。自分みたいに体調を崩した人もいただろう。そうして体調が悪いのに、家事・育児・仕事をいつも通り、こなさないといけない人も。
 
 あるいは自分の母がそうだったみたいに「妊娠中は楽しかった。みんな席譲ってくれるし」とあっけらかんとしている人も。そうかと思えば、つわりがひどくて毎朝吐いていたって人も。
 
 いままでなら、試験管ベビーとか赤ちゃん工場、人工子宮なんかを「なんだか人工的だな」と遠巻きに見ていた。だけど妊娠がどんなものか知ったいまなら「母体が苦しむことなく出産できるシステム、むしろ道徳的なのでは」と思ったりする。

 そうしたらつわりもなくて、妊娠中の食べ物の制限もない。ふつうの風邪で高熱に悩まされることも、そのたびに誰かの助けを借りる必要も。母体の状況に胎児がふりまわされることもない。
 
 旦那さんはと言えば「人間、どんだけ効率悪いねん。産まれるまでにも時間かかるのに、ひとり立ちするのに18年かかるん?」といまさらのように驚いている。18年で済めば早いほうかもよ。大学卒業までカウントすると、最短でも22年だし……。
 
 世の中の人たちは、あたりまえに生きているように見える。あたりまえに生きて、あたりまえに歳を取っている。だからそれが当然だと感じてしまうけど、そうじゃない人だってきっとたくさんいたんだろうな……とか。
 
 高熱でぼんやりした頭で「長生きなんかしたくないな」と思った。むかし付き合っていた女の子が「定年まで働いたらさっさと死にたい」と言っていた。なんとなくわかる。
 
 「年寄りって動きトロいしムカつくし、ああなってまで生きたくない」と言っていた彼女。それでもお年寄りには親切だった彼女。「現役世代」でなくなったら、もうそれ以上生きたくないって気持ち。
 
 もっとも、祖父も祖母も晩年はやたら楽しそうだった。おじいちゃんおばあちゃんがいる生活っていうのは自分にとってもいいものだった。彼らは子どもじゃないけど大人でもないように見えて、なんだか自由だった。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。