誰かと人格で付き合うということ

男の人と焼き肉を食べに行った。
家族以外の人と行くのはこれが初めて、まったく勝手がわからない。

私は、てっきり女性がサラダや肉の取り分けだとかなんだとかするものだと思っていた。もっと言うなら、女の子として呼ばれた以上は、そういうロールプレイングを果たさなければならないと思い込み、そんなことはあまり普段しないので、ぎこちない思いで臨んでいた。

が、しかし彼は、すべての肉を焼いて皿に取ってくれ、サラダも取り分け、それら一連の動作をあまりにも普通にやってのけた。私はただ、そのつどお礼を言って食べるだけ。なんだ、これでいいのか、と思った。

なんとなく、女性であるからには、性別が理由でやらなきゃならないことがあるのだと信じていた。小学校の頃から男女平等の教育を受けていたはずなのに、いややっぱり社会に出れば不平等なものだし、こういうシーンで食べるものを取り分けなかったら顰蹙買うんだろうな……と漠然と怯えていた。

会計は彼がカードで払い、私は自分の代金分を現金で彼に渡した。それだけだった。

別に恋人でもなんでもない相手なのだが、自分をいわゆる「女性」として見ない相手に安心した。そこにいて会話をする以上に何も求めてこない。むしろそれ以上されても居心地が悪い、そんな感じの態度だった。

怖いのは男性ではなく「女はこうあるべき」という幻想をいつの間にか持っていた自分のほうだと思う。少なくともこの体験は、男性とも「人として」付き合っていてよいのだという、ごく当たり前のことを思い出させてくれた。
そうして、誰かと恋愛関係になるのだとしてもそれは変わらない、どこまで行っても、大事なのは内面で、それこそが愛し愛される理由になるんだ、と当たり前のことをまた思った。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。