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おつかれ日記

 エッセンシャルワーカー。生活になくてはならない職業という意味で、ここ二年間、感染症が広まるにつれ普及した単語でもある。物流に関わる人たちは、ここに含めていいんじゃないかと思う。たとえば佐川のお兄さんとか。
 
 建築系の会社は、いかんせん部品がないと工事ができない。部品の中に不良品があれば返品しなくてはいけないし、現場で出たがらくたが回収されてくることもある。様々な部品や製品が送り送られて忙しく、配送を頼むたびどこかへ出向いている時間はない。
 そういうわけで、勤める会社には毎日のように宅配便の集荷の人が来る。佐川です、ヤマトです、はーい今いきます。こんなやり取りを毎日する。
 
 中でもよく顔を合わせる人と、会社の人が気心知れたように話していた。最近どうですか、体調。しびれがひどくて眠れないんですよ、睡眠不足ですね。入院はいつ?もうちょいですね。
 しびれ。肉体労働だもんなあ、と思ってその動きを見ている。何枚もの伝票にサインをして、重なっている紙の一枚を自分のバッグに、控えを客先の人間に渡す。荷物を──重いものから軽いものまで──台車に載せ、押して運んでいく。
 あれを繰り返すのは、体力に自信のある人でも疲れが溜まるだろう。二人は、〇日以上入院するといくらか補償金が出る、それ以下だとゼロ円だからやっぱりお金は欲しい、そんな話をしている。
「入院するの慣れてないんで、よくわかんないんすけど」
「慣れてても困りますよ」
「ははは、そうっすね」
 
 伝票はいまだに手書きが多いし、伝票を回収するのも手動だし、社会のこういう部分ってなかなか自動化されない。ごみの収集とか配達とか引っ越しとか、物理的な物の移動は、いまのところ人の手によるしかない。
 でもって「エッセンシャル」=「不可欠な」と言われるように、社会の基礎の部分だったりする。そのわりに待遇はあまりよくないことも知られている。
 配達員の人に「ありがとうございました」と頭を下げ、入院かあ大事に至らないといいな、と思いながら見送る。
 
 感染のひどいときには「配達員がドアを開けた途端、消毒液を吹きかけられた」なんて話も聞いた。伝聞だから、できたらただの作り話であることを祈るけれど、なんだかありそうな話であるせいで少し悲しくなる。
 ……そんなに直接、顔を合わせるのが嫌だったら「置いて行ってください」ってお願いすれば、玄関先に置いて行ってくれると思うんだけど。なんにしろ、外出自粛が叫ばれているときの、物流に関わる人への世間の態度は辛いものがあった。
 彼らがいないと、家に買ったものや食事が届かない、でも配達員は外で動いてきてる人たちだからウィルスを持っているも当然と言いたげに、彼らを必要としながら見下す人たちがいた。なんだかもうちょっと、人への敬意があっていいだろうと思った。
 
 帰りの電車では、マスクをしていない若い女性が、年配の男性にものすごく睨まれていた。女性のほうはずっと無視していたけれど、近くにいてふと顔を上げた自分のほうが、その男性の粘着質で執拗に他人を責める表情をまともに見てしまって、どっと疲れた。
 マスクをするに越したことはないけれど、してない他人を睨みつけるのは違うんじゃないでしょうか。法律で着用が義務化されていない以上、するもしないも個人の自由だ。快く思えないのなら自分のほうが離れたらいい。そっと車両を移動する。
 日曜日には駅前で「もうマスクをはずしましょう」と叫んでいる人がいたけど、やりたいなら一人でやればいい。誰かをわざわざ責めたり否定したりしないで。
 日本の死亡者数は最近、OECD諸国で最小を記録している。ここに他者を尊重できる雰囲気があればもっといい。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。